メイドの秘密
「は、はじめましてアナです。今日からよろしくおねがいします。カーディフ宰相様」
アナと名乗ったメイドは、目を忙しなく左右に動かし、微かに俯きながらペコリとお辞儀をした。
アナは金髪を三つ編みにして左右に垂らし、丸っこいメガネをかけている。クライブはその小動物のような姿をチラリと一瞥して書類に目を戻した。
「よろしく。早速だがお茶を頼む」
クライブ・カーディフは、27歳ながらカーディフ侯爵家の当主であり、父の地盤を引き継いで宰相職についている。何時でも冷静沈着で理を重んじる彼は、シルバーの髪に、濃いブルーグレーの切れ長の瞳という色彩も相まって、氷の宰相と渾名される。適齢期であるのに独身という優良物件のはずだが、お嬢様方から遠巻きにされる所以である。
「は、はい!お好みはございますか?」
アナは背すじをピン!と伸ばして、クライブに尋ねる。
クライブは、書類から視線を外すこと無く答えた。
「飲めれば何でも良い」
「そ、そうですか……」
クライブのすげない返事にアナは、おどおどと視線をさまよわす。クライブの横で仕事をしていた、助手のアーロンがため息をついて、助け船を出す。
「アナ、閣下は怒っているわけじゃなくて、元々そんな顔なんだよ。ついでに僕にもお茶くれる?おんなじもので良いからさ」
「は、はい!」
アナはピョコンとお辞儀をして執務室を出ていった。
アーロンは呆れ顔で、しれっと仕事を続けるクライブを見る。
「全く!もっと愛想良くしないと、彼女もあっという間に異動してしまいますよ!」
「ふん、別にそれならそれで良い」
「良くない!メイドがいなくなると、僕が代わりをさせられるんですから!」
程無くアナが戻ってきた。
机の上に花のような薫りのするお茶と、軽食を並べる。
クライブはそれを一瞥してアナに問いかける。
「……これは?」
「あ……お昼を召し上がられてないと聞いたので…もしよろしければ摘まめるものをと…」
ふーん、と言いながらクライブはお茶に口をつける。
悪くない。軽食は片手で摘まめるものだったので、書類を見ながら少し摘まんだ。
アナは、その様子を見ながら静かに控える。
その日からアナは、毎日違う種類のお茶と軽食を運んでくるようになった。
クライブは仕事の進捗によって手をつけたり、つけなかったりしたが、アナは何も言わない。必要以上に絡まず、淡々と仕事をし、且つこちらの様子をよく見ながら心配りをしてくれるアナは、空気のように居心地の良い空間を作ってくれる。クライブは満足していた。
ある時から、お茶と軽食の系統が似たものになった。クライブの好みのものになったのだ。クライブ自身は気がついていなかった。アーロンに言われて気づいたのだ。
「閣下、最近良くお昼を召し上がられるようになりましたねー。アナのお陰ですね。気づいてました?彼女、僕には僕の好みのお茶入れてくれるんですよ」
「……それが彼女の仕事だろう」
「なかなかできないですよー。褒めてもくれないし、愛想もない人にそんな健気に使えることってー」
アーロンの言葉に押し黙る。
確かに、彼女を労ったことはなかったなと思う。
それは気まぐれだった。
「アナ、いつもありがとう」
たまたまアーロンが席を外した時に、アナにお礼を言ってみた。
いつも丁寧な所作の彼女は、動揺しすぎて茶器を落としかけた。眼を真ん丸に見開き、言葉のでない様子だった。
クライブは少し決まりが悪くなり、ごほんと咳払いをする。
「あー、何か褒美を取らせる。欲しいものがあるか?」
彼女はブンブンと首を降る。そして、はにかむように笑うと、そのお言葉だけで充分です、と言った。
その時、初めてクライブはまじまじとアナの顔を見た。アナは地味にしているが、素材は悪くない。というか、かなり可憐な容姿をしている。
----勿体無いな。
その思いが、何となく頭に残り町に出た時、ふと宝飾品店に足を伸ばした。
気がつけば、アナの金髪に映えるような、シルバーの地金にブルーグレーの宝石のついた髪飾りを手に取っていた。
「お決まりですか?」
にこやかな店員につい、これをと差し出す。
綺麗にラッピングされた髪飾りを手に、またあのはにかむような笑顔が見れるだろうかと思う。
けれど、いざとなるとなかなか渡す機会がない。
アーロンがいる時はからかわれるのが分かっているので、絶対嫌だった。クライブは、机の引き出しにしまいこむ。
まぁ、腐るものでもないし。
そのまま忘れてしまいそうだったが、ある時機会がめぐってきた。
「えー、アナ今日誕生日なの?早く言ってくれたら何か用意したのにー」
「えぇ、そんな」
「いくつになったの」
「18歳です」
アーロンとアナがニコニコと話をしていた。クライブはアナがお茶を持ってきた時に、スッと髪飾りを差し出す。アナが絶句する気配がした。クライブはその顔を見ないように早口で言う。
「誕生日なんだろう?やる」
「…でも、これどなたかにお渡しするものだったのでは?」
「…気にするな。気に入らなければ売るでもすればいい」
「……ありがとうございます」
アナは何かを考え込んでいるようだった。
クライブはチラリとその顔を見て、あの笑顔が見れなかったことにがっかりする。そして、そんな自分に気づき、動揺した。
アナはその細い手で、かさり、と包みを開けた。
「……綺麗」
微かに目を細め呟く。やはり、女性は宝石が好きだ。クライブは満足げに頷く。
アーロンはそれを見ながらポリポリと頬を掻く。
アナが帰ったあと、アーロンはポツリとクライブに呟く。
「閣下。婚約者にも贈り物ひとつしたこと無いのに、どう言う風の吹きまわしですか」
クライブは、そう言えばと思い出した。
クライブも年齢が年齢だったので、手頃な伯爵家のご令嬢と婚約をしていた。
ただ、条件だけで決めたので、実はまともに顔を会わせたことも少ない。初めの顔合わせでは、伯爵と条件の話ばかりしていた。婚約してそろそろ一年になる。結婚に進んでもおかしくない月日が経っていたことに驚きながら、顎に手を当てる。
「……婚約は解消するかな」
横で、アーロンがぎょっとした顔をした。
アナの横は居心地が良い。彼女は18歳になったと言っていた。今は未婚のようだが、そろそろ相手を探しだすはずだ。クライブは、彼女の横に我が物顔で別の者が立つ未来を想像するだけで、今手に持っているカップを叩き割りたくなる。燃え盛るようなものではなくても、アナに好意を抱いているのは認めざるおえない。
そうすると、このまま婚約者と結婚するのは、相手に対しても不誠実だと思った。
「アーロン。お前、相手がいなかったな。私の婚約者と結婚するか?」
「何馬鹿なこと言ってるんですか!犬や猫じゃあるまいし、あっちがダメならこっちって……」
「しかし、こちらの有責で婚約を解消するとなると、新たな縁を紹介した方が……」
「……それで、解消してどうするんですか。……まさかと思いますが…」
「……アナを娶ろうかと」
アーロンは両手で顔を覆って天を仰いだ。
しかし、クライブは婚約解消に向けて動き出した。
伯爵家に丁寧な手紙をしたため、新しい婚約者としてアーロンを薦めておいた。こう見えて、アーロンも伯爵家の跡取りだ。悪い縁ではあるまい。
数日して、婚約解消を了承する旨が伯爵家から届いた。
クライブは、彼にしては珍しく、少し浮かれて可憐な小花でまとめた花束を持って職場に向かった。
着いてすぐにアナに渡すと、アナは花束をじっと見て口を開いた。
「カーディフ宰相様、少しお話があるのですがよろしいですか?」
「……なんだ?」
「私…実は、こちらをお暇させて頂きたく存じます」
クライブは一瞬何を言われたか分からず、呆然とする。
「………何故だ?」
「こちらに伺う理由がなくなったからです」
アナは、お仕着せのホワイトブリムとメガネを取った。
「アナスターシア・ダルトンと申します。……あなたの元婚約者です」
クライブは珍しく口をあんぐりとあけた。
「……そんな、まさか」
「カーディフ様のメイドが辞めてお困りだというので、お手伝いのつもりで参りました。中々お会いすることも叶わなかったので……その、あなたのことが知りたくて」
「ま、待ってくれ」
「でも、私ではお役に立てなかったようですね……新たな婚約者様までご紹介いただきありがとうございました」
クライブはアナの視線の先にいるアーロンをぎっと見る。
アーロンは、ふいっと目をそらした。
「……気づかない閣下が悪いんですよ」
実は彼は最初からアナがアナスターシアだと知っていて、二人の仲を深めるつもりで色々水を向けていた。途中で、不味いとは思ったのだが、今さら言い出せなかった。
「……アナというのは何故」
クライブは震える声でアナに訪ねた。
アナは少し俯きながら、頬を染めて言う。
「恋人に愛称で呼んでいただくのが夢で」
クライブは口許をおさえて俯いた。
ここで、このかわいい人を失うわけにはいかない。
クライブは自分の愚かさを呪いつつ、その後方々に頭を下げ、何とかアナスターシアの隣を勝ち取った。その後も、彼女には頭が上がらず氷の宰相の名も形無しであるが、クライブは幸せだった。
今日も、彼女の髪に輝く自分の色に蕩けるような笑みを浮かべて彼女を呼ぶ。
「アナ」