009
それでも仕事は続く。
二階にこっぴどく怒られた俺は、正直なところやる気がなかった。
時給制だし。とか言ってる場合じゃあないんだが。
女子バレー部の新田さん、菅原さん、その他の皆さん、滝山少年、みんな怪奇現象を恐れていた。
それぞれ一回しか喋っていない子たちだが、何とかしてやりたいなあとは思う。でも俺には無理だ。あ、菅原さんとは日曜も含めると二回会ってるか……。
体育館の外に出ると、中にいたはずのバスケ部の連中が一直線に列を作って並んでいた。
なんでここにいるの? と聞いたところ、記憶が無いという。
せっかく体育館を譲ってもらったんだから一回でも多く試合をしないと、と勇んで彼らは戻っていく。
おいおい、大丈夫なの? と思ったが二階が止めないので俺もそのまま何も言わずに見守ることにした。中ではバスケットボールをドリブルする音が響いている。
実のところ体調不良とかなんとかを理由に今すぐ帰りたかった。
しかし車は一台しかないし、二階は帰る気などさらさら無いようだった。
かといって何かを調べ出すわけでもなく、体育館に背を向け、腕を組み、ぜんぜん親しみの持てないような険しい顔でなにかを考え続けている。俺への追撃の言葉を考えているんじゃないといいな、とだけ願って静かにしていた。
やがて二階は歩き出した。とくに何の説明もない。
もーなんなんだよ、と文句を言いたいのをぐっとこらえてみる。多分俺が悪い。知らんけども。
「職員室に行こう」
見つめていたら一応行先を教えてはくれたが、まったく取りつく島もない速度で二階は歩いていく。
必死にそれに追いつきながら、俺はそういえば謝っていなかったなあと思った。
しかし「ごめん」と言えそうな隙はない。
二階はジャケットを羽織ってから、職員室をノックした。
俺に事情を説明する気はやっぱりないらしい。
「お忙しいところ申し訳ありません。一点お伺いしたいことがあるのですが、お時間よろしいでしょうか? 難しければ出直します」
中には数人の先生方がいた。一番大きなデスクに座っている教頭先生が顔をあげる。
「ああ、ええ、大丈夫ですよ」
やりかけの仕事を置いて、教頭先生がデスクから立ち上がった。
俺ってデスクワーク殆どないから、ああいう風に一日中書類の山に埋もれている人が、実際なんの仕事してるのかよく分からないんだよな。まあご苦労さまだなあとは思うが。
教頭先生に促されるままに、俺たちは職員室の片隅にあるソファに腰を下ろす。
毎日の報告は校長先生に直接口頭か電話で、ということになっている。だからわざわざ今、教頭先生に会う必要はない。
つまり――喧嘩中なので聞けていないが、ここに来たのにはなにか意図があるはずだ。
教頭先生も、何の用だろうかと少し困惑しているかのように見えた。
しかしこういう時の二階ってのは結構強気にグイグイだったりする。
見た目は黒髪長髪でちょっと異様なんだが、ぱきっとした顔で喋り出すと、めちゃくちゃしっかりしたビジネスマンに見えるんだな。ほんとに不思議な顔をしている。
「私たちのことなのですが――かなり多くの生徒達が、本当の調査目的に気付いているようで」
ああ、と教頭先生は額の汗をハンカチで拭う。
「ええ、ええ……まあ、正直なところ私どもも、完全に隠し通せるとは思っておりませんでしたので。とはいえ、一日目でこれほど噂になるとも思いませんでしたが……」
「申し訳ありません。朝の騒動のせいですね」
ちくりと胸が痛む。一日目の朝にしてあの騒ぎは、ちょーっと失敗だったかな。
逆にさっきの一件は、俺たち以外に被害がないようで本当によかった。
「まあ、いいんですよ。建前として『水道管の故障原因調査』を掲げるという点は失わずにいてくだされば、問題ありません。生徒の噂話なぞは時間が経てば勝手に消えていきますが、発注書などは文書に残りますからな」
「はい。勿論、報告書もその体裁で」
「当然です。よろしくお願いいたします」
教頭先生が再び額を拭く。気苦労の多そうな人だ。
このタイミングを見計らっていたかのように、二階は身を乗り出し、声を少し低くして言った。
「そこで……これこそ、報告書には書かないようにしようと思っていることなのですが」
「え、な、なんでしょうか?」
「たしか、教員の方にも、細かくは私たちのことを伝えていらっしゃらないとか」
「お恥ずかしいことですが、仲良しの生徒に質問されたら喋ってしまう者もおりますからな。男性二名が出入りをするということと、表の目的ぐらいは伝えておりますが、他の情報は何も。みんな御社の名前すら知らないかと思います」
「では、私たちのことを知っているのは、校長先生と、教頭先生ぐらいでしょうか」
「まあ、そうなるでしょう。ああいや、事務職員も知っています。受発注の窓口をしている」
「なるほど。校長先生はたしか昼からご不在でしたね。では本日、ここに、私たちのことを聞きにきた人はいないでしょうか? 生徒さんでも構いません」
……『私たち』のこと?
それって、俺とお前のことを聞きにきた子、ってことか?
おいおい。こいつもしかして、生徒を疑い始めたのか。
いつもなら抗議していたかもしれない。
二階が仮説をたてて、俺がそれに反論して、二人で同意できるところを見つけて、アウフヘーベン。
証明完了。QED。そういうふうに結論を出すのが、コンビだと思っていた。
教頭先生は、自分の生徒が疑われているとは捉えなかったようだ。
特に不快を感じた様子もなく、ぐるっと身体を回してすぐ近くの席に座っていた女性に声をかけた。
「おおい、今の聞いていたかな。今日、誰かこの方たちのことを聞きにきた子っていたかな?」
女性は、教頭先生のデスクと同じく積みあがる書類から視線を外し、俺たちを見た。
そしてまるで今この瞬間に俺たちがいることに気が付いたというふうに、わずかに目を見開いてみせた。
「お二人のこと、ですか」
「そう、こちらご存じ、二階さんと藤田さん。今日は私は殆ど会議に出ておりましたから、生徒と話せていなくて。誰か来ましたか?」
「ええっと、そう、来ました」
え、来たの?
俺は口をぽかんと開けてしまった。二階がわずかに腰をあげた。
「何を聞かれましたか」
「お二人のお名前です」
名前? んなもん直接聞いてくれりゃあいいのに。
「他には」
「あと、血液型と誕生日も知りたいとか言っていましたけれど……血液型はさすがに分からなくって。お二人、ずいぶんおモテになりますのねえ」
と、女性が笑う。てことは相手は女の子?
いやいやいや、相性診断に使いたいとか、そんなハッピーな理由じゃないだろ絶対。
「でも、教えていないでしょう?」
と、教頭先生が言う。彼の声は半ば震えていた。
生徒向けには、俺たちは単に水道管の様子を見に来た業者の人ということになっている。
しかし学校側には、俺と二階の調査員プロフィールが渡っているはずで、多分そこには『道教・霊媒修行 七年』とか『調査員経験 三年』とか、不穏な情報が書き連ねてあるに違いない。
生徒には見せられない。そのはずだ。
「ええと、どうだったかしら……」
「どうって、君」
「いいえ。私たちの経歴をお見せになったでしょう」
二階が断言するように言う。
そんな言い方しなくとも、と諫める言葉が、俺の喉にひっかかって出ていかない。
「はい。そうだわ、見せました……」
「おいおいおい、社名も書いてあるんだぞ。その子がもしも調べたら……」
「でも、もうお見せになってしまったんですよね。誰に見せました? 姿を思い出せますか」
妙な聞き方だ。覚えていますか、と聞くのではなく、思い出せますか、という聞き方――
「誰だったかしら……」
「知らない子ですか」
「いいえ。そうではないんです。名前も知っていたし、ええっと……」
「女の子ですが、男の子ですか」
「スカートを履いていたので、多分、女の子です」
――多分?
スカートを履いていたことは覚えているのに、相手の性別を忘れている――そんなことが、あるだろうか?
そういえばさっきこの人は、『おモテになるのねぇ』と言っていた。
多分、さっきは自然に思い出せていたのだ……相手が女の子であった、ということを。
「あの、私、どうしてしまったのか……」
「いや、もう構わん。君の持っているこの案件の書類は、すべて今日中にシュレッダーしておいてくれ」
教頭先生がそう言って立ち上がり、ふらふらと職員室の外へ出ていった。
まあ、ショックだったんだろう。二階がすぐに立ち上がり先生の後を追うので、俺もそれについていく。
「教頭先生!」
「ああ……すみません。噂が早く回ったのは、うちの職員のせいでしたな。とんだご迷惑を……」
「いえ、私たちはむしろ、やりやすくなりますから。すみません、先生、もう一点だけ――恐れながら率直にお答えいただきたいのですが、今対応してくださったあの職員の方には、普段から度を越えた物忘れがありますか」
かなり直球の聞き方だ。教頭先生は首を振った。
「いいえ、いいえ、まさか……雇い入れたばかりではありますが、普段は口が堅くしっかりしていて、だから安心して任せたのです。ひょっとするとこれも、皆さんが言うところの『怪異』にあたるのではないでしょうか。何も、霊を見るのは子どもだけではありません。ほかならぬ私も、これは……と思うものを何度か見たことがあります」
教頭先生は恥じるように、再び額を拭いた。
すでにハンカチは油でへたっているように見えた。
「そうでしょうね。ご協力、誠にありがとうございました」
俺は結局一言も喋らなかった。
しかし、次に俺がやらなければならないことは分かる。
――その子を探すのだ。
俺たちの、名前、血液型、誕生日を知りたがった女の子を。