003
次の日の朝。
二階のいう『早めに集合』の『早め』ってのは、ほんとに早かった。
「あのさー、朝練の子が来る時間とか、そのぐらいで良いんじゃねぇのー?」
「何言ってる。できたら日の出の時間にここに居たかったぐらいだ。さすがに危険過ぎるので諦めたが……」
「いや、そうじゃなくてさー。眠くねーの? お前……」
ほんっとさすが。
時給出んのかこれ? 早出手当欲しくない? ってぐらい眠い。
朝の五時。勿論、学校には誰一人いない。
守衛さんすらいないから、そもそも俺たちは学校にも入れない。
「日の出って、三十分前か。え、この早めの出勤、もしかしてもう一回やる気なの?」
「安全の確認が取れれば」
「やだー。今日で一緒に、日の出前の確認までやっときゃよかったじゃーん」
「駄目だ。夜は危ない。太陽が昇っている、それだけで人間側には有利なんだ。反対に、『夜』はとにかく怪異の味方をするから」
「ふーん……」
二階とのこれまでの仕事のなかで、俺はさすがに「怪異」「化物」「霊」の存在を信じるに至っている。
まあ、元々「不思議なもの」はこの世に存在するとは思っていた。
天国も地獄も信じているし、神様もいる気がする。
――だから、悪魔も化物も幽霊だっているだろう。
「で、なにすりゃいいの?」
「変なものが見えたら、言う」
ひー。ってことはそれまで待機!
俺が窓の外を見つめていたところで、なにかが見えるはずもない。
浮気調査ならもっとドキドキできんのにな。ふぁーあと欠伸を噛み殺し、スマートフォンで何か暇つぶしできそうなものを探す。
漫画アプリの無料スタミナ分も使いつくし、興味を持てるニュースもなくなったころ、女子バレー部の朝練の子たちが登校してきた。
たっぷり二時間は待った。
校門を開けたバレー部顧問の先生が、俺たちのワゴンに付いた何でも屋のロゴをみてぺこりと会釈してくれた。
*
「こんなに朝早くから調べてくれるんだね、驚いちゃった」
と笑うバレー部副キャプテン女子に、二十三歳だと嘘をついた。
若いね! とお世辞を言ってくれたので気分が良い。
一緒にポールとネットを運んでやりながら、体育館へ向かう。
……と、二階が俺の腕を引く。やつにしては珍しく、こそこそと耳打ちしてきた。
「おい、年齢。なんで嘘ついた?」
「えー? 中学生なら、二十三も二十八も大して違い分かんないって」
巻き込んで同じく二十三歳にされた二階はしばらく不満げにしていたが、あえて訂正する気も起きなかったらしい。すぐに仕事モードに切り替わり、生徒たちに質問を始める。
「水道管の件で、校長先生から依頼されているんだ。水回りで困っていることはある?」
生徒たちを不安にさせないよう、あくまでも『ただの便利屋』を通してくれと学校側からは要望されていた。顧問の教師にも釘を刺されたばかりだ。
しかし、大人のそういった気遣いは大抵徒労に終わる。
女の子たちはバレーボールを抱えたまま、目をまんまるにした。
「……水回り?」
「えっ、お兄さんたちってお坊さんとか神主さんとかじゃないの?」
「あたし、陰陽師だと思ってた!」
あちゃー。全然ダメじゃん。
「…………やっぱみんな知ってるんだ?」
「おい、藤田」
「いーじゃん、『水回りのことを聞いたら、怪談話を教えてもらいました』……ってことでさ。わざわざ嘘つかなくてもよくない?」
さっき下らない嘘ついたやつがそれを言うか? という顔で二階が俺のことを睨む。
それを可愛い大人のいざこざだと誤解したのか、少女たちがくすくすと笑った。
やがて副キャプテンの少女が言う。
「いーよ、それで。あたしたちが勝手に怪談を話し始めた、ってことで。そうしたらお兄さんたち、困らないでしょ?」
「……ん。ありがと。そうしてくれるとめちゃくちゃ助かる。えっと……」
「新田。このバレー部の副キャプテン」
「新田さん、ね。この学校、やっぱり怪談多い?」
「そりゃあ……ねえ?」
言って、新田さんはみんなを振り返る。六人の少女たちは口々に別々の怪談の話を始める。
「有名なのは体育館の祠かな。ほんとに近づいちゃいけないって言われてて、これだけは男の子も信じてる」
「でも、それだけじゃないよね。美術室、理科室、保健室、校長室……大抵の部屋には怪談話がある。百物語が作れそう、って言われてるぐらい」
「部屋だけじゃないよ。百葉箱とか、プールとか、ちょっとでも怪しげなものはぜんぶ曰く付き。あまりに霊が出るから、元は墓地だったって言う人もいるし」
「戦争があったとか、連続殺人が起きた病院があったとか、ほんとにいろんな噂あるよね」
「幽霊だけでもないし……化物もあれば呪いもあるし、神様もいれば悪魔みたいなのも……」
「ひえーっ、てんこもり」
昨日学校を見回った時点で分かってはいたことだが……しかし、実際に「霊がいる」ことと、それが「目撃され、怪談として語り継がれている」こととの間には、結構壁があったりするもんだ。霊がいても、遭遇する人間が少数であれば怪談にはならない。
横眼で二階を見ると、相棒は必死に手帳にメモをしていた。やべっ、ちゃんとこっそりマイクをONにしてあること、言うの忘れてた。
「たしかに色々あるみたいだなあ……あ、みんな、夜って暇? あ、違う、夜じゃない。夕方というか、放課後というか」
「夕方は部活があるかな。でも正直今、バレー部ってそんなに本気でやってるわけでもないんだよね。一限まで時間あるし、怪談話、これからする?」
「それはありがたい! ……けど、どのみち終わらない気もするから、できれば放課後も予約できると嬉しい。部活って、毎日ある?」
「ねえ、放課後もいいんじゃない? にっちゃんが良ければだけど」
にっちゃん、というのは新田さんのことのようだ。そうだね、と新田さんが頷く。
「もともと、バスケ部に体育館借りられないかって聞かれてたの。貸しちゃったら、ストレッチとか走り込みぐらいしか出来ないから……ちょうど女バレ全員ここにいるし、みんな、いいよね?」
うん、と頷く少女たち。
「助かる!」
パン! と手を合わせて頭を下げる。
いやー、ありがたいありがたい。仏頂面の二階と二人で延々と校内を散歩するより、椅子に座って女の子たちの話を聞くほうが十倍楽に決まってる。自分たちで一から怪異を探すよりもずっと効率的だ。