001
ごほ、ごほ。ごっほ、ごほ。
なんだか調子の悪そうな二階を尻目に、俺は山のような仕事を片付けている。なんなら先月の(非常に大変だった)仕事の見返りに、俺のこのデスクワークを少しは手伝ってほしいもんだ。と思ったりもするんだが、ああも体調悪げにされるとなかなかそうも言いづらい。しかし真面目だよなあ、風邪ひいてる時、俺なら微熱もあるってことにして喜んで家で寝てるけど。
「ねー、二階くん大丈夫なの?」
椅子を寄せ、俺にコソコソとなんかのチクリでもするみたいにして聞いてきたのは同僚の松原だ。知るかよ、大丈夫なんじゃねぇの? と返したいところではあるが……
「いや、知らねーんだよ俺も……ま、数日すれば治るんじゃないの?」
「でも、結構前からよ?」
「そーなの?」
「うん。藤田、先週五日間いなかったでしょ。その前も行き違いだったっけ? なーんかここ二週間ぐらい、二階くん、ずっとゴホゴホ言ってんのよね」
「ええ? 病院行かせたほうがよさそうだな」
「ばか、あんたじゃないんだから、行ってるわよ病院ぐらい。二階くん、自己管理の意識高いんだから」
まーそっか。病院嫌いの俺と違って、薬とか飲んでるのよく見るし。
「じゃ、なんでまだ体調悪そうなの?」
「それが私も知りたいの」
じゃあ自分で聞けよ、と言いたいのはやまやまだが、二階に話しかけづらいってのはよく分かる。俺も相棒組まされる機会がなかったら、二階にわざわざ話しかけたり雑談したり昼に誘ったり、みたいなことは無かったかもしれない。この職場には結構いる《あんまり話したことない同僚》の一人となっていたことだろう。松原と二階は一度組んだことがあったはずだが、一回きりの仕事で親しくなれるほど二階は簡単な男ではない。
「所長も『大丈夫なの?』ってちょっと心配してたし。ね?」
「じゃあ所長が聞けよ……」
「話しかけづらいんだって」
「うそー……」
従業員に話しかけられない社長。そんなことってあるか? と思いつつ、まあ、そういう男がいるとしたら二階なのかもしれないとも思う。
はーあ、と小さくため息をつく。松原にドンと背中を押されながら、二階の席へ向かった。
「おい、二階」
「……ん?」
案の定、返事をする声がすこし鼻にかかっている。いつもはもう少し中低音の、わりとしっかりしているはずの声が、微妙に甲高くなっていた。肩まで流れる長髪もこころなしかツヤが落ちて病人ぽい。
「どーしたんだよ。風邪ひくなんて珍しいよな?」
二階は振り返りはしたものの、顔を顰めたまま、まったく口を開こうとしない。仕方ないので下の名前の方でも読んでみたが、
「……名前で呼ぶな」
と怒られただけだった。じゃあちゃんと質問に答えろっての。
二階。この便利屋において唯一俺と同い年。身長もそこそこ同じぐらい、血液型も同じ、お揃いのような長い髪。こうして並べてみると、俺たちはおおよそのスペックがよく似ているが――ひとつだけ決定的に違うところがある。二階が霊能力者であるのに対し、俺には全く霊感がない。
霊能力者、という言葉を使うと『ちょっと違う』と言われがちなんだが、詳しい説明聞いても俺には結局よくわかんねーんだよな。お札とかをパシパシ使って、悪霊怨霊の類を倒す。――ま、霊能力者でいいでしょう。その道の人に言わせれば『ちょっと違う』んだとしても、一般人の俺らにとってはこれが一番分かりやすい。
「で、そのぐずぐず言ってんのは何? 病院行ったんだろ?」
「行った。……花粉症の疑いあり、だそうだ」
「うわー」
こいつ、仕事の関係でもともと体調崩しやすいところあるのに、花粉症まで!
「アレルギー検査? みたいなのしたの?」
「した。血を抜かれた。でも、結果が出るのが三週間後って言われて……今日、取りに行くつもりだったんだが……」
「あれ? 今日二階って午後休?」
ホワイトボードのお手製勤務表を確認する。二階――午後、外出。十四時アポ。十六時半アポ。
「仕事入ってんじゃん。行けんの?」
「いや、ダメ。だから予約とか調整しないといけないんだけど、色々やってたら……」
目頭をおさえ、彫刻の『考える人』みたいなポーズで悩ましそうにしている。まあ、体調悪いうえに忙しいときって、そういうこともあるよな。一番最初にやらなきゃいけない調整がついつい出来ていなかったりとか。
「でも、予定って十四時と十六時半だろ? 受け取りだけなら間で行けるんじゃないの?」
「そうなんだが、薬を飲んじゃって、運転できないから、車が……ええっと、バスなら間に合うのかな、まあそのへんも良く分からず……」
ダメだこれ。かと言って、明日の二階のご予定は――早朝の調査業務、午前中は社外会議、そこから午後にかけては役所へ行く仕事(なんで行くんだろ、俺入社してから一度も仕事で役所なんて行ったことないけどな)、夜にはまた別件の仕事、二十一時退勤予定、そして次の日も……。
「今日行っといたほうがよくね?」
「うん、そうなんだ、そうなんだが……」
相変わらず二階は『考える人』のポーズのまま動かない。まったくもー。俺は社用車の使用状況を見に行く。ワゴンがひとつ空いていた。
「二階――俺、今日は午後は珍しくなんの予定もないからさ、専属タクシー運転手やってやるよ」
予定がないのは今日中に会社で片づけなければならない仕事があるからなのだが、まあ、パソコン持ってけば車のなかでも出来るでしょう。
「え……送ってってくれるのか?」
「おう」
二階という男。話していて不快というわけでもないが愉快というわけでもない、不愛想というわけでもないが親しみがあるというわけでもない、どちらかというと偏屈で他人を寄せ付けないタイプの微妙な性格のこいつになんだか構ってしまう理由は一つしかない。
「藤田、ありがとう」
「どういたしまして」
感謝だけはやけに素直にするから。車のキーを取って、俺は二階とともにオフィスを出た。




