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017


 次に目覚めた時には、視界はすっきり晴れていた。


 焼けた餅みたいな朝日がグラウンドに浮かんでいる。俺はなぜか屋上にいた。

 追い出されたのかもしれない、と思う。俺はやっぱり夜の校舎の中にいて良い存在ではないから。


 二階はどこだろう。


 立ち上がろうとすると上体が揺れて、俺はすんでのところで手をついた。

 手がある。足もある。周囲には護符も落ちていた。


「藤田……?」


 背後から声がした。

 ()の声ではない。これは、二階の声だ。


「二階?」


 振り返ると、そこには二階が立っていた。

 黒髪が汗ばんだ頬に張り付き、すこし顔が痩せたように見える。でも顔色は決して悪くはない。

 二階は靴音を鳴らして俺の前までやってきて、引き上げてくれた。こいつに起こされるってのも珍しいな、と俺は思う。いつも逆の立場だったから。


「二階、お前、大丈夫だったのか?」


「それはこっちの台詞だ」


「どこにいたんだ?」


「わからない。お前の声のおかげで、握っている手がお前のものじゃないってことに気が付いて、九字で祓って、とにかく逃げた。階段を上ったんだが、見知らぬ場所についてしまって、お前も勿論いないし……ハラハラした……」


「ほー、心配してくれたの?」


「莫迦! お前には何も見えていないだろうが、俺にはな……」


 二階が言葉を切る。肩を落とす。

 はーあ、と大きくため息をつく。


「本っ当に恐ろしいことが起きていたんだ……少なくとも、俺にはそう見えていた」


「……うん、俺にも見えてたよ」


 二階の見ていた世界。それが俺にも見えていた。

 今はどうなんだろう? ふと思いついて、俺は屋上からプールの方を見る。

 体育館横の祠を見る。グラウンドの百葉箱を見る。どこにも、異様な感じはしなかった。


 昨日までの俺の視界と同じだ――二階の視界じゃない。


「見えていた……って、霊が?」


「そ。お前すげーな。あんなに恐ろしいもん見ながら歩くとか、俺なら無理かも」


「ああ……いや、悪かった。巻き込まないって言ったのに」


「いやー、俺がお前に触っちゃったんだし。

 そういや俺、髪の長い幽霊に会ったよ」


 二階が目を見開く。


「会って、どうしたんだ」


「挨拶して、菅原さんの話をして、もし今後似たようなことがあったら、

 もう少し考えて対処してほしいって頼んでみた」


「なるほど……具体的なやり方は指定したか?」


「よくわかんねーけど、アイツ、『元に戻す』のが好きなんだってさ。

 だから、石鹸も、女の子も男の子も、昼の状態に戻すようにしてほしいって頼んでみた」


「ああ、なるほど……そういう言い方のほうが、安全かもしれないな」


「お前は怒るかと思ったけど」


「いや……祓わないなら、その位が落としどころだろう。他には何か?」


「お前の言うことよく聞けってさ。

 まったく、学校の先生かっての……」


 教師。案外、的を外していないかもしれない。

 彼は彼なりに、あの夜の学校の教師であるかのようにふるまっていたのだろうか。


 でも、教室にいるような教師じゃないな。保健室の先生か、司書の先生か、とにかく生徒が《逃げ出した先》で優しく微笑んでくれるようなタイプの先生だ。担任の先生には言えないようなことが言える相手。


「俺の話もしたのか?」


「うん。一応、お前の名前は直接は出さないようにしたけど。『相棒』って言い方して逃れた」


「ああ……たしかに、そっちのほうが良かったな。ありがとう」


「いや、どういたしまして」


 意外と怒られないもんだな、と俺は小さく苦笑いした。


 目の前には朝陽がある。スーツの男二人でやることじゃないが、気づいたら俺たちは屋上で座り込んでグラウンドを見ていた。テニスコートに設置された時計台の影が、長く長く伸びている。やがて二階が口を開いた。


「――危機回避能力」


「え?」


「藤田、お前はな、どう考えても『悪霊対策が出来すぎてる』んだよ。無意識とはいえ、年齢のような重要な情報をちゃんと攪乱するし、核心の情報には早めにアクセスするし、これだけはやっちゃいけないってタブーも侵さない。そのうえ運もいい」


「たまたま、だな」


「そうだ。でも心霊現象との闘いって、そういうたまたまの積み重ねだろ?」


「でも、霊相手に名乗っちまったけど?」


「苗字だけなら開示範囲は半分以下だ。下の名前のほうが、名乗りにおいては重要性が高い」


「あー、俺、自分の下の名前嫌いなんだよなぁ……これもたまたまだけど」


「……」


 二階が沈黙する。そういえばこいつの下の名前ってなんだっけ、と俺は思った。

 絶対こいつ小さいころ、二階にいるだけでいじられたりしてたんだろうな。いじられている子どもの頃の二階、というのは想像するとちょっと面白いななんて思いながら黙っていると、目の前の大人の二階がふと思いついたように言った。


「なあ」


「なに?」


「藤田の下の名前って、なんだっけ?」


 ……あー、そっか。そりゃそうなるよな。

 普通、同じ職場で、一緒に仕事をしていて、お互い名前を知らないなんてことは、ない。だがうちは何でも屋、兼、興信所なので、こういうことが起こりえる。


 俺が知っている二階の情報。

 同い年、道教修行歴、霊が近くに来ると体調を悪くする特殊体質、食後はコーヒー、運転好き、B型。


 多分、あっちが知ってる俺の情報も同じようなもんだろう。

 同い年、興信所勤務歴、霊感が全くない特殊体質、食後はコーヒー、運転好き……血液型は伝えてたっけ?


「ごーり」


「え?」


「藤田合理」


 宙に名前を書いて見せる。

 合理、なんてゴリゴリの名前、音的になかなかつけようとは思わないよなー。


「でも俺、合理的じゃないからさー。合理的、っていうか、論理的、っていうか?

 そういうの足りないというか……

 いや、むしろ『さすが合理は合理的』って言われるのが嫌すぎてそうなっていったというか……」


 自分の名前に対するコンプレックスというか……自己認識を話すのって、なんだか不思議な気分だ。

 自分の名前と、自分自身との関係っていまいち掴みづらい、というか。《合理》を好きだというのも変だけど、嫌いだと突き放すのもなんだか(こじ)れ野郎みたいだ。日本に一万人はいそうな名前ならよかったのになあ、と思うこともある。


「あ、お前も珍しい苗字じゃん。二階の教室にいるときとか、よく揶揄われたろ?」


 言ってから、あ、そういえばコイツ家庭環境が複雑そうだったんだ、と思い出した。

 あちゃー、こういうのに気づくのが俺っていつも一瞬遅いんだよな。

 俺も「藤田」になったのは途中からだ。下の名前はなかなか変わることはないが、苗字は家族の都合で結構変わるやつもいる。


 しかし二階は特に気にした様子をみせず、なにかを懐かしむように苦笑いした。


「……どちらかというと、一階にいるときのほうがひどかったな。

 二階へススメ、って。あとはボードゲームしててスキップ出した時とか」


 え。


「なんで?」

「なんで、って」


 二階は意外そうに目を丸くしたあと、ふと何かに思い至ったかのように笑った。

 ああ、そうだった、と納得するみたいに。


「俺の名前、二階(すすむ)だから」


「ああ……なるほど」






 相手の名前を知った。

 だから何だというんだろう、と、理性的・合理的な俺は言っている。

 でも心霊の世界を垣間見たちょっと柔軟なほうの俺は、「名乗り」は自己開示であり、相手へ自分をさらけ出すことである、云々、なんて二階の口上を覚えている。


 校舎を振り返る。今はもうなにも見えない。

 二階は相変わらず具合悪そうにしているから、霊はまだあそこにいるんだろう。

 おそらく俺がまた「見えなく」なっただけだ。戻っただけだ。


 緑色のライトに照らされた校舎。見える人にとっては魑魅魍魎の跋扈する校舎。

 菅原さんが通っていた校舎。二階に怒られた校舎。たった四日きりの仕事場。


 そう、ここは俺の母校でもある。



<中学校編 了>


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