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013


「菅原さん!」


 俺たちはすぐに彼女に追いついた。

 菅原さんのほうだって、あまり真剣に逃げるつもりもなかったのかもしれない。二階が首をかしげる。


「そこにいるのか?」

「ん? うん。このまま真っすぐ、十歩先ぐらい」


 掌で方向を示す。

 俺にとっては女子中学生に見える以上、指さしするのは躊躇われた。


 二階は鞄から小瓶を取り出した。

 瓶の中の液体で指先を濡らしてから、宙に何かを描き口の中で小さくなにごとかを呟いている。

 俺には九字のように見えたが、りんびょう……と始まっていなかったので、おそらくまた別の呪文なのだろう。


「菅原さん、だね」


 二階にも見えるようになったらしい。俺にも引き続き見えているままだ。


 あのね、と菅原さんは小さくつぶやいた。

 ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声だったので、俺は声を聞こうと少し背を傾けた。


 菅原さんも首をかしげる。首が、ぎゅっと、曲がる。

 まるで牡丹の花が一輪頭ごと枯れ落ちるように、首が取れそうなほどに。


 それでもまだ、俺の目には中学生の女の子に見える。

 だからこそ痛く見えた。彼女は異形の化け物には見えない。


「逃げてしまってごめんなさい」


 二階が一歩前へ行く。俺は一歩も動けない。


「構わないよ。話を聞いてもいい?」


「私もかまわない」


「よかった。どうしてここで待っていてくれたの?」


「待っているように見えた?」


「見えた。どうしてここで待っていてくれたの?」


「私のことはね、髪の長い人が助けてくれたの。男の人。

 だからね、最初、お兄さんたちがそうだと思ったの」


「髪の長い……?」


「うん。お兄さんたち、髪が長いから」


 要領を得ない。彼女が現実にとどまる手助けをした誰かがいる――ということだろうか。

 そしてソイツは、俺たちに似て髪が長い男。うーむ、そんなやついたっけ?


「でも違ったし、そして怒っているのね」


 俺が答える前に、二階がもう一歩前に出た。そして会話を続けていく。


「怒ってはいない。でも君がやったことで、少し俺たちは困った」


「そう……」


「ところで、もうすぐ受験だよね」


「ううん。私は進学しないの」


「受験勉強は、みんなと一緒にやっているんだろう?」


「でも、私はどこにも行けないから」


「どうしてどこにも行けないのか、その理由を思い出せる?」


「……うん」


「理由を俺に言える?」


「言える。でもできればそうしたくない」


 彼女の首が、ぐるん、と一捻りする。

 それでも彼女がちゃんと女の子に見えるのはどうしてなんだろうと、俺は不思議に思った。

 ともすればその首が落ちるときには受け止めてやりたい、と思うほどに彼女は少女のままなのだ。


 菅原さんは首を振る。あと一、二本の皮が切れたら首が千切れてしまいそうなのに。


「できれば言いたくないけれど、でも分かってはいる」


「理由を俺に言える?」


「……言える。私は死んでしまったから」


「うん、正しい」


 たしかに。そうなんだろう。

 首がこんなに千切れていても話ができる人は、生きてはいない。

 分かってはいるはずなのに、菅原さんが「死んでしまった」と言うことに、どこか傷ついている俺がいる。本当に変だ。


「どうしたらいいのか分からなかったの。どうしたらいいの?」


「もう行かないと」


「どこへ?」


「きみは関東の生まれだよね。多分、上。あの光のほうへ行けるかな」


「光?」


「そう。見える?」


 二階が、幼い子どものように首を傾げた。

 菅原さんはそれを見て笑い、ええ、と頷く。

 彼女は生きていたころ、子どもっぽい男の子が好きだったのかもしれない。


「本当はずっと、あの光が見えていたの。死んだってこともね、とある人から教えてもらっていたの」


「分かるよ」


「遅れたから、怒られるかな」


「まだ大丈夫。今なら間に合うから」


 俺も一緒に頷きたくなるぐらい、二階の言葉はたしかに聞こえた。菅原さんも頷く。

 次の瞬間、まるで出来の悪いCGみたいに唐突に、菅原さんの姿が消えた。俺は反射的に身体を震わせた。

 二階は特に驚く様子もなかったが、目に見えない風船を空に見送るかのように、少しずつ後ずさりながら、視線を上へ上へとあげていく。


 俺も同じように天井を見た。でもなにも見えない。彼女の呪いは解けたのだろう。

 だから、もう俺には見えなくなってしまった。


 やがて二階は長い長い見送りを終えて、餞別みたいにため息を一つこぼしてから、廊下に座り込んだ。こんなとこ座っていいのかなあ、と思いながら、俺も二階の隣に腰を下ろす。教室の前だった。

 朝練組は体育館やグラウンドにいるし、そうでない子はまだ登校してきていない。朝の学校で、廊下で、男二人で座っている。不審者だよなあ、と思うと少し笑みがこぼれた。


「なあ」


「ん?」


「……行ったのか?」


 光の中へ、ちゃんと菅原さんは行けたんだろうか。


「分からない」


「分からないって、お前」


「俺は目の前にいる霊しか見えないから。

 消えてしまったことは分かるが、どこに行ったのかまでは分からない」


「天国に知り合いはいねえのか?」


「残念ながら。そっちは?」


「うちはまだ祖父母全員健在だからなぁ……」


 天国か。あるのかなあ、そんなもの。

 でも、霊がいるってことは――そして彼女たちが行かねばならない先があるってことは――まあ、その先にはきっとなにかがあるんだろう。でも、あるといいなあ、天国。行けるといいなあ。


「あてられたか?」


「うん?」


「もう彼女は死んでいた。俺たちがこの学校に来るずっと前に。

 そう信じていられないから、まさに今、彼女が目の前で死んだかのように思って苦しいんだろう。

 でもそうじゃない」


「……うん」


 たしかに、そうだ。この喪失感はなんなんだろう。

 目の前で誰かが死んだと感じているからだ、と言われたら、まあそうだよなあと納得するしかない。

 二階は何度、こういうことを経験してきたんだろう。


「なんかさあ。夢枕に立って、ちょっと言葉を残してくれるってぐらいが丁度いいよな。

 曖昧で、あれって夢だったのかなあ現実だったのかなあって思うぐらいが」


「そうかもしれないな」


「ああいうの見てるとさ、俺たちが勉強した、物理とか化学とか、なんだったんだろうって思うなあ……」


「うん、たしかにな」


「お前、さっきから話合わせてるだろ」


 二階は笑う。少し苦笑いするみたいに。


「そういうわけじゃあないが。傷ついているようだったから」


「それを気遣いっていうんだよ」


「科学は、霊や化物、妖怪といったものどもが、誰にでも見えるものではないということを俺に教えてくれたよ。霊がいる、たしかにこの世界にいる、ということは俺の視界が教えてくれるのに……しかし、科学も医学も、結局のところ俺が見えているものがなんなのかを教えてくれたことはない」


 うん、と次は俺が頷いた。

 たしかに、そうだ。道教の修行に身を投じたくなる理由がよくわかる。


「藤田。俺はさ、別にどっちでもいいんだ。ただ、どっちかにしてくれ。

 信じるんなら信じて、信じないなら信じないでくれ。俺はどちらでも受け入れる」


「信じるよ」


 信じる。もちろん信じる。

 勝手が分からなくて怒られることが、またあるかもしれない。

 そういう二回目はあるかもしれない。でも次は決して、疑わないようにする。


 うん、と二階も頷いた。ようやく奴の顔色も良くなってきた。

 すこしふらついてはいるが立ち上がり、数歩先の床に落ちていたらしい紙を拾う。ずいぶん古そうだ。


「ああ、これだな……」

「なんだ?」

「呪いの内容。なるほど。俺たちへの、簡易的な呪殺の式だ」

「え、俺たち殺されかけてたの?」


 菅原さんの姿が目に浮かぶ。

 彼女はついさっきまで、女子バレー部の一員で、普通の女の子に見えていた。

 その子に――呪い殺されそうだった?


「そう。……でも、あの子にとっては、『自分と同じ状態にするだけ』なんだ。

 霊に悪気はない。そもそも見えている世界がまったく違う相手なんだ。

 むしろ親切をするような気持ちでやった可能性すらある」


「いやいやいや、そんなん理解不能だろ。

 菅原さんはさすがにそんなにおかしくなかったっていうか……」


「見た目の感じや、喋っている感じでは、全然おかしく見えない子も多いんだ。

 それでも確実に違う秩序のなかに生きていて、思考のベースとなる軸も大きく変わってしまっている。

 中途半端に言葉が通じるからこそ信じにくいが、それでも、相手のことを少しでも理解できるとは思わないほうがいい」


「でも、さっきは対話でうまく祓ってたわけじゃん?」


「あれは、いつでも誰に対してでも出来ることじゃない。

 話が通じないことのほうがずっとずっと多い……」


 そういえば、俺は菅原さんに何一つ声を掛けられなかったな。

 いつ死んだんだろうとか、どうして霊になってこの世に残っていたんだろうとか、夜はどうしていたんだろうとか、こうしてみんなと一緒に過ごしていることに満足していたのかどうかとか。気になることはたくさんあった。


 でも、全部、聞いたってどうしようもないことだ。俺の気が済むだけのことだ。


「……で、この依頼、今後どーする?

 一応、『人間のフリしてた』幽霊を一人祓えたってことにはなるんだよな?」


「まあ、女子バレー部の子たちは、少なくとも多少安定するようになるだろうな。

 周囲にずっと霊がいて、その子がすでに死んでいるということを覚えていられない、というのは、なかなかの心理的負担になるだろうから」


 ああそうか、彼女たちはもう菅原さゆりさんに会えないのか。と、当たり前のことに思い至る。


「滝山少年もそうだよなー」

「男子バレー部の子だったか? たしかに、そうかもしれないな」


 そういえば、俺が出会った中では滝山少年だけだったな。

 死んだ女の子の霊がいる、っていう実感を持っていそうだったのは。

 祓えたよ、と報告するべきかどうか少しだけ考えたが、結局止めた。


 もう二度と会えないということが、救いになるのか呪いになるのか。

 菅原さんの術に、記憶が曖昧になる効果があるというのなら、その流れに乗って全部忘れちまうというのもそれはそれでアリなのかもしれない。


「残り、直近出来るとしたら、彼女に呪いをかけた、そして彼女を使って俺たちに呪いをかけたらしい、元凶を祓うことぐらいか」


「――元凶? って、なんだっけ?」


「彼女が言ってたろう。髪の長いなにかがいたって。

 多分、霊か化物の類だと思うけど」


 ああ、言っていたような。

 最初、それが俺たちだと思った……とかなんとか。


「しかしなあ……長髪の幽霊、というだけだぞ。ヒント」


「いや、それはもう分かってる」


「分かってんの!?」


「むしろ、その霊のことだけは分かってただろ、最初から」


 二階が足を止める。そこは三階の教室の前だった。手洗い場。右から一つ目の石鹸。


「――石鹸を使っても使っても、交換しなくて済むのはなぜ?」


 ああ、そうだった。ここには、長髪の幽霊がいるから。



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