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第五話

「明日から回転を上げるのかあ……十分ブラックなんですけど」


 砂上に伸びる二人の影。

 遮るもの一つない夜空から、静かに降り注ぐ月の光。

 冷たい光に照らされながら、二人は無言のまま歩を進める。砂を噛む乾いた足音が、夜の静寂に吸い込まれ、瞬く間に融けていった。

 広大な夜空に煌めく天の川。その星々の輝き一つひとつが、人々の営みのはかなさを、より一層鮮明にしているかのようだった。


 疲れたから寝る、と天幕を追い出された葛葉たちは、すっかり冷え込んだ砂上をとぼとぼと歩いていたのだった。


「仕方ないか。ちょっぴりシャクだけど、父さんのアドバイスを少し参考にしてやってみよっかなあ」


 もちろん、衣裳に始まる色気の件ではない。いつぞや引き締まった表情の無功から、


 ――太ももや尻もいいが、もっと谷間を強調するのはどうだ。バインバイン揺らしながら戦えるよう修行してくれ。いっそポロリもありだな。はは、こぼれる投げ銭が気にかかってしようがないぜ。


 という助言を受けたときは、本気で鳥肌が立ったものだった。


「セクハラ道士め……そんなんで道士の資格とか無くしたりしないのかしら」


 葛葉がイメージしたのは、試合の展開や倒すスピードについてだ。少しでも観客をハラハラさせるような、娯楽性の高い試合内容。それを実現すれば、投げ銭もきっと増える。


 無功から告げられた予定とは、一日に最低三人は挑戦者を募ることだった。

 これまでは多くても三人だったので、大幅に上がることになった回転率に葛葉はしばし開いた口が塞がらなかった。


 そんな葛葉に、無功は平然とこう言い放った。


「いいか。先立つものがないと酒が飲めねえ。オレのお気に入りは、西域産の葡萄酒なんだ。安酒じゃあ、燃料にならねえ。燃料がねえと、約束が果たせねえ。あとはわかるな? 葉児」


 こう言われると、もはや葛葉に言い返す術はない。約束、という言葉は大義名分であり、また呪縛でもあった。それをよく理解している無功は、薄ら笑いを浮かべて葛葉を見つめるだけでよかった。


 後ろからは砂を噛む芙蓉の足音。

 ひそやかに空気を震わせる先から、冷気を含んだ暗闇へと消えていった。


 夜空には月が大きくかかり、二人の姉妹を照らしている。

 やがて二人は葛葉の天幕へたどり着いた。


 小さく頭を振る葛葉を、白布がじっと見つめている。

 風はない。月の光だけが冷たかった。


「姉さん?」

 ぽん、と葛葉の頭に包帯を巻いた手が置かれた。そのまま優しく撫でつける。


「あはは、くすぐったいって。心配いらないから、姉さん」


 芙蓉は緩慢な動作でひとしきり撫でると、そっと手を放した。そのまま葛葉に背を向け、彼女の天幕の入り口へ向かう。


 そこには大きな長い匣が置かれていた。


「あ、今用意するから」


 葛葉は慌てて芙蓉を追い越すと、急いでその前に立った。


 匣は白木造りで、何の装飾も施されていない。いたって簡素な造作であるそれは、ちょうど人ひとりがすっぽりと収まるくらいの大きさだった。


 葛葉は匣の上蓋を横へスライドさせた。鈍い音を立てながら、匣の口が開いていく。そろりと冷気がこぼれだし、葛葉の頬を音もなくかすめた。


 その内側には無数の黄色い符が張られていた。


 半分ほど上蓋が開いたのを確認した芙蓉は、ゆっくりとした動作で匣の中に横たわった。胸元で静かに手を組む。眠りにつくという合図だった。


「父さんの道術ってほんとに便利よね。この符のおかげで、中は冷え冷えなんだもの。応用すれば冷蔵庫とかにできそうだし」


 葛葉はそうこぼしたが、その瞬間、無功が冷えた葡萄酒を飲んでいたのを思い出した。


 芙蓉の首が左に傾けられる。葛葉は微笑みを向けると、


「お休みなさい、姉さん。また明日ね」


 葛葉はそう告げると、そっと蓋を動かした。芙蓉を濡らす月光が少しずつ減退する。やがて小さくきしむ音を残して、蓋は完全に閉ざされた。


 薄手の夜着に着替えた葛葉は、すぐさまベッドに飛び込んだ。ベッドはフカフカで、柔らかい。これも隊商たちが用意してくれたものだった。


 無功一家と呼ばれることもある三人は、このオアシスでは有名であり、人気者でもあった。専ら義に厚いと称えられる不良道士と、その娘である姉妹。超絶武芸を奮い、並みいる男どもをなぎ倒す「砂上を舞う鳳鳥」こと葛葉。全身白ずくめで、ミステリアスな雰囲気を醸す芙蓉。


 そんな三人だからこそ、黙っていても誰もが支援してくれた。天幕然り、食事然りである。そして奇異な装束をしている芙蓉にも、不審な目を向ける者はただの一人もいなかった。


 ただ、無功が一体どうしたわけで、人々から仰ぎ見られているのかはわからない。確かに道術は不思議な力ではあるが、葛葉に目に映る無功は、金と酒に意地汚く、昼間から酔っている不良道士の手本のようなものだったから。


 葛葉は目を閉じた。脳裏に、かつて無功から教わったことが次々と浮かんでくる。


 ――いいか、葉児。お前の身に付けた「玄女九剣げんじょきゅうけんは最強だ。どんな野郎にも、決して負けない、無敵の剣術なんだ。


 ――そして内功と軽功だ。この二つが上手くかみ合えば、お前は舞台の上でずっと主役を張っていられる。舞台を縦横に駆けて、衆目を掠うんだ。


 体内を流れる気を自在に操り、身体だけでなく外物までも補強できる内功。そして我が身を羽のように軽くし、飛鳥のように駆けることを可能にする軽功。剣術も功力も、全て無功から授かったものだった。


 言われるままに比武を始めた最初の頃は、おっかなびっくり戦っていたが、葛葉はすぐにコツをつかんだ。


 ――しかし、この辺りでの興業も結構こなしたが……そのおかげでお前のファンもずいぶん増えた。生まれ持った美貌と、無双の武芸。心惹かれないわけがねえ。玉門関からこっち一帯は総なめだぜ? ヒロインとしては申し分ねえ。


 いやらしい物言いは癇に障ることが多かったが、ヒロインとして持ち上げてくれるのは正直、気分がよかった。何より、姉と慕う芙蓉のため、剣を振るっていることが、葛葉の心を高揚させた。


 ――葉児。これだけは絶対に守るんだ。いいな、剣だけは常に携帯しろ。一瞬でも身から離すんじゃねえ。便所も、風呂に入るときも、当然寝るときもだ。何が何でも忘れるな。剣はお前の生命線なんだ。いいな、絶対だぞ。


「ウザ……過保護かっての」


 葛葉は抱いていた剣に力を込めた。

 胸元から下腹部、足の先まで、金属のひんやりとした感触が伝わってくる。

 一条の冷気が、少し火照った体に心地よかった。


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