唐突ナ受ケ入レ
夢が妙にリアルだと、現実だったのではと混乱することがある。
たとえば学校に行った夢をみたとき。
起きてすぐに次の日だと錯覚したり、損した気分になったりする。
それでも夢は脳内で作りだしたものだから、よくよく考えてみれば至るところで矛盾点を見つけられる。
「……で、あれは夢だったんだろうか」
朝食の焼き魚の身をほぐしながら、虎太郎は力なく呟いた。
何度思い返しても鮮明に浮かび上がる、あの奇怪な生き物の姿。
喋るオオカミにチャラそうな青年。
施設に戻ってベッドに入るところまで、残念なことに矛盾点はひとつも無い。
はたして、昨日の出来事は全て夢だったのだろうか。
「こーちゃん、ボクのお水!」
ふと、隣から幼い声がした。
視線を声のした方向に向けると、虎太郎と同じテーブルでご飯を食べていたちびっ子のうちの一人がこちらを見上げている。
涙を浮かべているのは、おそらくコップをひっくり返してしまったせいだろう。
「あー、零しちゃった? 服は濡れてない?」
自分の箸を置いて立ち上がり、虎太郎は台拭きを手に取った。
半分以上飲み終えていたようで、コップの周りにできた小さな水溜まりを拭き取ってやる。
ついでにデザートのミカンの皮を剥いてあげると、再び箸を握った。
「いつもありがとうね」
そう申し訳なさそうに眉を下げたのは、施設の職員である豊永だ。
歳の近い者同士で食卓を囲むほかの中高生とは違い、虎太郎はいつもちびっ子たちと食べている。
それは孤立しているからという訳ではなく、単に世話好きの性格ゆえの事だった。
けれど、それを理解していてもなお、豊永は複雑な気持ちになるのだろう。
虎太郎は軽く頷いてから、白米を焼き魚とともにかき込んだ。
やはり朝食は和食に限る。
「虎太郎くん、お食事中にごめんね」
ゆっくりと味わっていた虎太郎は、ふと男の職員に声をかけられて顔を上げた。
(ソーシャルワーカーの人かな?)
子供たちの生活を支える職員ではないのか、あまり話したことのない人だ。
虎太郎の様子から察したのか、その職員は優しげな笑みを浮かべたまま膝をついた。
「えっと、初めましてだよね。僕は里親支援ソーシャルワーカーの堀内と言います」
「里親支援……?」
抑えられた声量につられて、虎太郎も小さく聞き返す。
堀内は困惑する虎太郎にひとつ頷いて、慎重に口を開いた。
「朝ごはんが終わったら応接室に来てくれるかな?」
その一言だけで何となく予想がついて、虎太郎は一瞬顔を強ばらせた。
里親支援をする人からの呼び出しといえば、用件はひとつしかない。
「……俺、里親に引き取られるんですか?」
不安な気持ちを隠すことなく問う。
けれど、堀内は明確な答えを口にすることなく立ち去ってしまった。
ちびっ子たちの世話を豊永に任せ、虎太郎は急いで食器を片付ける。
ダイニングルームから出る虎太郎を、豊永は本人より何倍も心配そうな表情で見送った。
応接室は一階の園長室の隣にあり、子供たちの生活する場所よりもオシャレで寂しい内装だ。
壁にゾウやキリンの絵が描かれていないし、革張りのソファーやガラスのローテーブルが置いてある。
そんなこぢんまりとした部屋の中で、堀内と園長が並んで座っていた。
彼らの正面には、同じく革張りのソファーがあり、そこにスーツ姿の男女が腰を下ろしている。
虎太郎がノックとともに部屋に入ると、四人の大人は揃って優しい笑顔を顔に張りつけた。
「虎太郎くん、早かったね」
まず最初に口を開いたのは、先ほど虎太郎にここへ来るよう伝えた堀内だった。
「僕の隣に座ってくれるかな」
堀内にそう促され、虎太郎は大人しく園長と堀内の間に座り込んだ。
「もしかしたら、もうなんのお話か気づいているかもしれないけど、君を引き取りたいという方がいるんだ」
虎太郎は相槌を打って、先を促す。
それを受けて、今度は園長先生が虎太郎に言った。
「私たちは里親委託を推進している。けれどね、君の気持ちを一番大切にしたいんだ。だから今からするお話に少しでも嫌だと感じたら、遠慮なく断ってほしい。いいね?」
「……分かりました」
了承すると、向かいに座っていたうちの男の方が居住まいを正した。
「虎太郎くん、こんにちは。……いや、初めましてのほうがいいかな。私は杵築直臣。御先堂という予備校の学長をしています。隣に座っているのが、秘書の伊勢紫咲さん。よろしくね」
白髪まじりの男性と初老の女性に軽く会釈しつつ、虎太郎は二人のことを観察した。
(二人とも優しそうだけど……なんだろう、ピリピリしているというか、緊張感があるというか。厳粛って言葉がぴったりだな)
それから気になったのは、明らかに二人が夫婦ではないということだ。
名字が違うし、杵築という男は女性のことを秘書だと紹介した。
つまり──
「……俺は里親に引き取られる訳では無いんですね」
杵築に向けてそう言うと、彼は手を組んで前屈みになった。
「鋭いね。話が早くて助かるよ。うん、君が言う通り、私たちは里親じゃない。でもね、我々は君と家族になることを望んでいる。そして仕事仲間になることもね」
そう言って、杵築はA4の封筒を虎太郎に差し出した。