僅カナ救イ
木枯らしに吹かれ、急激に体が冷えていくのがわかる。
張り付いたシャツが気持ち悪くて、虎太郎はもぞもぞと起き上がった。
体中が痛み、顔をしかめる。
「今日はやけに本格的だな」
誰もいなくなったグラウンドに、虎太郎の呟きが虚しく溶ける。
いつもなら小さな嫌がらせだけで終わるのに、今日は初めて暴行を受けた。
しかも、律儀に窓のカギまで閉めてくれたものだから、おかげで虎太郎は部屋に戻れない。
勘違いされそうだから言っておくが、施設の職員たちは決して鬼ではない。
彼らはどんな子供にも平等に扱うし、正しく大人になれるよう教育している。
ただ、残念ながら彼らの張り巡らせた穴だらけの網に、和希たちの嫌がらせは引っかかっていなかった。
いじめはダメだと常々口にしているくせに、実情は盲目的で表面的だ。
まぁ、虎太郎には彼らを責めようとは思えなかったが。
どこらへんから虐めなのか。そういう判断は第三者には難しいだろうし、何より和希たちは巧妙に彼らの監視の目をかいくぐっている。
そんなところばかり上手くなって、一体何を目指そうというのか一度聞いてみたいところだ。
……あぁ、わかった。犯罪者か。
「こういう風に生まれるのか、犯罪ってものは」
いや、そもそも虐め自体が立派な犯罪だ。
誰かに告げ口してみようか。
そこまで考えて、虎太郎は首を振った。
たとえば職員や心理士に相談して施設を変えたとする。
それで何が変わるのだろう。
もちろん和希たちと関わることはなくなるが、またその先で虐めが起こらないとは限らない。
それに、と虎太郎は脱いだシャツを雑巾みたいに絞りながらため息を吐いた。
今は自分に焦点が向けられているが、立ち去れば他の人に矛先が向いてしまうかもしれない。
それが和希の取り巻きならば全然良い。
むしろ万々歳。
だけど、上下関係の厳しいここでは、下の子たちが標的になる可能性の方が高いのだ。
虎太郎は別に孤立しているわけではなくて、ちびっ子たちには寧ろ好かれているほうだった。
世話好きの性格のおかげか、学校のない日は必ずと言っていいほどちびっ子たちに囲まれる。
遊んでやったり、小学生には勉強を教えることもある。
あの子たちに虐めの矛先が向くのは嫌だった。
(まぁ、施設に居る以上、だれでも起こりうることだけど)
養護施設はけして楽園ではない。
酷い両親や環境のところに居るよりは遥かにマシだと思うが、それでも施設に入って「はい、幸せゲット」とはならないのだ。
施設側も最善を尽くしてはくれているのだが、まぁ人が集まるところに悪因縁が息巻くことを止めるのは難しい。
大人同士でもあるのだから、常識の備わっていない子供同士ならばなおさらだ。
(ここから出るとか言っておいて、結局俺にはできないんだろうな)
夕日が虎太郎をあざ笑うように、この世界から逃げ出した。
明日の朝には戻ってくるのだが、休めるだけ羨ましい。
そして、今度は闇夜に浮かぶ半月を見上げる。
夕日の代わりに世を照らす月。
その乳白色が、虎太郎にはどうしてもチビッ子たちに見えてしまう。
誰かがいなくなれば、その代わりを誰かがしなければいけない。
月と太陽はそんな世の中の仕組みを体現しているように思えた。
結局、虎太郎は夕飯時になって職員に発見された。
虎太郎がびしょ濡れで突っ立っているので、悲鳴を上げてお風呂に突っ込まれ、そして根掘り葉掘り事のあらましについて聞かれた。
豊永という五十半ばの女性職員で、虎太郎のことを自分の子供のように可愛がってくれている人だ。
『みんな平等』が施設の教育理念なので、悪いことをしたらしっかり怒られるが、絶対に見放されることはない。
母親がいたらこんな感じだろうかと虎太郎はひそかに思っていた。
「こーちゃん、さっきも聞いたけど、本当に部屋の掃除をしなかったの?」
グラウンドに出される前に他の職員からは尋ねられなかった言葉に、ぐっと言葉が詰まる。
最初のころは他の人たちも虎太郎のことを信じて、和希たちの言葉を真に受けなかった。
けれど、同じようなことを何度も、しかも大勢の口から言われ、そのたびに虎太郎の言葉は信ぴょう性を下げていった。
これもある種の『平等』だ。
多かったほうの意見を採用することは、全体的に見れば平等で合理的な判断と思える。
いくら少数派が声を荒げたところで、多数派や決定者は痛くも痒くもないのだから。
そんな中、豊永は虎太郎の話をきちんと聞いてくれようとする。
それがどんなに虎太郎の心を温かくさせていることか。
しかし、虎太郎は少し微笑んだだけで答えなかった。
彼女に真実を言って、それでどうなるというのだろう。
今の境遇が変わるかといえば、ちょっと分からない。
それより「告げ口した」と波風を立てて、和希たちの怒りを買うことの方が確率は高い。
(だったら黙っていた方が楽だ)
心配そうに眉を下げる豊永の目を避けるように、虎太郎は部屋に戻った。




