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第一章  喪失の予感 (3)

(3)


 明くる日の午前。過敏になっているマリアベルの神経を逆なでするかのように、テオ=ハイボンという男がやって来た。

 例の件でよく眠れなかった彼女は、だらだらと身支度をして、彼を長く待たせた。ようやく応接間兼居間へ足を運ぶも、謝罪する気は皆無である。

 「マリー、久しぶりだ」

 不機嫌なオーラをものともせず、テオは笑みを浮かべて彼女を迎えた。やや目尻が下がり気味のくっきりとした双眸に、強く通った男らしい鼻筋。瞳と同じ色の茶の髪は、一見自然に見えて実はよく手入れがされている。長い手足は、応接椅子に座ったままの彼が長身であることをうかがわせるに十分であった。要するに、異性に騒がれるタイプの男である。

 しかし。

 薄い唇に乗った卑猥な微笑や、応接椅子の背もたれに上げて伸ばされた腕、横柄に組まれた両足。他人の家へ上がりこんでいるというのに礼儀の欠片も見えぬ態度は、決まってマリアベルを苛立たせるのだった。彼の身を包むのは、高級な絹織物や宝石を散りばめた、派手極まりない上着である。金の首飾りが輝く首筋からは、過剰なほど香水が香っていた。

 相変わらず、くだらない男。マリアベルはうんざりした。

 「何か用?」

 「つれないな。用がなくたって、顔を見たくなれば会いにくるさ」

 「古いけれど、私の肖像画が倉庫にあるわ。持って行っていいから、二度と来ないでちょうだい」

 辛辣な言葉にも、この男は慣れたものである。笑みを貼り付けたまま、肩をすくめた。

 「まあ、いいから座れよ」

 「ここは私の家よ!」

 噛み付く勢いのマリアベルへ、テオは小馬鹿にしたような微苦笑を浮かべる。

 「俺の家になるかもしれないんだぜ」

 「あなたと結婚するくらいなら、舌を噛んで死ぬわ」

 マリアベルは苛立ちを露わに、彼の向かいの応接椅子へドンと腰を下ろした。テオは満足げに、ゆったりと足を組み換える。

 「おまえ、26にもなって尊大だな。行き遅れもいいところだっていうのに」

 「はなから結婚願望がありませんから。周りがなんと言おうと、知ったことではないわ」

 テオは、見下すように鼻をならした。

 「ま、そのうち俺に泣きついてくるんだろうけど。他に貰い手なんか見つかりやしない」

 「あんなに可愛らしい無垢なお嬢さんを、散々利用して捨てる男になんか、誰が泣きつくもんですか」

 マリアベルの糾弾にも、テオは全く動じない。

 「捨てただなんて、誤解だ。向こうが一方的に離婚を決めたんだぜ」

 「彼女との結婚のおかげで財界に多くの糸口を作っておいて、よく言うわよ。そして、離婚のおかげで、今度は別の女を利用できるというわけね」

 「幼馴染のおまえに対して、そんなこと考えもしないさ。だいたい、おまえをどう利用しようっていうんだ?」

 言葉につまるマリアベル。確かに、彼女はテオの飽くなき欲望を満たすようなものを、何一つ持たない。情けないほどに。

 テオは再び、満足げにゆったりと足を組み替え、笑んだ。

 「ほらな。俺の気持ちをわかってくれたか?」

 「反吐が出るわね」

 吐き捨ててから、マリアベルは精一杯凄むように目を光らせた。

 「テオ、この際だから聞いておくわ。ハイボン家はなぜ今さら、ノックロックの領地を欲しているの?」

 テオは、含みのある笑みを見せた。

 「さあな。大方、あまりの貧乏さを父上が見かねたんじゃないのか。ハイボンとノックロックは、一応、長い付き合いなんだし」

 「あのおじ様が、お情けですって! 考えられないわ」

 「俺の知ったことじゃないさ」

 まんまと受け流し、テオは軽薄に微笑む。

 「そんなことよりマリー、もっと楽しいおしゃべりでもしようぜ」

 「あなたとなら、何を話しても楽しめない自信があるわ」

 「何か悩みとか、困ってることはないか?」

 「あったとしても、あなたにだけは相談しません」

 取り付く島もない。テオは呆れたように、笑みを浮かべながら肩をすくめた。

 「少しは相手をしろよ。そんなことだから、ノックロックはいつまでも日の目を見ないんだ」

 「放っておいて。私も領民も、貧しいながらも幸せなのよ。あなたには、一生わからないでしょうけれど」

 テオは大仰にため息をついた。立ち上がることで、暇を告げる。

 「せいぜい勘違いしていろよ、女領主様」

 嘲笑を残して、彼は去った。

 軽い頭痛を感じ、マリアベルはこめかみに指を当てる。

 実は、こんなにも堕ちたあの男が、マリアベルの初恋の相手だったりする。

 テオは昔、同い年の男の中では、飛びぬけて大人びていた。甘いマスクに、頭の回転の早さと決断力。幼かった頃、どんなに胸がときめいたことか。

 ところが。成長につれて、口元には下卑た笑みが張り付き、賢さは計算高さへと変わっていった。ちょうど10年ほど前、スリノア内乱の時期、どの領主も忙殺されており、あまり彼と関わることもなくなったのだが、その間に変貌を遂げたことは確かである。

 もはや、淡い気持ちはかけらもない。何が彼を変えてしまったのかさえ、どうでもよかった。

 「二十分も無駄にしたわ」

 一人つぶやき、彼女は自室へ引き返した。

 警告状と監査員来訪の噂は、嫌でも領内に広まるであろう。対応の準備や領民のケアなど、やるべき仕事は山ほどあるのだ。彼女の愛しい故郷であるこの領地を、守るために。


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