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第五章  守られなかった約束 (3)

(3)


 ジュード=ノックロックは、頑なに黙して、自宅の応接室兼居間のソファへ腰かけていた。彼の向かいには、姉の友人、イライザ=メイヤーが腕を組んで座しており、ふてくされている彼をじっと射抜いている。

 ジュードは、このイライザが苦手であった。姉と似た論理性と潔癖さで、いつも正しい指摘をする。姉が領地を去ってからというものの、まるで姉に代わって彼を見守る任を託されたかのように、よく顔を出しては小言を呈した。

 「何が気に入らなかったのか、きちんと話しなさい」

 姉よりは幾分、いや、かなり柔らかい口調だと思う。それでも彼は、姉に対するようには、素直になれない。

 イライザが話しているのは、今日の昼間に行われた、ジュードの見合いのことであった。北東地方の領主の娘が相手であったその見合いは、誰もがまたとない良縁だと言うほどに、恵まれた機会であった。鉱石の採れるその領地は比較的豊かで、友好関係を築けたならば、ノックロック領としても利となる。また、北部の領主たちの交流会でジュードを見初めたという娘は、よく気のきく印象を与える、16歳の可憐な乙女である。小奇麗に身を飾ったその様から、決して贅沢を望まず、夫をたてて穏やかな暮らしを望むであろうと思わせた。

 「ジュード。答えるまで、何度でも聞いてあげるわ」

 同席していたイライザは、相手一家が夕刻に出立してからもなお、この館に留まり、夕食を共にしたのだった。ジュードの父は元々気弱なうえに今は病気がちなので、ジュードをきちんと叱ってやれるのは彼女だけなのだ。もう夕食も終えて落ち着き、頭も冷えただろうと、いよいよ核心へ迫ったのだった。

 「一体、何が気に入らなかったの?」

 ジュードは19歳になり、もうすっかり大人の青年である。領主としての振る舞いも板につき、上に立つ者の貫禄も出てきた。しかし、女の話となると、こうして反抗期の子供のように意固地になる。容姿もなかなかに端麗で、未だ独身のジュードには、よくこうして縁談の話が持ちかけられるというのに。

 イライザの視線に耐えられなくなり、ジュードはとうとう、嫌々ながら応えた。

 「イライザは僕にこう言わせたいわけでしょう、『別に不満はありません』。それで次に、だったらなんで断ったのと聞くわけですよね。僕がなんて言うか、わかっているくせに」

 「ええ、そうよ。おっしゃるとおりですわ、領主様」

 毅然としたイライザの言葉に、ジュードは頭をかきむしりたくなる。一人前の男としてだけでなく、領主としてもふさわしくない選択をしたと、暗に言われたのだ。

 そんなこと、言われなくてもわかっている。あの娘は可愛かったし、話していても違和感がなかった……いや、本音を言えば、とても楽しかった。領民にも、より豊かさを約束できる。今まではひとつくらい難癖をつけることができたものだったが、今回に限っては、断る理由なんて、皆無だった。だから、こうして困ってしまったのだ。

 「しっかり口に出して、言いなさい。そして、認めなさい。せめてそれくらい成長してもらわないと、理由も言われずに断られたあの娘が、可哀想でならないわ」

 イライザの指摘は、どこまでも正しい。逃げ道を与えてくれないから、とても窮屈だ。

 僕だって、あの娘があんなふうに泣くなんて、思いもしなかった。ジュードは胸を痛めながら、思い返す。交流会のときに、ちょっと話して、一曲踊っただけだ。そんなに強い気持ちを持たれているだなんて、想像もしなかった。彼女が流したのは、決して、自尊心を折られたというような、屈辱による涙ではなかった。

 知り合って間もないのに、どうしてあの娘はあんなに傷ついた目で、一生懸命、泣き笑いして見せたのだろう。どうして、僕なんかに。

 イライザは黙したジュードへ、最後の警告をした。

 「ジュード。あなたがこんなことをしていると知ったら、マリーはどう思うかしらね」

 姉の名は、彼をしょげさせる魔法の言葉であった。例に漏れず、ジュードはうなだれ、ついに、小さな声で告白した。

 「……姉上と、仲直りしてからがいい」

 次に会ったときは、素直に謝ろう。こんなことをもう四年も続けているだなんて、愚かにもほどがある。

 ジュードがこのとき決意したのは、そのことだけではなかった。これまで目を背けてきたことへ、向き合わねばと感じた。

 義兄をいくら恨んで嫉妬したとて、何も変わりはしない。この際、全て受け入れよう。そして、あの娘にもご両親にも、ちゃんと、謝りたい。許してもらえなくても、精一杯、誠意をこめて。虫のいい話だけど、あの娘がもう一度、笑ってくれるといいな。

 ジュードが諸々決意したのを見て取り、イライザが微笑んだ、まさにちょうどそのときだった。領主の館の扉が叩かれ、警備隊員が二人、血相を変えた様子で現れた。

 ただならぬ気配に、一人だけ雇っている召使いを脇へ制して、ジュード自らが戸口で応対した。イライザも怪訝そうに隣へ並んだ。

 「マリアベル=ライト様は、こちらへおいでではありませんか?」

 テオ=ハイボンが、マリアベルを誘拐し、この辺りに来たはずだ。

 彼らが語った報せは、ジュードを真っ暗闇に叩き落した。イライザがいて良かった、と彼は心から思った。臥せっている父に、こんなことを話せるはずがない。この恐怖と怒りと焦燥を共有できる人間がそばにあることは、彼をいくらか慰めた。

 警備隊は警備隊で、己の首がかかっているために蒼白であった。彼らはマリアベルが姿を見せたらすぐに詰め所へ伝えるよう言い置き、慌しく去っていった。

 「なんてこと」

 イライザが立ち尽くしたまま、それだけを言った。

 ジュードは茫然自失で、様々なことを考えた。どうして最近音沙汰なしだったテオが。なぜ英雄は姉を守ってくれていない。この辺りに来たはずだって、どうしてノックロックへ。

 しかし、一番強かった思いは、紛れもなく、自身への怒りだった。

 「……僕が悪いんだ」

 思わず、口に出していた。

 「僕がちゃんと領主らしくしなかったから、神様がお怒りになったんだ」

 まるで子供のようなことを言っている、と、自分で思った。しかし、本気でそう考えたのだから、仕方がない。領主として恥じぬよう働き、立派に振舞うことは、彼にとって姉との約束のようなものだった。それを破ったから、こんなことが起きたのだ。

 「いいえ、違うわ、ジュード」

 イライザの声が震えているのに気づき、ジュードは驚いて彼女へ目を向けた。姉の友人は、見たこともないほど動揺し、顔は泣きそうに崩れていた。

 「悪いのは、きっと私よ。ついこの間、テオにマリーのことを話したのは、私だもの」

 テオに会ったのは、たまたまだった。貴族の集まる社交の場に、彼はたいてい招かれ、出席している。もう彼がマリアベルの話をしなくなってから二年以上も経っているし、「噂じゃ幸せそうだって、良かったな」などと吹っ切れたように言ったので、『取引』のことと、それだけが心配であるということを話してしまったのだった。テオは特に動じた様子もなく、「馬鹿なやつ」と肩をすくめただけだったのだが。

 「まさか、こんなことになるなんて。ごめんなさい、マリー、ジュード」

 軽率な己を呪うように、イライザはその場へ泣き崩れた。ジュードは膝をつき、姉上はきっと無事です、と気休めを言って必死になだめた。

 こんなとき、どうするのが正解なのだろうか。ジュードは途方に暮れた。恐怖や怒りを堪え、ただ黙って待つことしか、できないのだろうか。そうかもしれない。姉の連れ去られた先を特定できたところで、無力な彼にはどうすることもできないのだ。こうして、目の前の女性をなだめながら、気を紛らわすことしか。

 再度、館の扉が叩かれた。切羽詰ったような、強いノックだった。ジュードは血の気が引くのを感じながら、開いています、と呼びかけた。警備隊が出て行ってから、鍵をかけることもなく戸口でやり取りをしていたのだ。

 すぐさま、来客が飛び込んできた。

 ひどい目の隈に、無精髭。しかし、双眸だけは力強く輝いている。

 彼の義兄、ベノル=ライトであった。


 ベノルは出し抜けに、警備隊と同じく、マリアベルは来ていないかと尋ねた。いつも澄んで響く英雄の声は、ひどくかすれていた。顔色も良くない。

 ジュードはそれらを見て、突然、冷静になった。警備隊への重要な情報伝達は、夜を徹して交代で馬を走らせる伝令によって為される。それを受けてここを訪れたはずの警備隊員と、ほぼ同時刻に、この男はここへやってきた。それがどういうことなのかを理解したとたん、急速に頭が冷えた。

 彼は召使いに、急いで水を持ってくるよう指示した。苛立ったように返答を迫るベノルの声は、完全に冷静さを欠いていた。だからこそ、ジュードは努めて、ゆっくりと告げた。

 「まずは水を飲んで、何か胃に入れてください。そして、何が起きているのか、説明してください。僕は彼女の弟です、説明を受ける権利があると、思います」

 ベノルは牙を抜かれたように、やや目を瞠ってジュードを見つめた。そこへ水が届けられた。彼は受け取り、一気に飲み干した。やや強張りを解いて息をつき、ベノルは言った。

 「君の言うとおりだ、ジュード。説明しよう。だが、私は急いでいるのだということも、分かって欲しい」

 「ええ、様子から一目瞭然ですよ。とにかく中へ。イライザ、立てますか?」

 濡れた目を白黒させるばかりであったイライザは、ジュードの腕を借りて応接椅子まで戻った。ベノルはそうして移動する数秒をも惜しむかのように、もう話し始めていた。

 「マリアベルが誘拐された。犯人は、テオ=ハイボンとされている。彼女の部屋からは、ノックロックの家宝も消えていた」

 ここでようやく全員が椅子についた。ベノルはすぐにでも出るつもりなのか、浅く掛けた。ジュードは召使いに、水をもう一杯と、すぐに食べられる何かを出すようにと手短に指示した。

 「ここまで言えば、領主の君ならば分かるだろう。マリアベルは十中八九、東にある遺跡へ連れて行かれたはずだ。すぐにそこへ行き、彼女を救い出さねば」

 「なるほど。わかりました」

 ジュードは覚悟を決めて、英雄へ挑んだ。

 「では、すぐに警備隊へ、遺跡に向かうようにと伝えます。貴方は客室でお休みください」

 ベノルは怒りともとれるような強い眼差しを向けてきた。疲れの色が濃い彼の全体の中、緑の双眸だけは覇気に満ちているのだった。

 ジュードは姉を真似るように、辛辣に続けた。

 「二日間、不眠不休で、ろくに食べずに馬を飛ばしてきたのでしょう。いくら国の英雄でも、貴方は人間です。そんな状態の貴方が行くよりも、警備隊へ任せた方が、姉を上手に助け出してくれると、僕は期待します」

 イライザが、横で息を呑むのがわかった。かまわず、ジュードは更に言い募る。

 「救いに行くはずが行き倒れてしまったなど、笑い話にもなりません。遺跡はノックロックのものです、僕の許可なしに出入りは禁じます」

 召使いが気まずそうに、水とパン、そして干し肉を、テーブルに置いていった。

 ベノルがそれに手を伸ばす気配は、全くなかった。恨むような暗い目でじっとジュードを見据え、彼はこう言った。

 「ジュード。君は妙に落ち着いているな。マリアベルが心配ではないのか」

 なんて愚かな質問をするのだろう、とジュードは英雄を哂いたくなった。彼は黙ってすましたまま、テーブルの上の食べ物を眺めて見せた。

 ベノルは察したようだった。苛立った手つきでパンをひとつ取り、水と共に胃に流し込んだ。

 ジュードは、この義兄へ初めて、にっこりと笑いかけた。

 「とはいえ」

 面食らった様子のベノルへ、彼は至極穏やかに告げた。

 「やっぱり姉上は、貴方が救いに来た方が喜ぶのでしょうね。こんなに大事に、愛されているのですから」

 ジュードは召使いへ、大至急、馬車を呼んでくるようにと命じた。

 「さぁ。馬車が来るまでに、少しでも召し上がってください。身を改めたいのであれば、水も衣類も剃刀も、自由にご使用ください。ここから遺跡まで、夜だと約二時間で着くでしょう。その間、姉上を救うためと思って、仮眠をとることです」

 ベノル=ライトは、大きく息を吐くと同時に、爛々とさせていた双眸を閉じた。鞭打って強張らせてきた全身の力を抜き、椅子へ深くもたれた。

 「ジュード、すまない。君の大切な姉上を、さらうようにして奪っておいて。必ず、無事に救い出してみせる。必ず」

 「頼みますよ。僕としては、テオよりは貴方の方が、いくらかマシですから」

 またも辛辣な一撃に、英雄は目を閉じたまま苦々しく笑んだ。それを見て、ようやく落ち着きを取り戻したのか、イライザも微苦笑を浮かべたのだった。


第六章へ続く

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