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第四章  情熱の詩 (2)−2

ふたつにわけたエピソードの、続きです。

遠くの領主の館で、旧友の詩人と再会したマリアベル。もっと話していたいのに、ベノルに割り込まれて、ムッとしています。そのまま、夜のパーティーが始まってしまいました…。

(2)−2 


 パーティーでの最低限の挨拶回りを終えると、マリアベルは落ち着きなく会場を見渡した。

 挨拶回りというと、少し語弊がある。ベノル=ライトのそばには多くの貴族が入れ替わり立ち替わりで絶えることがないため、自ら動くまでもなく、挨拶をこなすことができてしまうのだ。しかし、その輪から抜け出すタイミングをうまく図らねば、気づくとパーティーが終わってしまう。気ばかりが焦って、すでに残り時間は少なかった。

 会場の端に佇むフィンの姿を見つけると、マリアベルは飲み物をかえるふりで、そっと人の輪を離れた。環境の変化による隔たりや、周囲への体裁など、彼女にとってみれば実にくだらないことであった。そんなことで、あの素晴らしい青春の日々を懐かしむことが許されないだなんて、という意固地な気持ちもあったかもしれない。友人と思い出を語らうだけなのだから、何も咎められることではないのだ。彼女は堂々と会場内を横切っていった。

 詩人は、静かに目を閉じていた。

 詠うための言葉を、探している様子であった。その完成された静謐さは、マリアベルが手をのばすことを一瞬、躊躇させた。彼の周りだけ、高尚な空気が凝縮され、彼を守っているかのようだった。

 「フィン。こっちへ」

 ローブの袖を軽く引き、マリアベルは小さな声で彼をガラス戸の外へ誘った。フィンは目を開け、自分を呼んだのがマリアベルであると気づくと微苦笑したが、さしたる抵抗を見せずに共にテラスへと出た。

 「ああ! なんて静かで気持ちいいの」

 熱が籠もり、ざわつく会場内から一転。冷えた夜の空気と静けさが、マリアベルを解放感で満たした。

 「幸せいっぱいのご夫妻の詩は、完成したの?」

 藍色のナイトドレスをひるがえし、マリアベルは笑顔で大きく振り返った。フィンは微苦笑のまま、小さくうなずく。

 「ならば、もう仕事はおしまい。私と思い出話をしましょう!」

 相変わらず強引な女性だ、とフィンは笑って手すりへ寄った。マリアベルもそちらへ移動したが、大きく胸元の開いたドレスのデザインを意識して、彼と向き合わないように横へ並んだ。

 このテラスからは、夕刻に二人が再会した庭を見ることができる。しかし、それは今、静かに闇に包まれており、花たちの呼吸する息遣いと、微かな水のせせらぎだけが在った。

 「私、あなたの書く詩がすごく好きだったのよ」

 「ありがとう。僕は少し不思議だったよ。農業科に所属する女性が、よく文学科の授業に出ていたからね。それも、本業には全く手を抜かずに。皆、尊敬していた」

 「本当は、歴史や文学に興味があったのよ。農業は領地のため。あなたと文学の話をするのは、とても楽しかったわ。あなたの書く詩は、情熱的で」

 マリアベルは、艶やかに笑んで見せた。

 「私が卒業する直前に、あなた、マリアっていう女が出てくる詩を書いて発表したでしょう? あれ、読んでいてドキドキしちゃったわ。まるで自分が愛を告白されているみたいだった!」

 「それは良かった。君に覚えていてもらえたなら、あの詩も浮かばれる」

 あくまで柔らかく静かなフィンの声音であったが、それはマリアベルの鼓動を高めた。彼が続けた言葉は、なおさら彼女の身を熱した。

 「今だから言えるけれど、あれは君のために書いたようなものだから」

 彼の胸には、まだライラックが差してある。

 「花言葉……『初恋』」

 思わず口にすると、フィンは黙したまま、儚く微笑んだ。

 マリアベルは、どうしたら良いか分からず、頬を染めたままに彼から目をそらした。

 冷えた夜風が、二人を撫でた。

 鼓動が少し落ち着いてから、マリアベルは、ささやくように問うた。

 「どうして、直接伝えてくれなかったの?」

 「君と離れることは、決まっていたからね」

 フィンの声は、達観の極みにあるように静かだ。

 「領主の娘さんを奪う度胸なんて、なかったよ。かといって、婿入りして領主を務めるなんて、僕にはできない。だから、詩に閉じ込めて忘れようとした。なかなか、うまくできなかったけれど」

 詠う詩は情熱的であるのに、彼はかくも冷静であった。マリアベルは、当時二十歳であった彼の大人びた思考へ惹かれると同時に、どこか物足りなさを感じた。

 「君が一番好きだった詩人は、チェスター=オールウィンだったね」

 フィンは、ゆったりと海へ向かう河のように、自然な調子で言葉をつむいだ。

 「彼の詩を暗記して、君と競うように読み合わす時間は、僕とって至福の時だった。君さえ嫌でなければ、ひとつだけ、どうかな」

 青春の頃の甘い気持ちと、もう戻れぬそれへの哀愁。その魅力へ堕ちるように、マリアベルは、一番気に入っていた詩を口ずさんだ。

 「『僕は木の葉よりも青ざめただろう  言葉は二度と消すことができないというのに  それを貴女へ差し出してしまった』」

 「『かの深海よりもさらに深い底  僕は後悔している  たぎる想いは雫のように葉を滑り落ちてしまった』」

 「『それでも……』」

 マリアベルが詰まった理由は、二つあった。ひとつは、哀しくも記憶が曖昧だったこと。もうひとつは、背後のガラス戸が開く音に気を取られたこと。

 振り返ると、ベノル=ライトが微笑なく佇み、マリアベルを見ていた。

 「『それでも  願ってやまない』」

 世界へ閉じこもるように、マリアベルはフィンへと向いた。早口に続きを詠う。

 「『愚かにも僕は  願ってやまない』」

 「マリアベル」

 声の主は大股に歩んで二人の世界へ踏み込み、彼女の腕をつかんだ。とても紳士的とは言えぬ、荒れた手つきで。

 「『雲ひとつ浮かばぬ乾いた空に浮かぶ月や  頑として果てを見ぬ夜海の波音に寄せて』」

 フィンはただマリアベルの目を静かに見つめ、そこまで続けた。あとは最後の節を残すのみだというのに、この場そぐわぬ力強さがマリアベルの身を引き、記憶が霧散してしまう。彼女は哀しみと苛立ちで、頭がいっぱいになった。大きな手を振り払うように抵抗しながら、拙くこの夢に幕を下ろそうとする。

 「『そうして  ……そうして』」

 出てこない。あんなに好きだった詩なのに。

 遠ざかるフィンの姿。彼は微苦笑を浮かべているだけだ。続きを拾うつもりはないと、決めているかのようだった。

 それが貴方の引く一線だというの。マリアベルの視界が、涙にぼやけた。彼はこの甘い夢に幕を引かないことで、彼女の胸に居残り続けようとしているのだった。マリアベルはこみ上げる熱を持て余し、彼を恨んだ。そんなの、ひどい……

 「『そうして振り返る生涯に』」

 彼女は息を呑む。

 フィンも同様の表情だった。

 流れるように紡いだ声は、マリアベルのすぐ背後。

 「『この苦しい後悔とともに  貴女が刻まれていることを』」

 動揺のまま振り仰ぐと、ベノル=ライトが厳しい瞳で彼女を射抜いていた。言葉を発する間も与えられず、彼女は恐るべき力で手首を引かれた。旧友を気遣って振り返る余裕すら、ないほどだった。


 怒らせてしまった。

 マリアベルは早足に先を行く尖った背中へ、必死について歩いた。彼女は日頃、いかに夫に気遣われてきたのかを恐怖とともに思い知った。手首は血が通わぬほどにきつく握られ、大股に歩く彼に引きずられるように歩かされていると、周りの景色は濁流に呑まれたかのようにわけも分からず過ぎ去っていく。唯一感じ取れたのは、パーティーが終わりを迎えたことのみだった。

 謝らなければ。彼女は混乱の中で言葉を探した。しかし一方で、この男が過去に囚われて生きる存在であることを思い出し、彼がマリアベルでない別の女を愛でているイメージが脳裏から離れなくなった。

 彼女の頭を、様々な想いと言葉が行き交った。とにかく今は謝らなければ。そして、なぜあの詩を知っていたのかを聞きたい。でもそうすると、きっとまた怒らせてしまう。裏切るつもりなど、なかったのに。私が過去の恋愛を懐かしむことは、許されないの。そもそも貴方だって、過去に愛した女を私に重ねているだけじゃない……。

 脳内が整理されぬまま、あてがわれた客間へとたどり着いてしまった。

 「あの……」

 入室してすぐ、思考がまとまらないままにマリアベルは口を開いた。が、ベノルは聞こうとする素振りを全く見せなかった。彼女の手首を強くつかんだまま空いている手で鍵をかけ、月明かりを頼りに強引にベッドまで彼女を連れた。そして彼は、およそ騎士道を尊ぶ品行方正な貴公子のすることとは思えぬ行為に及ぼうとした。

 嘘でしょう。

 乱暴に押し倒され、マリアベルは驚愕した。招待された先の部屋で、こんなこと。とても正気とは思えなかった。やめてください、と手を払おうとするも、簡単に押さえ込まれてしまう。肌の一部が露わになり、恐怖と羞恥に思わず声を上げた。そうして、彼女は凍りつく。この壁を一枚隔てた隣は、彼女の旧友の部屋ではないか。じきに彼も部屋へ戻るに違いない。

 彼女は震える細い声で、切願した。

 「ベノル様、お願いです……声が外へ聞こえたら、私……」

 「聞かせてやればいい」

 鋭い声音。

 その温度のなさと、耳にした内容が信じられず、マリアベルは自分を組み伏せる男の顔を見上げた。

 冷酷に凍てつく表情の中、激しく燃える緑の双眸が、彼女を見下ろしていた。

 「隣はあの詩人だろう。君の乱れた声を聞いたならば、二度と君に近づこうと思うまい」

 恐怖と、羞恥と、怒り。

 全てがない交ぜとなった。それらが行き所を失って噴き上がる寸前、男の手が彼女の手首から離れ、無遠慮にドレスをつかむ。

 乾いた高い音が闇の中で響いた。

 マリアベルは直後、青ざめた。振った右の手のひらが、痺れている。それはきっと、夫の左頬も同じであるはずだった。

 悪夢から引き戻されたかのように、ベノルは驚愕のていで浅く呼吸していた。彼の顔も、弱々しい月明かりの中でさえ分かるほどに、青ざめていた。

 しばらくして、彼はゆっくりと、ベッドから離れ、部屋の中央に置かれた椅子のひとつへ、脱力するように腰かけた。そして、苦悩するように、両膝に腕を乗せ、頭を落として前のめりになった。

 マリアベルは身を起こし、衣服を整えた。この沈黙を壊すのを恐れ、ベッドから静かに下りた。しかし、この暗がりの中で居所を見つけられず、彼女は結局、夫から距離をとって佇み、自ら沈黙を破った。

 「ごめんなさい」

 月明かりの中、ベノルの背は全く動かなかった。温度を取り戻した声だけが、返ってきた。

 「君は悪くない」

 「……いいえ」

 マリアベルは、震える声で告げた。

 「私は、ベノル様のお陰で故郷を失わずに済み、守っていただいているというのに。貴方の優しさに甘えて、自分の立場を忘れておりました」

 ベノルの肩が動いた。それを見ぬふりで、彼女は続けた。

 「私は愚かな女です。ですから、こうして痛い目をもらうくらいで調度いいのです。私が良き妻でなくなったとき、どうか忠告してください。ノックロックの命運はおまえが握っているのだ、と」

 「マリアベル!」

 ベノルは叫んで、立ち上がった。マリアベルへと向き、悲哀に塗られた瞳で、訴えた。

 「もう言うな。私が多くを望みすぎた。それだけだ」

 「これは、『取引』ですもの」

 確かめるように続けたマリアベルの言葉は、まるで急所を突いたかのように、ベノルを身じろぎさせた。彼女が静かにささやいたそれは、今の彼が最も恐れた言葉であった。暗闇の中、彼は不意に呼吸を乱し、支えとするように椅子の背へ手を置いた。

 夫のそのような反応がなくとも、どのみち彼女は繰り返しただろう。同じ呪いの言葉を。それは彼女にとっては、己に言い聞かせるためのものだったのだから。

 「これは、『取引』、ですもの。お互い、よく承知せねば、なりませんよね」

 

 それ以降、ベノルは彼女へ愛を語ろうとはしなくなった。

 何事もなかったかのように、翌朝から、二人の間には、出会った頃と同じようなスマートな会話と微笑が交わされた。

 形式的で無難な夜が訪れ、マリアベルは、とても、とても楽になった。しかし、あからさまに作られた無難さは、彼女を苛立たせるようになった。それは、彼女が『負け』を認めざるを得ない証拠であった。ずっと目をそらし続けるはずが、できなくなってしまったのだ。

 緑の双眸に宿る、情熱の炎や、激しい独占欲。

 マリアベルは、『取引』の相手に、惹かれてしまっていた。

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