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第三章  与えられた仕事とは (4)

(4)


 煩雑な手続きを全て終え、領地のことを全て弟に託すと、マリアベルは突然、退屈になってしまった。ベノルの仕事に興味があっても、彼が邸宅へ仕事を持ち帰ることは、滅多になかった。

 正式に夫婦となってからは、ベノルは極力、夕食前には邸宅へ帰るよう心がけているようだった。そして、マリアベルとの夕食の時間を楽しんだ。就寝時刻に帰ることも多かったそれまでの彼の生活を考えれば、相当に無理をしているのではと、マリアベルは心配であった。そこで、書類の処理程度の仕事ならば手伝うので、持ち帰ってくるようにと提案してみた。暇を潰す楽しみにもなりそうだったので、マリアベルはこの自分の名案に浮き立った。しかし、ベノルは取り合わず、やんわりと断るのだった。彼がその理由をはっきりと語らぬことは、マリアベルにとって不満の種であった。

 書斎の本を漁るように読んでしまった後、ついに、庭の散策くらいしかすることがなくなってしまった。当然、それにもすぐに飽きた。

 「貴族の女が、化粧や服選びに精を出す理由が、よくわかりましたわ」

 ある夜、耐え切れずに、マリアベルはぼやいた。彼女は美を追求することへ、あまり興味がなかった。女中たちにうるさく言われない程度に化粧をする習慣をつけ、少し垢抜けた印象となった後は、それ以上の欲を持つことなく、また無頓着となった。美容のための浪費や衣装選びは、彼女の退屈や苛立ちを煽るだけであった。

 「一体、何をして時間を過ごしたらいいのです?」

 ベノルは、困ったように微笑した。

 「何もしなくていいのだよ。君はただ、私の帰りを笑顔で迎えてくれさえすれば」

 マリアベルは納得できず、毅然と、溜めていた想いを語った。

 「ベノル様、私が結婚前から考えていたことがありますの。聞いてくださる?」

 「もちろんだよ」

 「貴方のお陰で、裁判がうやむやになって、ノックロックは救われましたわ。でも、私はそのことに、少しだけ、恐ろしさを感じました。権力さえあれば、正義も悪もなく、好きなように誰かの命運を操れてしまうということですもの」

 「その通りだ」

 「ですから、私、どこの権力ともつながらないような部署が、中央には必要だと思います。例えば、今の監査では、制度として不十分です。上下関係のない、立場も様々な人間を集め、チームで動くべきです。誰もこういった発想を形にしようとしないのであれば、私が作ってみせますわ。どうかしら?」

 途中までは微笑を湛えて聞いていたベノルであったが、問いかけには複雑な表情で黙した。彼は、帰宅しても妻が邸宅にいないことを想像してみていた。マリアベルの意思は尊重してやりたいが、彼女のいない夕食はひどく耐え難いように感じられた。一方で、妻が日に日に鬱憤を溜め、このまま笑顔を失くしていくことも、見ていられぬと思った。

 マリアベルは、返答を待ち切れない。

 「とにかくここへ閉じこもっているのは、もう真っ平!」

 その叫びに、ベノルは思わず吹き出してしまった。完敗だった。彼は清々しく、長年抱いてきた結婚に対する理想像を、自らの手で粉々に叩き壊した。なぜか可笑しくてたまらず、彼は口を開けて、大笑いした。

 「はは、は、苦しい」

 「何がそんなに可笑しいのです?」

 マリアベルの戸惑いを見て、彼は腹を押さえながら語った。

 「私はずっと、おとなしく慎ましい女性が好きだと思いたかったのだよ。だが、やはり違うのだと、今、確信した」

 「……それ、少々失礼ではなくって?」

 白々しい渋面でマリアベルが咎めると、ベノルはまたも楽しそうに笑う。それを見て、マリアベルも破顔一笑したのだった。

 こうして、マリアベルは王宮の議会で新たな監査の設置を提案し、非常に緻密かつ論理的な説明で、多くの議員を納得させた。

 議場にはベノル=ライトの姿はなかった。彼は一度、この言論の場に強引に剣を持ち出し、議決を武で制したことから、出入りが禁じられているとのことであった。禁じられているというよりは、彼自身が自粛している、という方が正しいようで、その存在がなくとも、マリアベルの論を熱心に聴く議員たちの目は好意的であった。マリアベルの座した識者席には、常に英雄の姿がちらついているかのようだった。

 含み笑いを見せる王の宣言と共に、マリアベルの提案はすんなりと通った。そして、彼女は多忙で充実した毎日に身を投じていったのである。


 そんな中、彼女の故郷の友人であるイライザ=メイヤーが、昼下がりのライト邸を訪れた。

 イライザはノックロック領内の貴族の娘であり、気兼ねせずに話せる、貴重な同年代であった。マリアベルは待ちわびていたこの時を大喜びで迎え、友人を部屋へ通した。そして、堅苦しい気遣いは無用だとばかりに、ティーセットと菓子を受け取ると、使用人たちをさっさと追い出してしまった。

 イライザは「相変わらずねぇ」と笑い、ノックロック産の茶葉を差し出した。

 「懐かしい味でしょう。ライト夫人に淹れていただくなんて、恐れ多いけれど」

 「やめてよ、馬鹿ね」

 マリアベルは笑い、故郷の味を旧友と楽しんだ。

 故郷といえば、彼女は結婚して一ヶ月ほど経った頃に、テオから手紙が送られてきたことを思い出した。『幸福の在り処を教えてくれ』といったような内容であった。テオにしては珍しく、詩のような深みのある口説き文句であると感じたものの、すでに人妻となった彼女へそんな手紙をよこすなどというあまりの節義のなさに、さすがに呆れ返った。笑い話にさえならない瑣末なその出来事を、マリアベルはあっさり脳内から追いやった。

 「こんな立派な邸宅に、ハンサムな英雄。大出世したものだわ!」

 向かいの応接椅子に座したイライザは、屈託なく笑って、そう言った。

 「少しはお化粧もするようになって。綺麗になったわね、マリー」

 「ありがとう。ジュードは、うまくやっている?」

 「ええ、立派な領主よ。あと心配なのは、綺麗なお嫁さんを貰えるかだけね」

 それはマリアベルも待ち焦がれていることであった。純粋に弟の幸福を願うのはもちろんのこと、彼女には、ノックロックへ嫁いで来る女性に家宝を渡すという、大切な任務があるためだ。今は彼女のもとにある、サファイアの埋め込まれた小箱。早くあるべき場所のノックロックへ、戻してやりたかった。

 「ジュードは、あの『姉上崇拝』っぷりがどうにかならないと」

 苦笑してそう言うイライザに、マリアベルは眉をぎゅっと寄せてみせた。

 「崇拝だなんて。ジュードは生まれてすぐに母様を亡くしたから、私を頼っていただけよ。最後は嫌われてしまったし。ああ、それを思うと、こうして離れて暮らすのは、時期としてはちょうど良かったかもしれないわね」

 「そうね、それは一理あるわ」

 同意しつつも、イライザはますます苦笑を深めた。いくら怜悧な者でも、身内に対する分析は冷静さを欠くことがあるというが、今のマリアベルはまさしく当てはまる、と彼女は思った。姉が領地を去った後、どんなにジュードがしょげていたかを語って聞かせても、真には理解しないに違いなかった。

 「とにかく、今日はせっかく中央に来る用事があったから、あなたの新婚生活でも聞いて帰って、ジュードを少し大人にしてあげようと思ったの。もう四ヶ月くらい経つのかしら。どう、英雄様との生活は?」

 「どうも何も、普通よ」

 弟を語る時とは一転、急に素っ気無くなったマリアベルの様子に、イライザは表情を曇らせた。

 「そんな。大丈夫なの?」

 「心配いらないわ。『取引』は順調ってこと。彼は紳士的で優しくて、全て無難にこなしてくれる。無難なおしゃべり、無難な夜。それが一番、波風立たなくて、楽でいいわ」

 言葉のうち、一部は、嘘であった。

 彼女は決して、無難な夜を過ごしてなどいなかった。夫の緑の双眸をまともに見られない日々が、続いていたのである。

 ベノルが彼女へ愛を語ろうとするときには、彼から視線を軽くそらした。体を重ねるときには、灯りを全て消すように懇願し、月の明るい夜は固く目を閉じた。恥ずかしいからだ、と説明した。

 朝になれば、白く爽やかな光の中で、涼しげな双眸と微笑が彼女を迎える。それを見て安堵し、彼女も微笑む。多忙な二人は慌しく身支度を整え、朝食をとる。

 そうして部屋を出て、彼女はますます安堵するのだった。昼間の仕事はとても楽だ。いや、楽ではないが、しかし、楽だ。そう感じる原因は夜にあると、認めざるを得ない。

 ベノルがなぜ、彼女を苦しめるように熱心に愛を語ろうとするのか、さっぱり分からなかった。夫婦というものはそういうものだと、彼は言いたいのだろうか。仕事のひとつとして、就寝が近付く頃には彼の熱い視線をしっかりと受け止め、甘いささやきを聞かねばならないのだろうか。これは『取引』で、彼が持ちかけたことだというのに。恋に落ちれば、彼らの『取引』による関係は、破綻しかねないというのに。彼が自分のメリットとした『思惑』の、本当の正体が分からぬうちは、マリアベルはただ警戒を敷き続けるしかないのだ。

 イライザは一旦、茶をすすり、一息ついてからずばりと切り込んだ。

 「マリー、あなた、それで幸せ?」

 「最初から、そういう『一般的な幸せ』を望んで結婚をしたわけではないもの」

 マリアベルは、この友人の前で、あくまですまし顔を保った。

 「『取引』によって領地は救われたし、これからもライト家の庇護のもとよ。それが私の望み。だから、私は幸せ。分かりやすいでしょう?」

 「論としては明快だけれど、人間、そればかりではないもの。あなたは特に、情に厚いから。いつまで割り切っていられるのか、心配よ。これから、子供を授かったりもするわけじゃない」

 「その時はその時だわ。早く男の子を産んで、好きに各地を飛び回りたい」

 そんなことより、とマリアベルは自身が取り組む壮大な計画について語り始めた。どこか苦行めいてきた結婚生活のことよりも、共に無力感を味わい続けたこの友人に、弱者を救うための野望こそを聞いてもらいたかった。興奮に頬を染めながら、マリアベルは自身が手がける誇りある仕事について、熱く語った。

 「それでね、その新しい監査局は、その領地に住んだり、各地を訪問したりして、実態を把握するところから始めるの。でも、あまり長く住むと癒着が生まれかねないでしょう? だから、五年おきに配置換えをする決まりにしようと思うの。民間からも必ず一人加えてチームを組むから、不正も生まれにくいわ。ねぇ、最高だと思わない?」

 「ええ。あなたはいつだって最高よ、マリー」

 イライザには、苦笑して釘を刺すことしかできなかった。

 「でも、私はあなたが強がりなのも知っているから。もし悩むことがあれば、いつでもノックロックに帰っていらっしゃい。テオも近寄れないことだし、何も気にせず伸び伸びできるわよ」

 この友人の心配は、的を得ていた。マリアベルは、いつまでもクールには、いられなかったのである。


第四章へ続く



 こんばんは。12月の風です。


 一話一話が長くなってしまっていて、五千字を超えると冷や冷やしてしまいます。だらだらした印象にならぬよう、気をつけたいです。

 一方で、ようやく描写の重要性や、それを書く楽しさに気づけたように思う、第三章でした。まだまだ未熟者ですので、精進したいです。


 このマリアベル編は、第六章まである予定です。最後に前三作と同じく、終章で締める予定です。

 なので、ボリューム的にここがちょうど中間地点ですね。物語の展開としても、ここがまさに中間点です。第四章からは時間が一気に2年くらい進みますし、シリアス感(というかビター感?)炸裂ですので。書き手としても、我慢がいるところです。ふぅ。


 ということで、第四部も後半戦です。頑張りますので、よろしくお願いいたします。(09/09/08)


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