Demon's Helo : Sacrifice To The Devil ; How Does It Taste, Princess?
〝黒銀! 妾に傷をつけるなど……許さぬぞ〟
痛みに喘ぎながらの叱責を、黒銀は聞き流していた。何も捧げずに勝利を得るなど、隔絶した格差――それこそ次元の違いほどの差がなければ不可能だ。それを理解している黒銀は、姫の声を封殺して紫幹色金を駆る。
『大体、性質が読めてきたな』
先ほどの巨腕を差し出したのは、何も肉を斬らせて骨を断つという狙いだけではなかった。視界――婁が右眼を捧げたアルバルクの特性は、確実に色境による〝なにか〟だ。しかし、絡繰は見えた。
黒銀は巨腕でアルバルクの視界から紫幹色金の本体を隠したのだ。今まで《《起点》》を抑えられ、有効打となり得なかった手数。だが、視界を封じた途端、深手を与えることに成功したのは、やはり――。
――予知……というよりも予見だな。
次なる動きを高確度で予測し、その起点を封じる。これこそがアルバルクの持つ権能。悪魔に魅入られた者が肉体の一部を捧げた末に与えられた、科学の外にある外法であった。
外套じみた袈裟で躯体を覆い、内側からの刺突。際どいところで躱したものの、先ほどと比べれば精彩を欠く動きだ。やはり、そうだ。アルバルクの右眼は紫幹色金の、視界に捉えたものの動きを予め察している。しかし、同時に覆い隠された影からの動きは読めない。
先ほどまでと打って変わった攻防の天秤は、明らかに黒銀に傾いていた。趨勢で語るならば、ほどなく決着を迎える。紫幹色金の勝利という形で――。
廻転。地面から趾へ、趾から足首へ、足首から膝へ、膝から股関節へ、股関節から脊髄へ、脊髄から肩へ、肩から肘へ、肘から手首へ、手首から剣へ……。順を追いながら廻転勁力を増大させていく。運動エネルギーに咒いを込めた一太刀は、二の太刀を要さず。戦車の装甲の破断はおろか、いかな鬼導妖魔とて無事には済まさぬ、乾坤一擲の破魔の太刀。
『ッ――』
〝ああああっ〟
粉砕。崩壊する瓦礫の数々。衝撃。振盪せしめる突風。
絶対破断の咒いは先んじて放たれた一手により雲散霧消し、代わりに黒銀は強烈な衝撃に見舞われた。巻き込まれた床面が鬼導妖魔の重みに負けて、抜ける。階下へと落とされた紫幹色金は着地こそかなったが、それよりも正体不明の一手に対する疑問が黒銀の頭を渦巻いていた。
〝いい加減にせよ、妾の肌をなんと心得る?〟
『黙っていろ。どうせ、再生して元通りになるだろうが』
わずらしい声に答えながら、黒銀は考える……。
――爆裂、というよりも崩壊か。ここに到って行使したということは、婁の秘奥絶招の類。
甲殻じみた装甲には細かく罅が入っている。程なく生じた隙間は閉ざされ癒えるだろうが、それでも幾度となく受ければ危険だ。距離を取る? 否、間合いが開けば今度は予測の網に引っかかる。いくら、袈裟で手足の挙動を隠したとて、躯体ごと動くのであれば予測の精度に影響を及ぼさぬとみてよい。
結局は近接戦闘が要だ。しかし、如何にして距離を殺すべきか。左道の業とて、なにか法則性があるはずだ。
油断をしていたわけではないが、まさか婁がここまでの手練れだったとは。流石に視力の片方を喰わせただけは、ある。
――視力。そうか。
黒銀は己の鬼導妖魔に命じ、右腕でフロア内を什器や瓦礫ごと薙ぎ払わせた。
〝黒銀、何をやっておる?〟
『姫、少しは静かにしてくれ』
粉砕。濛々たる塵芥が舞い上がり、屋上のアルバルクへと到達した。
『なに? 黒銀、貴様ッ』
アヴァターラの首魁は、己と鉾を交えている相手の狙いをたちどころに理解した。当然だ。敵と自身の捧げたモノを知れば百戦危うからず。これこそが、第三次世界大戦後の鬼導妖魔戦闘だ。
『クソが!』
左の視界に収めた射程内の万物を崩壊せしめる――それこそが、アルバルクの最大の権能の正体だろう。そして、破壊力と範囲の広さから察するに、少々のタイムラグを要するはず。たとえ、多少異なっていようが、視覚を銃爪としているのは間違いない。
『かくれんぼは得意だったんだ』
『うっとおしい!』
時折、右腕で周囲の塵埃を巻き上げ、それで躯体を包み隠しながら、アウトボクサーの如く、蝶の舞で蜂の突きを見舞う。やはり、視認しなければ崩壊の呪詛は現実化できぬらしい。死角へ死角へと、土煙の向こうから向こうへ。ドウジギリの一閃が瞬く度にアルバルクは追い詰められ、機体が損傷していく。
勝敗は決した。未来予測をしようにも、紫幹色金は躯体を袈裟で隠している。視覚に入ったとて、満足な予測はできぬ。
しかして、手詰まりとなった婁がいつしか塵埃の腫れ上がりを見た頃には、既にアルバルクの四肢は破断、もしくは引き千切られていた。眼前の光景を見つめるしかない婁の視界には、黒い異形の虚無僧はいなかった。末期の光景にすら映らぬ徹頭徹尾ぶりからは、最後の最期の抵抗さえも許さぬという徹底した殺意の程が伝わる。
『王手だ……婁、お前も悪魔に身を喰わせた者。末路はよく理解しているだろう。深遠なる無へと旅立て』
背後から囁く声。不自然な程に真っ赤な炎の色が視界の隅にちらつく。デモンズ・ハイロゥ――。黒銀の悪魔が本性を顕した証左だ。強力な悪魔が稼働する際に、余剰魔力が頭上に炎の輪を生む。デモンズ・ハイロゥを顕現させる領域の悪魔に直接身を捧げているとは……。もはや正気を疑う程の、横溢する憎悪が為せる業か。
反応することさえ許されず、婁は自身が喰まれる絶望の咀嚼音を聞いた。




