井戸端会話
そんな寅吉の様子をぼーっと見つめていると、彼は顔を真っ赤にして怒鳴りだしたのだ。
「おい!おま、お前の所為で、さっき酷い目にあったんだぞ!!この落とし前はどうつけてくれるんだ!?」
「というと、――寅吉さんはどうしたいのですか?」
洗い終わった洗濯ものをしぼりながら、お千代が不愛想にそう口にする。
その言葉に、寅吉はふて腐れた顔をするだけだった。
朝はお互いに顔を合わせることも出来ないくらいだったのに、今はそれを忘れたかのようにいつもの調子で話をする。
「でもまあ、とりあえずその汚れた着物は洗いますよ」
「いや、――頼む……」
寅吉はお千代の申し出を一瞬断ろうとしたが、さすがに吐しゃ物で汚れたままの着物で歩きまわる気はなかったようだ。
着物を即座に脱いでお千代に手渡すと、静かに井戸を背にしてうずくまる。
お千代は汚れた着物をざぶざぶと無言で洗いだした。
薄着になった寅吉は、自分の体を抱きかかえるように座っている。
季節は秋。
底冷えの冬ではないが、それでも肌寒く寅吉は寒さに体を震わせていた。
そんな彼の様子をみて、お千代は仕方ないと立ち上がると、おなごやに駆けこんで行李から自分の着物をひったくると、井戸まで戻って寅吉にそれを渡したのだ。
「何もないよりマシだと思うよ」
「……すまん」
寅吉は小声で感謝の言葉を発すると、借りた着物を体に覆う。
するとお千代はニコリとほほ笑んだ。
「これが、私の落とし前のつけかたですよ」
はははっと声にして笑うと、寅吉は『うっ』としてやられたように顔を引きつらせた。
お千代はタライの中の水を流し、井戸に釣瓶を下ろしながら世間話をするように寅吉に向かって話しかける。
「寅吉さんって、恋をしたことがありますか?」
「何だよ、藪から棒に……」
「茶屋の女将さんから男の人と恋をしなさいって言われたけど、私は正直恋って何か分からないので、人に聞くしかないんですよ」
そう言いながらお千代はタライにキレイな水を注ぎ込む。
座り込んでいた寅吉は、頬に手をあてて目をつむり考えはじめた。
しばしの間お互い無言で過ごしていたが、考え事を終えたであろう寅吉が口を開く。
「――恋ではないが、夢中になった女はいたな……」
「ええっ!遊女どころか、女が苦手な寅吉さんがァ!!」
思わぬ返答にお千代は、目を見開いて寅吉をジッと見つめる。
彼は軽く溜息をもらすと、頬にあてていた手を左右に数回振ってみせた。
「ガキのころの話だ。相手は近くに住んでいた年上の女だし、ただ可愛がってくれたから好きになった程度のことだぞ」
「へえ。寅吉さんでも、人を好きになることがあるんだ」
「お前、……人を何だと思ってるんだ」
「だって私、誰にでも見境なしにケンカ売る寅吉さんしか知らないし~」
お千代はニヤニヤしながらそう言って手を動かしていると、寅吉は分が悪いのか黙り込んでしまった。
そこへ息を切らせた弥彦がトボトボと歩いてきたのだ。
彼は辺りを見回して寅吉の姿を確認すると、呼吸を整えるために深呼吸をくり返すが、息も絶え絶えでかすれた声のまま話し始める。
「……ここにいたのですか。探しましたよ」
どうやら弥彦は港町中を走り回っていたらしい――。
走りつかれた弥彦はよろよろと井戸の前に来て、釣瓶で水をくみ取るとガクガクと震える手つきで水を飲みはじめた。
うわ~っと声を漏らしそうになったお千代は、茶屋から寅吉が逃げだしたので、弥彦が追いかけたんだろうなと直ぐに思いついたのだった。
弥彦は釣瓶を井戸のよこに敷かれた竹の上に置いて、近くに座っていた寅吉の前にしゃがみ込む。
「茶屋で大旦那さん達がお待ちしてますから、旦那さんお帰りください……」
「断る。茶屋や遊女には迷惑かけたとは思うが、もうあそこへは一歩たりとも入りたくない」
「……はぁ。そこを何とか、お願いしますよ」
拝むように弥彦は寅吉に手を合わせて頭を下げる。
しかし寅吉は頑として動こうとはしない。
そんな弥彦の姿を他人事のように横目で見ながら、『若い衆も大変だなぁ』とお千代は彼がすこし可哀想に思えた。
「弥彦さん、私、そこの旦那さんの着物を洗ってるので、茶屋につれて戻るならほかの着物が必要ですよ」
「えっ、――ああ。分かりました。近くに舟押しの家があるから、すぐに借りてきましょう」
弥彦はお千代の言葉に納得すると、ここから近い弁蔵の家へと急いで走って行く。
もう逃げられないと悟った寅吉はギロリとお千代を睨んだ。
「お前、どういうつもりだ」
「どうもこうも、私は萩屋の遊女なので」
「ああ…、本当にお前は……。強く、なったな………」
寅吉が肩を落として大きく息を吐く。
「そんなに強くはないですよ。――だけど寅吉さんもそろそろ観念して、もう少し人と向き合ってもいいんじゃないの?」
「お前とはわりかし向き合ってると思うんだがな」
「私だけじゃなく、船頭さんたちにも向けて上げてくださいよ。『心の問題は自分で解決するしかない』って私に言ったのは、あなたですよ」
「――まあ、そうだけど……」
お千代は彼の着物をしぼって竹かごに入れると、タライの水を溝に流した。
そして心を決めかねている寅吉を眺めていたら、着物を手に入れた弥彦が戻って来たのだ。
「旦那さん、これに着替えてください。そのままでは身体を冷やしますよ」
「ああ」
今度は弥彦の言うことを素直に答え、お千代の着物を彼女に返し、寅吉の背丈よりすこし大きな着物に着替えた。
その姿にほっとした弥彦はお千代に一礼すると、不機嫌だが観念した寅吉をつれて茶屋に帰って行った。
それからお千代は洗い終わった物を入れた竹かごを持っておなやごやに戻りと、よこに差し置かれている物干し柱に竹竿をかけて、先の方から着物の袖を通していく。
(夕方までには寅吉さんの着物は乾くかなぁ)
ちょっと冷たく接したけどこれをきっかけに、心の傷を多く取り揃えている寅吉の心の店から品物が無くなっていけばいいなぁと、お千代は彼のことを案じながらもどこか空々しく思うのでした。




