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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第五章:物は言いようだ
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松野が語る恋というもの

その日の手習いも終わり、すこしおなごやで体を休めたあと、お千代は近くの共同井戸の前にタライを置きました。

次に持ってきた竹かごの中には着物などが入っています。


「昨日は何も考えずに脱いじゃったけど、ちょっと汚れてるよね……」


お千代は井戸から数回釣瓶(つるべ)で水をくみ上げてタライに移しました。

そして竹かごから着物を手に取ると、水を張ったタライの中へと放り込みます。

水に浸かった着物の汚れている箇所は、石灰の粉を付けてわしゃわしゃと揉みました。


ふだんの共同井戸は、近隣の家の人たちも使用してにぎわっていますが、今はお千代ただひとりだけ。


気楽に鼻歌交じりの唄を口ずさみながら洗濯をしていると、これからおでかけと思われる松野がお千代のそばで足を止めたのだ。


「おやお千代、さては昨晩のあと始末だね。ふふふっ」


「もう、そんなにからかわないでくださいよ」


「悪かったよ。ただね、あの旦那さんと仲良くやってようで安心したのさ」


そういいながら松野はしゃがんでいるお千代の背中を軽くはたく。

思わず前のめりになるお千代だが、何だか機嫌の良さそうな松野をみて、『ああ、そうだ』と先ほど初音と話していた話題を何の気なしにふってみた。


「あの松野姐さんは、男の人に恋をしたことはありますか?」


「なんだい、それは」


「前に女将(おかあ)さんから『殿方と恋をしてみなさい』と言われたのですが、どうもピンとこなくて……」


「ああ、女将(おっか)さんからねぇ……。こう言っちゃなんだが、あんたここへ来る前にちょっとは男と何かなかったのかい?」


「親が決めたふざけた男ならいたけど、それ以外は何も………」


「ああ、()()はあたしでも無理さね」


遊女同士お互いの過去は詮索しない、という暗黙の了解のようになっていたので松野は深くは追及しない。

が、自分のことも大っぴらには口にしたくない様子だった。


しばし悩んだ末に、松野は渋い顔でこう言う。


「――恋なんてもんは、独りよがりのようなもんさ。ひとりでその恋に舞い上がって、ひとりで恋の終わりを悲しんで……。なんてね、恋をしている自分に酔っているようなものなのさ」


「でも女将さんは『殿方と楽しむもの』って――」


お千代がおずおずと口にすると、松野は憐憫(れんび)の微笑みを浮かべた。


「遊女としての恋の駆け引きってやつさ。でもそれは、ただの男と女のお遊びのひとつだよ。あんたも旦那たちに愛想よくいつもやってるだろ?」


「それも恋なんですか?」


「遊女にとっちゃ常套句(じょうとうく)のひとつだけどさ。あんたの言葉を受け取った相手はどう思うか、――それが分かるかい?」


「え……」


松野の言葉の意味が分からず、お千代は水を張ったタライの中に手をつけたまま考え込む。

水の冷たさで頭はシャキッとしているが、自分の言葉を受けた旦那たちのことを考えることは出来なかった。

そこまで深く考える間柄でもないし、相手もそうだろうと気にも留めていなかったのだ。


答えのでない様子のお千代に、松野は優しい口調で教える。


「お千代、あたしらはたくさんの男たちの相手をしてるんだよ。大抵の男は遊女の言葉なんて本気にはしやしないけど、まれにあんたの絵空事を真に受ける男もいるのさ。それが恋ってやつだよ」


「私がその人を好きじゃなくても、恋なの?」


「だから恋は自分だけのものなのさ。そりゃ互いに惚れ合うこともあるがね。……ほとんどが相手に対して都合のいい理想を抱いて、叶わなければ失望してをくり返して、――結局、別れちまうものなのさ」


「恋って、何だか面倒な感じですねぇ」


はあっと疲れたようにお千代がため息をつくと、松野はふふふっと笑う。


「でもね、恋している間は天にも昇るくらいに心地のいいもんさ。それがいつまでも続くと思えるくらいにね。……だけど、楽しい祭りに終わりがあるように、恋も当然終わりがあるのさ。――それでも一瞬で消える花火のように、ひと時でも綺麗な想い出になれば、それはそれで懐かしむだけの価値あるものになるってもんだよ」


「恋は終われば、価値のある想い出になるの……?」


「だから良い思い出は、たくさんある方がいいさね」


松野はお千代の背中を今度は強くはたいたあと、手をひらひらと振って去って行きました。


(――そうなんだ。恋は相手を思う自分だけの気持ちで、良くも悪くも想い出になるもの。だから出来るだけちゃんと良い想い出になるように、自分で努力しないといけないものなんだ……)


そういえば過去に三郎が、恋焦がれて私にサヨのことを聞きに来たことがあったなぁ。

あれだけ『サヨがサヨが』と言ってたわりに、季節が変わるころには初音にご執心になってたよねぇ。

まさに松野姐さんが言ってたように、独りよがりな恋をしてるんだろうなぁ。


そう思うと、なんだか恋する人ははた目から見れば、ちょっと笑えるようなあきれるような――、思い出すだけで顔が変に引きつってしまう。


まあ、これですこしは恋という不可解なモノを理解出来たような気がするので良しとする。


お千代は着物を洗濯しながら、そんなことを考えて物思いにふけっていると、家と家の間の横路から寅吉が飛びだしてきた。

しかも昨晩より酷い形相で、着物のあちこちに吐き出したと思われる残骸が付着していた。


「お、お千代!…み、水、水をくれ!」


「……寅吉さん」


お千代はあっけにとられながらも、井戸の水をくんだ釣瓶そのままを寅吉に差し出した。

彼は構わず釣瓶に口をつけ、ごくごくと水をのどへと流しこむ。

そして水を欲していた腹が満たされたのか、釣瓶から手を離す。


「はー。生きかえった」


寅吉は腰にかけていた手拭いを手にすると、汗やら何やらでぐちゃぐちゃになっていた顔をふくのでした。

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