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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第五章:物は言いようだ
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恋って何だ?

一夜明ける事で熱が抜けてお千代と寅吉はお互いに自己嫌悪に陥り、まともに顔を合すことなく別れることになった。

帰りの舟の中で昨晩のことを与作から聞かされたと思われる高尾は、ニヤニヤしながらかなり歪曲な作り話をほかの姐遊女たちに広めていた。


「――て、旦那から聞いたんだよ。お千代も大胆なやつだったんだな」


「そう?若さってそんなものですわよ、ねえ」


「ねえって……。あたしに聞かれても困るよ。でもお千代、もう少し節度のある行動をしなよ」


当の本人であるお千代は舟の奥で縮こまっていた。


「もう、そのことは勘弁してくださいよ。自分でもやりすぎたと思ってるんですからぁ……」


売り言葉に買い言葉。

その場の勢い?

なんというか、そんな空気に飲まれたという感覚だろうか――。


我に返ると、とんでもないことをしてしまったと後悔の嵐。

思い出すだけで赤面してしまうほどの失態だった。


(――だけど、心の何かが晴れわたるようにスッキリしたような気分がする……)


自分の中で何が変わったのかは分からない。

嫌なことも良いことも交ざり合って、そのままどこかへ流れていったような心境だった。




おなごやに戻ったあとも散々姐遊女たちにからかわれたあと、お千代はいつものように茶屋で手習いをしていた。

そこへいち早く二階から下りて来た初音が顔を出す。


「お千代さん、今日も励んでんすね」


「初音さんも頑張ってますね。羽振りのいい客も付きはじめたって女将さんから聞いてますよ。来年には部屋持ちも夢ではありませんね」


「あい。ここは良い方たちばかりでやっと遊女になったような気持ちでありんす。とくにお千代さんのおかげでありんす。ありがとうございんす」


初音は深々と頭を下げる。

その姿を見てお千代もつられて頭を下げた。


だが初音はお千代の方に顔を向けると、今度は神妙な表情をしました。


「けんど、女将(おかあ)さまから『殿方に恋をしなんし』と言われんした。旦那さま方もみな良い方だとは思いんすが、それ以上の感情はもったことがありんせん。お千代さんはいかがでありんしょうかぇ? 」


これは――。

と、お千代は押し黙る。


お千代もふた月ほど前に、同じことを女将(おかあ)さんから言われたからだ。

考え込むお千代の様子に疑問を感じた初音は、彼女の肩を軽くさする。


「お千代さんも、何かあったんでありんすかぇ?」


「――あ、初音さん。実は私も同じことを女将さんに言われて、それで………」


言葉を濁すお千代の反応に何かを感じたのか、初音は小さくため息をついた。


「恋はひとりじゃできんす。されどその相手をわっちが探さないとダメなんでありんしょうか……」


「そもそも恋って、何なのかさっぱり分かりません」


「わっちもそうでありんす……」


同じくらいの歳の女がふたり。

恋とは何ぞや、ということに頭を悩ませていると、ふたりの会話を耳にしていたであろう弥彦とふと目が合う。

慌てて弥彦が視線を文机の帳面に戻したが、彼の両隣に女たちが素早く寄ってきた。


「弥彦さん、恋って何だと思います?」


「殿方として女性に恋をしていんすかぇ? 」


この問題で切羽詰まっているお千代と初音の率直な質問に、弥彦はこめかみを押えながらとりあえず無難な言葉を探しながら発した。


「残念ながら僕は女の人を好きになったことがないので、おふたりに語れるようなことは何もないんですよ」


はははっと苦笑いをする弥彦に、お千代は申し訳なさそうな顔をして『ああっ!』と声を上げた。


「――弥彦さん、やはり男の方がお好きなのですか……。でも、恋をする感情は同じですよね。きっと」


「まあ、殿方と……」


ワケの分からない同情の眼差しを向けられ、弥彦はぐっと焦る気持ちを抑えながらも、笑顔を崩さず落ち着いて言葉を口にする。


「僕はまだ修行中の身なので、女の方と付き合うほど暇がないのです。あと、お千代さん。僕の見た目が女のようだからって、男が好きだということは一切ありません。初音さんもくれぐれもお間違えの無いように――」


冷静な態度で女ふたりにそう釘を刺す。

するとお千代と初音は『なるほど!』と弥彦に関心したような顔つきになった。


「ということは、私もまだ遊女としては修行中の身なので、恋云々を考えるのは今すぐじゃなくてもいいってことなんだね」


「そのうち、――くらいの心持で良いということでありんすか」


女たちはお互いに顔を合わせると『理解した』と言わんばかりの口ぶりで、お千代は自分の文机の前に戻り、初音は見世の方へと足取り軽く歩いてゆく。



弥彦は大きく息を吐いて首筋を掻きだした。


(女将さんがふたりに提示した問題を後回しにさせてしまったけど、恋の相手がいない僕が気の利いたことを言えるわけないよ……)


あーっもう、と、机に両こぶしを力強く置く。


それらしいことを思いつくままに言ったところで、結果が出なければ無意味な助言だ。

ある程度は身近な人たちの考察はしてきたが、男女間のことなんて興味がなかったので考えたこともなかった。


下手なことを口にすれば、さっきのように見当違いな誤解を生むだけだし……。


(せめて恋だの男だのそういうことは、姐遊女たちに聞いてくれよ。なんで僕に聞いてくるんだよ――)


目を強く閉じて的確な返答が出来なかったことに苛立つ。


(でも、僕が上の人から『女性と恋をしろ』と言われたら、――どうする?)


若い衆という仕事に必要だと言われれば、その命令に従わなければならない。

そう考えると、頭の中が全体的に白い霧がかかる。


(確かに漠然と『恋をしろ』と言われると難しいな……)


せめて恋する対象がいればマシになるのか?

いや、それが自分の好みじゃなければ、心を押し殺してでも恋というものが出来るのか?


無理だ―――――。


お千代が女将さんに告げられたときに近くにいたが、そのときは簡単なことだと思っていた。

そしてそれに思い悩むお千代はその程度の女だとほくそ笑んでいた。


さっきのふたりのやり取りも、半ばあきれ半分で聴いていたのだ。


(自分に置き換えると難題になるなんて、……僕はずい分天狗になっていたようですね)


弥彦は目を見開いて肩を軽く回したあと静かに息を吐き出してから、帳面を書き写す作業を再開するのだった。

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