お千代の逆襲
「お前はこうしてると温かいのに、素肌に触れると途端に冷たくなる……。身体は男を拒絶しているのに、よくもまあ遊女になろうと思ったことだな」
「――そんなこと、ない……。ほかの旦那さんにはそんな風に言われたことないし………」
「まだ手慣れた遊女じゃなくて、初心なところがまたいいとでも思ってるんじゃないのか」
「どうせ私は素人娘だよ」
お千代は強がりを言うが、体は小刻みに震えていた。
自分でも分かっている。
仕事で旦那たちに抱かれるとき、その行為を受け入れはするが没頭することはない。
寧ろ自分の体を好きに扱う男たちを冷めた目でみていたこと。
何度か男に抱かれて慣れることはできても、身体は痛むだけで決して気持ちよくはならない。
事前にふのりを塗り込んだりして何とか痛みを緩和させていた。
寅吉は本人が女を抱く気がないと言っていたし、実際に何度か夜をともにすることがあったが、まったく手をだす素振りもみせなかったのでお千代は油断していた。
(私が勝手に、――寅吉さんを安全な男だと思っていた……)
そして勝手に私の心は絶望している………。
どうしてだろう―――――。
お千代の目から涙が溢れだす。
何が悲しいと思った?
それとも悔しいと思った?
分からない、分からない、分からない――。
自分の感情を抑えられずにいるお千代をそのままに、寅吉は彼女への拘束を解き立ちあがった。
そしてお千代を残して暗闇の中を甲板の方へ向けて歩いてゆく。
その場に残されたお千代は、しばらく床に手をついて考え込んでいたが、ふとあることを思い出して寅吉のあとを追うのだった。
夜の海の波に揺られる船の上。
お千代は梯子を登って前方に固定された伝馬船の裏に座り込んでいた寅吉を見下ろすように立つ。
彼は月明りのほのかな光の中でも分かるくらいに青い顔色をしていた。
「……どうして遊女が嫌いなんですか?」
お千代が涙目のまま無表情で彼に問う。
しかし寅吉はバツが悪そうに目をそらしたが、急にうぐっとのどを鳴らすと立ちあがり、海の方へ顔を突き出して嘔吐するのだ。
寅吉は吐き終わると口元を手で拭い酷い状態の顔を隠しもせずお千代に向ける。
「吐くぐらい遊女の身体を触るのが嫌なくせに、何であんなことをしたの?」
「金払って死体みたいに冷たい女を抱く男が可哀想に思えたから、親切心でお前に忠告しただけだ」
その言葉にカッとなったお千代は寅吉に殴りかかった。
穏やかな波と、それが船にぶつかりタプッと小さく音をたてる中、バシッと強く鈍い音が鳴り響く。
お千代の握りしめられたこぶしが寅吉の頬に当たった。
「平手打ちくらいかと思えば殴りやがって。お前、それが客に対する態度か?」
「客でも何でも侮辱されたら腹も立つし、平気でうそをつかれたら悲しくもなるんだ」
「――で、お前はどうしたい?殴りたければ好きに殴ればいい」
兆発をくり返す寅吉の胸倉をつかみ、お千代は彼を睨みつける。
「私の心だって安くはないんだよ。だから今度はあなたの傷口を私がえぐってやるんだ」
お千代はその場で着物を脱ぎだした。
仕事着を無造作に床に投げ捨て、長襦袢や下着さえも取っ払う。
そんな彼女の奇妙な行動に寅吉は金縛りにあったように息を飲んだ。
夏がすぎて間もないが、それでも海上の空気はとても肌寒く感じる。
一糸まとわぬ姿となったお千代は、顔を歪める寅吉の胸元を大きく開いてみせた。
そしてお千代は寅吉に抱きつき、腕を彼の素肌を通すように背中へと回した。
「あったかいですねぇ、寅吉さんは」
「……そうか、寒けりゃ服を着ろ」
余裕のない言い方しか出来なくなってきている寅吉だが、お千代を払いのけることはしない。
お千代は彼の首筋をひと舐めし、唇を押し当てて優しく吸う。
「うっ」
寅吉はビクッと体を強張らせた。
その弱々しい反応にお千代は笑う。
「死体みたいに冷たいな女にいいようにされて、情けなくないんですかぁ?さっきまでの威勢はどこへ行ったんでしょうねぇ」
「……お、お前は――」
寅吉が声を張りあげようとしていたのを遮るように、お千代はつま先立ちをして彼の顔に近づく。
「あのね。私、……分かっちゃった。――寅吉さんって女の身体に触れるのがダメで、女からこういう行為の接触をされると身体が動かなくなるよね」
「そんなこと、……ない」
「ずっと前に『抱く女は、心の奥まで踏み込む決意をした相手』みたいに言ってたけど、本当は私に好き勝手されるのが嫌だっただけでしょ?今もこうして動けないんだもの」
お千代はそう言って微笑むと足先を戻して寅吉にしなだれかかる。
そして彼の背をとらえていた片腕を、今度は下腹部へと寄せると下帯に手をかけた。
「なっ、止めろ!」
「やだよ。私のに先に触れたのは寅吉さん、あなたの方だ。私は前のようにただ泣くだけの女じゃないんだってことを、その身をもって知ってもらうからね」
遊女が嫌いだというのに、それでも私を受け入れてみたり突き放したりする彼は、どこか私に似ていた。
私は遊女だというのに、自らこの苦界に落ちたクセに男との行為が嫌いだ。
だけど本当に孤独になりたくなくて、誰かのそばにいたいと思ってしまう……。
どんなに強がったところで、やはり人はひとりじゃ生きていけないんだ―――。
あれからしばらく時が流れ、寅吉は荒い息を吐きながらだらしなく腰を下ろしている。
お千代はまだ裸のまま座り込んで懐紙で手を拭っていたのだ。
「いつも思うんだけど紙で拭いただけじゃ、きれいに落ちないんだよね……」
「うるさい、黙れ。早く服を着ろ」
「はぁ、そんなに怒ることないんじゃない?これでお相子だよ」
「全然相子じゃないからな!」
寅吉は大きな声でそういうと、近くに立てかけられた大きな竹柄杓を手に取り海水をすくう。
そして柄杓ですくった海水を口に含むと、口内をゆすいでペッと吐き出した。
「お前ら、……ここで何やってるんだ?」
上の騒がしさに気づいたのか、甲板へ与作が上がって来たのだ。
するとそこには着物が乱れた寅吉と、裸のお千代がいたという――。
ということは、と、与作はうんうんと何か納得したように仕方ないなぁと、何故か優しい顔つきをした。
「こういう所でヤルのはあまり感心しないが、寅吉が女を抱いたってのは一歩前進したということだな」
「ちょっと与作さん、何か勘違いしてるようだが、俺はこいつを抱いてない!」
「今さら恥ずかしがることねぇって、邪魔して悪かったな」
そそくさと下へとさがる与作をよそに、寅吉は首をよこに振りながら頭を抱える。
お千代は与作に知られてあたふたする寅吉をみて笑う。
「こうなっては誰も信じませんよ。あきらめたらどうですか?」
「お前、他人事だと思って!これじゃ明日、どんな目に合うか分かったもんじゃない……」
大きくため息をつく寅吉を尻目に、お千代は脱いだ着物に袖を通しながら言うのだ。
「それでも、寅吉さんは下で話をしていた時より、憑き物が落ちたように良い顔になりました。だからああいうことも悪くはなかったということですよ」
「あんな屈辱的なことは、もうごめんだ」
寅吉は複雑な笑みを浮かべて夜の海を見つめるのでした。




