女を買うには金が掛かる
吉屋の茶屋に付くと弥彦は裏口に回り戸を叩きます。
すると裏口の戸がすこし開き、吉屋の若い衆が顔を出しました。
「なんじゃ?」
「萩屋の者です。直江屋相手の沖の遊女を今晩ひとり、吉屋の方から呼べるか聞きに参りました」
「ふむ。返事はすぐ必要か?」
「いえ」
「それじゃ、返答はあとで人を寄越すと言っといてくれ」
「分かりました」
会話が終わると裏口の戸はすぐに閉まりました。
弥彦が言伝を終え後ろを振り返ると、後ろにいた松風は不思議そうな顔をしていました。
「どうして沖の遊女のことで茶屋が動くでありんすか?舟押しにみな任せておけばよいでありんしょう?」
「舟押しは沖の遊女の管理だけですよ。こういった馴染みの船の人員の調整は茶屋でしています。みんな舟押しに任せていたら、売り上げの一部を猫ババされても茶屋の方で分からなくなりますからね」
「そんなもんでありんすか」
「そういうものです」
沖の遊女の稼ぎは客から舟押しが頂戴し、茶屋にその代金とどの遊女がいくらで売れたかを報告する。
そして舟押しは、つぎの日の早朝に遊女の取り分を預かって、それから遊女を沖まで迎えに行くのだ。
金が絡むことはひとりに管理させてはいけない。
商売の鉄則でもある。
沖の場合は毎回違う女を指名しても良いが、余程のことがない限り同じ遊女と一夜を過ごすので顧客管理はしやすいのだ。
『それはまあ面倒なことで』と言いたげな松風にそう説明すると、弥彦は元来た道を歩きだす。
それにつられて松風も歩きだした。
茶屋に帰っても客が取れるか分からない、須磨がまだいたころには多少のやる気を見せていたが、いなくなってしまってからは無気力な顔で見世に座っている。
(気分転換になればと思い連れてきましたが、まだまだ時が必要なようですね)
そんな風に弥彦が考えていると、背後から見知った者が声を掛けてきました。
「弥彦さん、また会いましたね。すごく美しい女性を連れていますが茶屋の方ですか?」
「ええ、まあ。――ところで太一さんはどうして花街に?」
「主人からの使いっぱしりですよ、萩屋まで。そうだ、茶屋までご一緒させてもらってもいいですか?」
「……いいですよ」
どうせ同じ道筋だ。
彼の目当ては松風なのは見え見えだが、ともに歩く程度なら問題ない。
弥彦が渋々ながら了解すると、太一は臆面もなく松風に話しかけだしたのだ。
「いやあ美しい方ですね、ボクは太一と申します」
「……」
にこりと太一があいさつをするが、松風は素知らぬ顔をする。
返事がないことに『おや?』と目を丸くする太一のそばに寄り、弥彦は小声で答えた。
「茶屋の遊女は見世にいるときか、旦那になった方としか口を開きませんよ」
「えっ?どうしてですか??」
花街の理を知らない太一は首をかしげてみせる。
『まあ、田舎の出だと聞くし…』と弥彦は改めて茶屋の遊女のことを語り始めた。
「茶屋にいる遊女たちは、みな上級の遊女となるべく養育されてきた者たちばかりです。素質も素養も兼ね揃えた選ばれた女性たちですから、相手をする旦那たちもそれなりのものを要求されます」
もったいぶった遠回しな言葉使いにじれた太一は
「――つまり、どういうことなんです?」
と、直球で答えろという。
(やれやれ、これだから野暮ったい田舎者は……)
弥彦は一応の気を使っていたのだが、本人がそれを望んでいないようなのではっきりと言った。
「地位も金もない男と、気安く口をきく遊女はいないということですよ」
「話をするのにも金がかかると、……そういうことですか」
「それ以前にこんなに人が多く行きかう花街で、船宿の奉公人と親しく会話をすることなど、岡の遊女にあってはならないことです。彼女の遊女としての格が下がります」
だから沖の女たちのように接するなよ、と弥彦は太一に釘を刺す。
今ここで松風の品格を落とせば、弥彦とて己の立場がない。
松風自身も船宿の下男に興味はなく、太一と目を合わせようともしなかった。
ふ~ん――。
太一は何かを悟ったように神妙な顔つきになる。
ふだんから笑顔の太一の表情が変化したことに、弥彦は驚き、彼を警戒するように歩く。
しかし太一はすぐさまにこりと笑顔に戻り、少しこわばった顔になっている弥彦に言うのだ。
「――じゃあ、ボクが茶屋で彼女を買えば、お話ができるってことだよね」
「まぁ、そうですが……。一分銀は掛かりますよ」
「うわっ、そんなにもお金がいるんだ」
「部屋持ちなら二分金から、一番人気になると一両からになりますね」
さすがに予想外のケタを出された太一は珍しく焦りだした。
「――から、っていうと他にもお金が掛かるんですか?」
「多くの旦那さんは酒や食事を頼むのでその代金が加算されます。ちょっとした宴会を開いて遊戯をするなら幇間や芸者を呼ぶこともあるので、さらに金がかさみます。それが女遊びの醍醐味ですから」
「山里の宿場町の飯盛りたちとはずい分違うんだね……」
それはそうだろう――。
内海に浮かぶ島の小さな花街とはいえ、廻船業を営む者たちの間では高い評価を得ている。
花街は男の社交の場。
または旦那たちを愉しませる空間を提供している場所といえよう。
田舎の宿屋で給仕のついでに男にまたがる飯盛り女とは土台から違うのだ。
「手頃な女と遊びたければ、西の港町の一角にある連れ込み宿の近くで客取りしてる女たちがいますよ。ま、その後ろに何が付いてるのか分からないし、役人に捕まる覚悟も必要になりますが、――ね」
弥彦は太一にそう告げるころには萩屋へ到着し、裏口まで来ると一番初めに松風を茶屋の中へ押し込みました。
彼女もとくに嫌がることはなく、下駄を脱ぐと二階へと上がって行きます。
その光景を名残惜しそうに太一は見つめていました。
「あんなにキレイな人たちに囲まれて、弥彦さんの職場が羨ましいです」
「そうですか?僕らは遊女たちに手をつけたら終わりですよ?」
「ああ、やはり辞めさせられちゃいますか」
「いえ、文字通りに人生の終わりです」
「……あはははは。それはきびしいですね」
にこやかな笑顔で弥彦が太一に答えると、彼は一礼したあと、そそくさと番頭の所へ文を届けに行きました。
いくら無類の女好きでも、金と暴力の前では膝を地面につけるしかない。
その程度の思考があるのが確認できただけでも安堵する。
(何を考えているか読めない以上、深入りするのは危険かもしれませんね)
太一はひとりの女にのめり込むような男ではないのだなと感じた。
そういう男は女に対して無駄な執着はしない。
誰も本気で好きにはならないからだ――。
(どこかの大店のドラ息子であれば、問題も多そうだが、よい客筋になるのになぁ……)
弥彦はふと、そんな風に思ってしまうのだった。




