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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第五章:物は言いようだ
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浮世の習い

(お千代さんも今はあまり彼を気にしているようでもないし、人の心の移ろいやすさということでしょうか……)


弥彦自身も定まることのない人の心というもので、実家を飛びだすことになった過去から安易に人の心を信じてはいない。

いつどこで人の心が変わるのかは、誰にも分からないことだから――。


生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)という教えが身に染みてよく分かりますよ。本当に……)


ありていに言えば、『人は生まれれば必ず死に、出会った者といつかは離れる定め』そのことから”人の世にいつまでもというものはない”という儚い人の人生を説いた仏教の教えでだ。


(そう言えば、平家物語の平維盛もそれは『浮世の習い』と言ってましたね)


人の生死だけではなく男と女の仲も、まさに浮世の習いのごとく儚く終わってしまうものなのだろう。


どこか大悟したように弥彦は男女関係の空しさについて思案していると、風呂場から女たちが着替え終わったのか、わらわらと出てきました。


「弥彦さん、お待たせしました」


遊女の中のひとりがそういうと、弥彦はふだんの笑顔を作ります。


「みなさんお疲れさまでした。これから茶屋に戻って夜見世までゆっくりと休んでください」


「「「はーい」」」


女たちは元気よく返事をしたあと、おしゃべりをしながらつた屋の裏口から外へ出ます。

弥彦も女たちがみな外へ出たのを確認すると裏口の戸を静かに閉めました。



茶屋までの道のりは長くはありませんが、出会う港町の人々がこぞって『ベッピンさん、今日もお勤めご苦労様』などと女たちに声を掛けてきます。

女たちは丁寧にお辞儀をしますが、気さくに話しかけることはありません。


『茶屋の遊女は話すにも金がかかる』とまではいかないが、それだけの格をもっているということで、港町の者たちも勝手知ったる花街の女はそういうものだと理解している。


気軽に会話が出来ない特別な女だからこそ価値がある。

男が求める女のすべてが詰まった高嶺の花な存在でなければならない。

それが岡の遊女そのものだった――。


萩屋に戻ると女たちはまだ仕事中の上見世の遊女たちの世話をしたり、二階の控えの間にいる遊女たちの化粧やお歯黒の手入れの手伝いなどもする。


弥彦から『ゆっくり休んでください』と言われても、茶屋が開いている間は休める場所などない。

上見世の遊女たちの仕事が終わって、旦那衆が店から出ることでやっと一息つける。

つまり弥彦の言葉は裏を返せば『ゆっくりしたければ茶屋で下働きしろ』ということなのだ。



その弥彦はというと、番頭につた屋の宴会に同席する遊女の手配の確認と、直江屋の船頭の話のことなどを詳細に伝える。

さらに番頭からの指示を自分の帳面に書き、夜の仕事の予定を頭に叩きこむのだ。


だが、少し番頭は渋い顔をして、遊女たちの旦那の名がまとめられた”御客控え帳”を眺める。


「鈴虫の旦那が船を下りたんか……。岡に上がれそうな後釜はおらんかったか?」


「急遽、直江屋の奉公人の若者をふたり乗せたらしのですが、たぶん炊あたりの担当をしていると思いますので岡に上がれず沖でしょう」


「う~ん、実入りが減るのは致し方ない。――弥彦、吉屋に行って沖のもんをひとり増やせるか聞いといてくれ」


「沖の遊女はうちが五人、吉屋さんが二人でしたね。……分かりました」


弥彦は番頭に一礼すると、裏口から表へと出ようとしたところで松風と出会った。

というか、待ち伏せされていたようだった……。


「吉屋にわっちを連れて行きなんし」


当たり前のように松風は弥彦にいう。


「勝手に連れて行けるわけないでしょう。面倒ごとに巻き込まれるのはご免ですよ」


「ちょっと外の空気を吸いたいだけでありんす」


須磨が身請けされてから、松風は少し元気がなかった。

わがままを言うのは毎度のことだが、それでもどこか侘しさをはらんでいた。


(心ここにあらず、――というか捨て鉢にもなるれるほどの気力もないようだ……)


傷心の遊女の手助けをするのもまた仕事。

近くの若い衆に松風のことを知らせると、裏口の戸を開けてます。


「吉屋に行って帰るだけですよ。身勝手なことは慎んでくださいね」


「分かっていんす。わっちだって足抜けするわけにはいきんせん」


茶屋育ちの遊女が、男の手引きなしで島を出ることはできない。

松風はそんな熱のある旦那はいないし借金もある。


今年の春の季節が終わるころ、松風の親しい遊女が首を吊った。

彼女の遺書にはこう書かれていた。



『――旦那さまから、年季が明けたら私とふたりで新しく商売をしようと持ちかけられました。

そのための費用がいるからと、貯めていた有り金をみな旦那さまに渡してしまいました。

それ以来、旦那さまは私のところへは通って来なくなりました。


騙されたと(いきどお)るよりも、年季明けまでに借金を返す目処も立たなくなり、暗闇のまま生きていくことに疲れました。


楼主(とう)さま、女将(かあ)さま、大変なご迷惑をおかけいたします。

身勝手なことなれど、どうかお許しください――』



その後、相手の男は再び茶屋を訪れた。

遊女が死んだとは知らず、また上手く金を(むし)ろうと思っていたらしい。

彼女から騙し取った金は本土に渡ったあと、女と博打ですべて失くしたそうだ。


男はやくざ者に売り払われ、今はどこにいるのか分からない。

本土のどこかで死ぬまで働かされることだろう――。


そんな親しい遊女を失ったときの松風は、客やお千代に当たり散らし、さらに客が別の茶屋の遊女に転び、下見世に落ちるほどの悪行を働いた。


(松風さんはきっと、彼女の男との秘め事を知っていたんだろうなぁ……)


遊女とはいえ男に夢を見ていてもおかしくない歳頃だ。

彼女が幸せになれるならと応援していても不思議ではない。


結果的にそのことで、松風は男に夢や理想を描いていた心がポッキリ折れたのかもしれない。

松風が全盛期を誇っていた時の女の色香は凄まじく、今の夕霧と引けは取らなかったと聞く。

下見世に落とされる少し前からその色香も薄れ、今では顔はいいが女としての色気がお千代と違う意味でない。


そのせいか萩屋から吉屋までの道すがら、松風に話しかける港町の者はいない。

浮世の習いのごとく、彼女の遊女としての資質もまた永遠にありつづけるものではないのだろうと、弥彦は冷淡に思うのでした。

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