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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第五章:物は言いようだ
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何がおかしいのか分からない

そのころお千代と寅吉は住吉神社のよこを通り抜け、港の最南端の波止場まで来ていました。


足場の悪い場所で作業を行うことに慣れている寅吉は、足元を確認せずに先へ先へと進む。

そのあとを、お千代が不規則に積まれたでこぼこの石の上を一歩ずつ丁寧に歩いてゆく。

たまに石と石の間から船虫が這い出てきても気にしない。


「……寅吉さん?」


お千代がすこし大きな声で名を呼ぶ。

すると寅吉の歩みが止まった。


そして寅吉は振り返ると、表情を無理に抑えたような不自然な顔をする。


「――どうして、俺を追いかけて来た」


「それは……」


寅吉の問いにお千代は言葉を詰まらせる。

しばしお千代は沈黙したあと、寅吉の目を見据え口を開くと


「それは、…今日買ってもらえるか心配だったので、再度寅吉さんからの口から確認をしたかっただけです」


と切羽詰まった声で答えました。


寅吉にとっては予想外の言葉だったようで、ぷっと息が漏れ出すほど口元を震わせました。


「くっ、くくっ…。それでいい。それが遊女としては正しい解答だな」


そう言いながら、寅吉は大きな声で笑い出す。

だが、お千代は薄々と感づいていた。


さきほどの又助との言い争いのあとで、遊女から偽善的な励ましや慰めの言葉など、寅吉は欲しくないということを――。


お互い深く踏み込んだ間柄ではない。

寅吉が求めているものは心から信用に値する女性であって、いつ切れても気にも留めないような遊女ではないからだ。


なんて寂しい人だろうとあの夜から思っていたが、太一が現れたことで自分も似たようなものだと意識しはじめていた。


(私はそれを笑顔でごまかして、寅吉さんは最初っから誰も寄せ付けない)


だからあえて遊女としての言葉を伝えた。

それに対して寅吉が心の底から笑ってくれた。

今はそれでいい。


お千代は足元に気を付けながら寅吉の元へとゆく。

そして彼のうでにしがみついた。


「今日こそは私を抱くのですか?」


「抱くわけないだろ、バーカ」


調子よく気安い会話を交わして、四半刻ほどふたりで海を眺めるのだった―――。




つた屋の風呂場で湯女として働いていた女たちが着替えをしているひとつ壁の向こうで、弥彦は帳面の内容を確信していた。


彼女たちを茶屋に送り届けた後は、夜の支度を手伝わなければならない。

今晩の宴会に寄越す遊女たちはそれなりの格なので、夕霧同様に力のあるものが引率する。

そして今つた屋で見張りをしている者と交代する手はずとなっていた。


夜見世の弥彦の仕事は、客の案内とほかの若い衆の手伝いだ。

手伝いは馴染みの遊女を旦那の話し相手や、旦那の食事の注文をつた屋に伝えるなど結構忙しい。


「夜見世まであと一刻くらいかなぁ。そろそろ茶屋に戻らないと……」


しかし女たちの支度には時間がかかる。

帰る道のりですら人々に見られるのだ。

みっともない姿を周囲に晒しては、茶屋の信用問題に関わる。



帳面を腰に吊るすと、弥彦は壁にもたれて遊女たちを待つ。

こういうことはいつものことだと彼は慣れていた。

ただ手持ちぶたさと、時間を無益に浪費していることで妙に落ち着かない。


(そう言えば、お千代さんが男を逢引をしているなんてね。前からうわさになっていたのは、直江屋の寅吉という水主だったのか……)


大店(おおたな)の婿養子にと言われていることは、船頭の又助から聞き及んでいた。

大層な女嫌いということで、このままだと船主のお嬢さんに迷惑がかかるからと、――たしかに遊女の良さを知ればハマる男は多いが、あの場にいた茶屋の一番人気の夕霧にすら彼の眼中になかった。


(でもお千代さんは大丈夫なんだ……)


茶屋の女将から『男を引きつける色気がない』、又助からは『素人娘』と言われている遊女に?


(化粧した遊女がダメと本人が言っていたし、お千代さんは仕事のときは薄化粧をしているからいいということなのか?)


あの強い拒絶は並大抵のことでは起らない。

さらに奥深くに根付いたものがあるのだろう……。


第一、お千代は十人並みの容姿で、騒ぎ立てるほどの能力も女の魅力もない。

読み書きが多少出来るようになったが、その程度のことで惚れるなら、上方の娘たちでもいいはずだ。


(まあ、お千代さんには何かこう、見ていられないような雰囲気はあると思う――)


お千代とは祭りのときにちょっとゴタついたが、毎日の手習いのときは何事もなかったかのように接してくれている。


(あのときはちょっとお千代さんのことで心が乱れたが、今はどうってことない。……でもあの彼女が親しくつき合っているという男のことが、何だか気になる)


年に数回この島にやって来る水主のことを、どうして気になるのだろう?


弥彦は頭を下に向けて、はあっと小さくため息をついた。

すると近くの裏口の戸が開き、外から太一が篭を持って入ってきました。


「おや太一さん、顔の痣はどうしたんですか?」


「ああ、浜仲仕の友人を何故か怒らせてしまったみたいでね……」


太一の左頬が青くなっていました。

かなり痛そうだが、それでも太一はニコリとしていた。


「それは災難でしたね」


「ははは。そのあと、別の男からも脇を蹴られましてね。もう踏んだり蹴ったりですよ」


「ええっ」


――どうして暴行を受けたのに、そんなにもケロリとしていられるんだ!?


驚いた顔をする弥彦に対し、太一は多少体の痛みに耐えているようだが、別段変わった様子もなく店の中へと歩いて行く。


(相変わらず変わった人だな……)


怒りがないのか?

何故笑っていられるんだ??


そこに弥彦は引っかかりを覚える。


何せ太一はお千代のことを思っていると匂わせておきながら、同じ沖の遊女の小波と出歩いていたりしている。

そして目当てなはずのお千代には、まるで空を飛んでいる羽虫のように気にも留めてはいないようなのだ。


そこを指摘するのはお門違いなので口にはしないが、太一の思考がどのようなものなかの皆目見当がつかないため当たり障りのない関係を保っている。


(下手に藪を突いても、良いことはありませんからね)


表面上の平穏を保つ努力を怠らないのは、彼の処世術であった。

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