番外編:三郎と初音・後編
初音への気まずさはあるものの、三郎は彼女の手をにぎりゆっくりと歩きだした。
足元の薄暗さに気をつけながら初音の手を引き、そして再び彼女が体勢を崩しても、素早く支えるのでした。
「すんません。この下駄で歩くのはまだ不慣れなんでありんす」
「気にしないでくれ。それより足は疲れてないか?」
「あい、大丈夫でありんす」
笑顔で答える初音に安堵し、三郎は人通りの多い港の近くの大通りへと彼女を連れてきた。
今日の船宿の提灯は花街に劣らないほど明るく、そのうち何軒かは二階でいつものようにどんちゃん騒ぎの宴会をしているようでした。
三郎たちは店の出入り口よこの切目縁に腰掛け、冷えた甘酒をふたつ注文しました。
祭りということで、いつもは売っていない物が置いてあるようです。
店の者がお盆に乗せた甘酒の湯のみを持ってくると、三郎は銭をお盆に乗せ、湯のみを受け取ると一つを初音に手渡しました。
「ありがとうござりんす」
「冷えてるうちに飲んだ方が美味いぞ」
三郎はそう言うと、のどの渇きを潤すように一気に飲み干しました。
そして空になった湯のみを掲げて言います。
「甘酒のおかわりをくれ」
さきほどの者が三郎から空の湯のみをもらい、足早に奥の厨へ向かいます。
甘酒の入った湯のみを手にしたまま初音はそんな三郎の様子をみていて、ふふふっと笑い声を漏らします。
笑う初音に驚いた三郎は、何がおかしかったのだろうと目を見開きました。
「オレ、何かしたか?」
「いいえ。ただ、旦那さまは本当にお酒がお好きなのだと思いんして」
「いくら甘酒とはいえ、こんなもの酒のうちには入らないぞ」
三郎が顔を真っ赤にして首をよこに振る姿がおかしくて、初音は口元を手で押さえてさらに笑う。
こんなにも楽しそうに笑う彼女を見たことがなかった三郎は、おかわりした甘酒を手にし、舐める程度に口にする。
酔うほどのモノではないはずなのに、何故か頬が熱を帯びてくるのだ。
となりの初音が甘酒をコクコクと飲んでいるのを見ているだけでも、変な胸の高鳴りがしてきた。
――やばいなぁ。
タガが外れそうになって怖い。
手を伸ばせば触れることができる女。
その美しい顔は夜でも映える。
着物もそこいらの町娘がちょいと一張羅でおめかしをしているような野暮ったさはなく、洗練された上品さを感じる。
湯のみを持つ手が震えているのを抑え込んで、残りの甘酒をぐいっと飲みこみ、こんな人通りの多い場所で、何を考えてるんだと再度自分を叱咤する。
相手は茶屋の遊女。
下心を見せていい相手じゃない。
三郎が何度も深呼吸をしていると、聞き覚えのある声が話しかけてきた。
「やあ、三郎。お前、ずいぶんとキレイな娘と一緒にいるんだね」
「――た、太一!?」
ニコニコっといつもの笑顔で三郎たちの元へやって来た太一は、ジロジロと初音の方を見ていた。
ここへきて、一番会いたくなかったヤツに出会ってしまったと、さっきまでの熱が急速に奪われていくような錯覚を引き起こす。
「…太一、お前こそひとりでどうしたんだよ。つる辺りと一緒にいると思ったんだが――」
「はははっ、冗談はやめてくれよ。祭りの日くらい顔のいい女を連れ回したいじゃないか」
つるという名をだしてしまったが、三郎の中ではまだ子供のころの記憶が鮮明に残っており、どうしても太一の後ろにつるがいると思いこんでしまう。
しかし太一はもう昔の思い出のかけらも感じられない返答をしてきた。
つるも変わったが、太一も相当変わったなぁ――。
幼いころの思い出は、本当にあった事なのだろうか疑いたくなってくる……。
三郎がげんなりとした顔をしていると、太一の連れと思われる女がこちらへ走ってきた。
「太一さぁん、置いてくなんてヒドイよ。もう!」
「あー、ごめんねー。知り合いがいたから、つい、ね」
小柄の可愛らしい女性がプリプリと頬を膨らませて怒っているのを、太一が軽く謝罪して笑っている。
しかもこの女性は化粧と着物から察するに、つると同じ沖の遊女のようだった。
このまま太一にからまれると厄介だと思った三郎は、となりに座っている初音の手を取り、
「オレたちほかのところへ行くから、話ならまた今度な」
そう言って立ちあがろうとしたが、太一は笑顔でこう言うのだ。
「なあ、三郎。連れ歩く女を交換しないか?」
「はあっ!?」
「そっちの娘、なんかサヨに雰囲気が似てるよね。だから、交換しよ」
「ダメだ!断る!!本当にお前は人の気持ちを考えないヤツだなァ」
「ちょっと、太一さん。サヨって誰よ!?」
早くこの場から初音と逃げだしたい!
そんなことを思い、彼女の手を強くにぎりしめる。
すると初音は三郎の手をにぎり返すと、凛とした面持ちで閉じていた口を開いた。
「わっちは旦那さまと参りんす。それでは前を開けてくんなまし」
初音が静かに立ち上がる。
それにつられて三郎も立ちあがった。
茶屋の遊女に慣れていない太一は、彼女の廓言葉に圧倒されて道をあけました。
となりにいた小波も驚いて後ずさりしてしまいます。
ふたり見つめ合い、初音がクスリと笑みを浮かべました。
「さあ、旦那さま」
「ああ、行こうか初音」
足並みをそろえて夜の大通りをゆっくりと歩きだします。
つないだ手の温かさを感じながら、三郎はそれだけで身も心も満足したような気持ちになったのでした。




