何故、心が乱れるのだろうか
岡の遊女たちは、地唄舞が終わり顔をほころばせて神社から次々に去っていきます。
楽器などは各茶屋の若い衆たちが持ち帰り、尚且つ後片付けもしていました。
初音も踊りが終わると、ほかの遊女たちから離れていきます。
そして先ほど声をかけてきた三郎の元へと駆け寄っていくのでした。
三郎は顔を赤らめ見たことのないような照れた顔つきをし、初音も戸惑ってはいるが何だか初々しくほほ笑んでいる。
それを目の当たりにしたお千代は、彼女に声をかけるのを止め、何とも言えない気まずさを感じて神社から離れました。
(どうして三郎と初音さんが!?)
混乱する頭をもたげながらフラフラと道を歩く。
ちょっと前まで眠れないほどサヨが好きだと言っていた三郎が、今は初音に声をかけ親しく話をしていたのだ。
――初音は岡の遊女なのに……。
岡の遊女は沖の遊女ほど、気安く港町を出歩くことはない。
それに茶屋の若い衆が見ている最中での出来事だ。
日頃から初音を買ってなければ、若い衆たちに咎められるに違いない。
初音の旦那で茶屋にとっても贔屓客なら、この先の利益も考えて少しは目をつむってくれる。
まだ下見世の遊女だから、えこひいきだと騒ぐ客もいないだろうし……。
(私を遊女だからと忌避してたくせに、器量がいい女ならホント誰でもいいんだね)
何でこんなにムカつくんだろう。
三郎なんか、もうどうでもいいのに―――。
サヨのときにあれだけわめいて頼ってきたくせに、別に美女を見つけたら早々にサヨをあきらめて、そっちに夢中だなんて。
太一といい三郎といい、男はすぐに好きな女を変える。
それが恋というものなら、そんなものクソ食らえだ――。
イライラがつのっていく。
どんどん醜い感情だけが膨れ上がる。
楽しみにしていた祭りなのに、どうしてこう嫌なことが続くんだろう……。
せっかく志乃がキレイに結ってくれた髪をグシャッと鷲掴みにしてしまう。
そしてギュッとにぎりしめ、発作的にそのまま引き千切ってしまいたい衝動にかられる。
そのとき、後ろから髪をにぎる腕を強い力で押さえられた。
「髪は女の命でしょう?何をしてるんですか、お千代さん」
「――」
声の主は両手で丁寧にお千代の髪に絡んだ指を外していく。
そして最後の小指を外し終えると、彼女の腕は力なくだらりと下がった。
「その髪型のままでは見栄えに差し障ります。一旦おなごやに戻りましょう」
「……どうして、弥彦さんがここに?」
「神社でお千代さんを見かけたとき、なんだか顔色が悪そうでしたから…」
「――そうですか」
お千代は弥彦に背中を押され、おぼつかない足取りで歩きだしました。
ふたり並んで歩いていても会話はなく、顔を伏せたお千代と辺りを見回す弥彦。
おなごやまでの道筋、周りはみな笑顔なのにふたりとも無機質な表情をしていました。
誰もいないおなごやに着くと、居間の端に腰をかけます。
しんと静まり返った空間にふたり、しばし無言でいたことろを先に声を発したのは弥彦でした。
「…お千代さん、櫛を貸してください」
弥彦がお千代の方を向いてそういうと、お千代はひざをついて居間に上がり、四つん這いになって自分の棚から櫛を取りだして持ってきました。
その遊女らしからぬ振る舞いに、弥彦は苦笑いしながら櫛を受け取ると、片足だけであぐらを組むように座り、四つん這いになったままのお千代のほつれた髪を簡単に整えます。
「髪が乱れたときのために、櫛を持ち歩かないのですか?」
「いつも志乃姐さんが結ってくれるから……」
「いざという時のために、ふだんから持ち歩いてください」
「はぁ…」
まるで生気が抜けたような受け答えをするお千代に、弥彦は大きくため息をつきます。
「神社で初音さんと話をしていた男の人と、何かあったんですか?」
「―――っ!」
ビクッと体を震わせるお千代に、弥彦はさらに追い打ちをかける。
「僕たち若い衆は、祭りに浮かれた者や酔っ払い、不審な者がいないかを常に見張っていたんですよ。僕がお千代さんに気づいたのは踊りが終わるくらいのときで、初音さんの贔屓客が声を掛けたあと、あなたの顔色が急に変わりましたからね」
「――いえ。知らない男です」
「それでしたら、今度茶屋に来たときに直接彼に聞いてみます。何せ初音さんにご執心なようなので、日も掛からぬうちに来られるでしょうし…」
ふふっと鼻で笑う弥彦に、ぐっと歯を食いしばりながら座り込んだお千代は、重い口を開き苦しそうな声で漏らす。
「――あの人は、…同じ里の男です」
「なるほど。でもまぁ、人の恋路にズカズカ足を踏み込むほど僕は野暮な男じゃありません。しかし仕事に差し支えるようなことになれば話は別です。それだけは、覚えておいて下さい」
表面上は笑顔だが、目は決して笑っていない弥彦がそう言いました。
するとお千代は慌てて弥彦に訴えました。
「あ、あの男はちょっと前に、私の義妹が好きだと言ってので、それで――」
と言いかけて、素早く口に手をあてた。
その突飛な行動に、弥彦はいかにも不審そうな顔つきをします。
「お千代さんは前に、家族をみんな亡くしてるっていってませんでしたっけ?」
「それは……」
お千代は言葉を詰まらせる。
嫌な空気が漂う中、見つめ合うふたりは無言のままで相手の出方を待っていた。
これ以上ボロを出したくないお千代と、彼女の真意が知りたい弥彦。
静かな居間の空間に、遠くから祭り囃子が聞こえはじめていた。
神輿が近づいて来ているのだろう。
太鼓の音がトントコトントコと鳴り響き、声を張りあげて唄う男に合わせて『ハァ、よっしゃあ、よっしゃあ』とほかの男たちが掛け声を上げる。
神輿が徐々におなごやまで近づいて来ているのが、祭り囃子と男たちの声で分かった。
居間の中では妙な緊張感が生まれ、何故か鼓動が高鳴ってくる。
顔が汗ばみ気恥ずかしい気分になる。
どうしてだろうか、そんな雰囲気に変わってきたのだ。
つい先ほどまでの冷たい空気が一変して、神輿を追いかける甲高い子供の声と人々の笑い声、そして『落とすぞー!』というかけ声とともに、ドシャーンと大きな物が地面に落とされる大きな音が耳に入る。
すると男たちが『ようやったあ、ようやったあ』と口々に叫びだしたのだ。
そんな掛け声が響いてくる中、お互い顔を紅潮させ少し距離を置きながら、神輿が過ぎるのを静かに待ったのだった。




