笑う弥彦
このとき小波は弥彦を言い負かしたと思い、彼女の前に座り込んでしまった彼に向かってさらに自らを称賛する言葉を口にしはじめた。
自分は誰よりも美しく、芸や唄ができなくとも男を虜にできる。
岡の遊女たちは、そんな猿回しのようなマネをしないと客が取れない哀れな女たち。
沖の女は日々小銭を稼ぐだけしかできない下等な存在。
何もしなくてもこの身一つで男が寄ってくる自分を崇めろ、と―――。
「ね、アタシはそんじょそこらの女とは違うの。だからさっさとこの手の縄をほどきなさい」
手足を縛られながらもふんぞり返る小波。
そんな彼女のご高説を静かに聞きいていた弥彦は、神妙な顔が崩れ、後ろへ倒れ込むと腹を抱えて大きな声で笑いだした。
「くははははは!な、何か真面目なことを言うのかと思って、ぷっ――。黙って、たけど、…あはは。こ、こんなにも視野の狭い人をみるのは――、はじめてですねっ、ぷははははははは!」
思っていた以上に小波の台詞がツボにハマったのか、弥彦は笑いが止まらず目じりに涙を滲ませて腹から笑い声を出すのでした。
予想外の弥彦の姿に、小波はわなわなと体を震わせます。
「……何がおかしいのよ」
「全部ですよ。――それにしても、こんなに笑ったのは久しぶりです」
そして彼は、くくくっと笑い声を漏らしながら彼女にいいます。
「茶屋に来られる男の方は欲求を満たしたいのと同時に、自分より高貴な身分の女性と枕をともにしたいんですよ。だから言葉使いや立ち振る舞い、芸事に読み書きという教養の高さを岡の遊女はウリにしているんです」
弥彦は起き上がって小波の前に再び腰を下ろし、睨みつけてくる彼女に笑顔で言葉を紡ぎます。
「また船で命を張って働く男たちが求めているのは、安らげる妻のような女です。そのため沖の遊女目当てに商業船が来ることだってあるんですよ」
「そんなのただ金持ってない、陸にも上がれない男たちじゃない」
「その陸にも上がれなかった沖の客も、出世をすれば岡の遊女を買うことができます。またこの島を気に入った水主が船を買い、うちの茶屋や港の商家などにお金を落としてくれることもあるんですよ」
さらに付け加えると、と弥彦は口にし水主たちの評判が良ければこの島に来る船が多くなる。
小さな港町は船から商品や資源を買い、それを別の船に転売することで命脈を保っている。
最初はよい遊女がいるからという理由でもいい。
とにかく船が来なければすぐに港町は干上がってしまう。
切っ掛けさえあれば、島の商売人たちもまたその船が来てくれるように良い話を持ち掛けたりする。
それに船を相手にする商売舟は、客が満足するような売り方を心得ている猛者ばかりだ。
「それと同じように花街の茶屋同士も商売敵とはいえ、共存のためにお互いに決まりごとの範疇で商売をしているんです。だからあなたのように、それを壊そうとする輩は困るんですよね」
「そんな小難しいこと分からないわよ。それにこの港町がどうなろうと、アタシの知ったこっちゃない」
「まあ、そうですよね。あなたのように品性も知性も持ち合わせてない方には、難しい話ですよね」
弥彦がやれやれといった手振りをしながら、小波を憐れむような目で見つめます。
その態度が気に障ったのか、彼女は手足を縛られているのを忘れ、その場で立とうと勢いをつけたら横へ倒れ込みました。
それでも弥彦を睨みながら体をジタバタさせます。
「アタシは完璧な女だから男にモテるの!アタシが誘うだけでどんな男もついてきたくらいにね!」
「それは若い女が小銭で買えるというなら、金を出す男はいるでしょう。もっと具体的に言えば、ちょっと催したから用を足しに行くようなもんですよ」
「はあっ!?」
「だから、そこに手身近な厠があったから利用したくらいな感覚で、あなたの魅力とは関係ないんですよ」
ただの『男の生理みたいなものですよ』と、弥彦はあっけらかんと小波の自信のネタを潰していく。
こんなやり取りを続けていくうちに、最後には彼女は口をパクパクさせるだけで言葉が出なくなっていました―――。
小波の女として自信も価値も踏みにじったあと、弥彦は『そうそう』と思い出したように彼女に伝えます。
「さっきも言ったと思うけど『十両で即死罪』についてですが、そこまでの金は小波さんも稼いでなさそうなので、その金を楼主に一文残らず渡せば穏便に済ませるという温情を頂いてるんですよ。そろそろ稼いだ金の在処をしゃべってはいただけませんか?」
つらつらと述べながら小波を座らせ直し、彼は腕を指さしてみせます。
「盗みは入れ墨ですよ。背中の菩薩などの彫り物をウリにする遊女もいますが、腕の墨じゃ客は呼べませんからね」
さらに弥彦は彼女の首元に手を当てて言います。
「あまり楼主の手を煩わせると、あることないこと役人に吹き込んで、刑場送りにされることだってあるそうですよ」
彼は首元に当てた手をちょんちょんと動かします。
すると小波は頭からつま先までぶるっと身震いしました。
「僕が生まれ育った村の近くには大きな刑場がありまして、子供のころから何度かその様子を目にすることがあったんですよ―――」
と、弥彦は淡々と語りだします。
土壇場に目隠しをされ座る罪人が、目の前の穴に首を差し出す体勢を後ろの男たちから取らされガクガクと震えていた。
すると刀を振りあげた役人が、身を震わせる罪人に向かって何かしゃべっている。
なんだろうと思っていたら、そのまま口で何かをしゃべりながら役人は、スパッと罪人の首を切り落としたのだ。
それは見事なもので罪人の首はころんと穴に落ち、胴側の首の切り口からは栓を抜いたように血が噴き出したという。
それにしてもあの役人は罪人に向けて何をしゃべっといたのだろうと気になり、弥彦はその言葉を探ろうと刑場へ足を運び続けた。
斬首刑のときだけ、刀を手にする役人は罪人に何かしゃべっているのだと気づいたそうだ。
十何回も足しげく通い、役人の口の動きに注意してみると、
『まだ斬らん、まだ斬らん――』
そう何度も口にしていたのだった。
「罪人の体に力が入っていると首が斬り落としにくいから、相手を言葉で油断させると斬りやすいという、――罪人への役人からの気遣いらしいね。上手く首を刎ねることができないと、何度も首に刃が刺さるだけで罪人もとんでもなく痛いらしい」
そんな弥彦の苛烈な昔話を耳にし、小波はうぐっとさっき腹に収めたおにぎりがのどに押し返してくるのを何とかこらえるのに必死だった。




