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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第一章:沖の遊女の一日
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住吉神社にて

岡の遊女の須磨と松風姐は一番人気の夕霧を敵視していて、夕霧と仲のいい沖の遊女のお千代のことが気にいらない。

大なり小なり岡の遊女は沖の遊女のことを格下扱いしているが、表立って露骨に嫌味をいうのはあのふたりの姐遊女だけです。


(私もふたりのこと苦手だから、あまり関わりたくないんだよねぇ…)



お千代がため息をつくと、出かけていた様子の茶屋の女将さんが声をかけてきました。


「まあお千代、萩屋に来ていたんでありんすね。亭主さまか、あちきにでもご用事がありんしたか?」

「いえいえ、女将(おかあ)さん。ちょっとお茶屋に顔をだしただけですよぉ」


「そうでありんすか…。なにかありんしたら遠慮なく言いなんし。これでもあちきはお千代の母親なんでありんす」

「はい、ありがとうございます。女将さん」


「いつでも相談に乗りんす 。ひとりで抱え込んではいけんせん」


そう言って女将さんは上品な笑顔でお千代に手を振りますと、茶屋の中へ入って行きました。



女将さんも昔は名をはせた岡の遊女だったといいます。

それもありまして、だれに対しても等しくお優しく、今では女将の仕事として遊女たちの相談役をしています。


(あーっ、初音さんのことを女将さんに言えばよかったかも……)


女将さんは本当にいい人すぎて、いまだにお会いするとお千代は緊張してしまいます。


あの美しく気高い瞳でみつめられたら、男の方でなくても惚れぼれして口にだそうとした言葉を忘れてしまいます。

だからお千代は女将さんのことが、近寄りがたくてすこし苦手でした。




花街をでると、港の近くのおなごやより海沿いの南の方へ歩いて行きます。

航海の安全をお守りしてくださる神さまを(まつ)る住吉神社が海岸(かいがん)に建てられてました。


(旦那さんたちもここへ来て、よくお参りするとか…)



住吉神社へと渡る橋の前に大きな常夜灯(じょうやとう)が置かれています。

夜には波止場(はとば)のそばにある、この常夜灯の灯りを頼りに船が来るそうです。


(たまに夜、眠れないときに旦那さんとの寝床から抜け出して港町のほうを眺めていると、この常夜灯の灯りが小さく見えるんだよね)


辺り一面が静寂な闇夜に包まれている中、常夜灯の(あか)りがうすぼんやり見える景色に体ごと真黒な海の中へ吸いこまれそうになったことが多々ある。


そんな不思議なともしびを放つ灯籠(とうろう)が今、目の前にそびえ立っています。


(昼の間は常夜灯の灯りもお休みのようで、あの夜の神秘的な様相はどこかに隠れてしまっているのかな?)


そう思いながら常夜灯をあとにして、参道へつづく小さな橋をわたりました。



海風が心地よく吹き抜ける参道を通り、狛犬が向き合う神社の前まで来ると、心が引き締まってきます。


(旦那さんたちがみんな、ご無事でありますように……)


まばらな参拝客がお参りする中で、お千代はそう願いました。



船の航海もけっして安全ではありません。

遭難し行方不明になる船の話を耳にすることもあります。


そして航行中に病気にかかると、医者にかかることもできません。


この島には病気でいのちを失った水主(かこ)のお墓もあり、年に一度、港町の住人の方々が水主たちの霊を慰めるためお寺で法要をしてくれています。


(船が沈まないように…。どうか、どうか……)


見知った人なら誰でも、その死を知るのはつらいことです。

お千代は目をつむり、神さまの前で祈らずにはいられませんでした。



住吉神社の本殿は、上方の住吉大社を小さく模した(やしろ)だそうです。


この港に訪れる廻船(かいせん)問屋の旦那衆の力で作られたと聞きました。

港町の住人の方も、もちろん多大な寄進(きしん)をしています。

花街の楼主たちも、遊女たちもです。


建てられてまだ十年も経っていないらしいのですが、潮風の所為かところどころに(さび)や塗りが禿()げてしまっているところも見受けられました。


―――人の力は自然に及ばないか…。



キレイに細工された彫り物も、塗りが剥がれかけたり、ひびが入っていたりしています。


こんな光景をみると、人の命のようで悲しくなりました。


(昨日は笑顔でお話できていたお父さんも、次の日にはもう一生お話ができなくなってしまった……)


だから私は人が死ぬのは嫌いです――。


お千代はすこし傷んだ気持ちを抱えながら住吉神社をあとにしました。




常夜灯までもどって近くの波止場に腰をおろすと、目の前に広がる青い海を眺めました。


すると沈んだ心が波のように穏やかになっていくような気がします。


三崎島の前にある端島(はしじま)との間には、数隻の弁才船が(いかり)を降ろしているようにみえました。

その周りには、港から水や食料や日用品などを販売するたくさんの小舟が、ちょろちょろと船と船の間を行き交っています。


(今日はあの船かな、それともこれから入港する船かな?)


夜の仕事のことを考えていると、ふいに海のなかへと吸いこまれるような感覚におそわれました。

お千代の体は波止場から海の方へと無意識に傾いたのです。


(お父さんが呼んでるのかな……)


ふとそんなことを思っていると、


「あぶねぇ!」

というかけ声とともに、だれかが後ろからお千代のからだを後ろから抱きしめていました。


(……え?)


うすぼんやりした頭の中でお千代はワケも分からぬうちに、波止場から常夜灯の方まで引きずられていきました。



そして常夜灯の真下に座らされると、大きな声で怒鳴られました。


「どんな事情があるンか知らんが、住吉の神さんの前で身投げとか罰当たりなことすンじゃねぇ!」


声のかたは見た目は若い漁師のようで、日に焼けたからだをしたガタイの良い男性でした。


「み、身投げなんてめっそうもない。ただ海を眺めてただけです。…そしたら急にふらついて―――」


そして海へ落ちかけて………。



お千代がそう言いかけたら、若い漁師さんは顔をしかめていいます。


「あんた、べっぴんさんじゃろ?たまにべっぴんさんの仏さんが向かいの端島に流れつくことがあるンじゃ、気ィつけろ」

「……すいません。ご迷惑をおかけしました」


「あんたらみたいなワケあり者は、海を間近で見ンな。…引き込まれるぞ」

「引き、…込まれる?」


「海でしんだやつらはのぉ、さびしゅうて仲間を欲っしとるンじゃ。わかったら早よぅ去ね」


若い漁師さんはそうお千代に忠告すると、背を向けて去って行きました。

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