遊女の末路
雨音が激しく瓦を叩きつけるような音を聞きながら、初音は客の見当たらない表通りを見つめていました。
そのよこには、つい二か月ほど前までこの茶屋で権勢を誇っていた須磨と松風が座っています。
表だって初音をいじめることはありませんが、人夫が初音を指名するとクスクスと笑うのです。
自分たちを人夫が指名しようとすると睨みつけては客を追払うので、昔馴染みの客ですら人夫たちのうわさを聞きつけて彼女たちを贔屓にすることをやめてゆく……。
そんな落ちぶれた自分たちより下がいると彼女たちは思っているのでしょう。
(須磨姐さんも松風姐さんも、この先のどこを見つめてるのでありんしょうかぇ?)
借金が年季明けまでに返せなければ数年は茶屋で延長での仕事が待ってます。
それでもまだ借金が残っているなら夕霧のような一番手の下働き、もしくはやり手になって遊女の面倒を見る仕事する。
茶屋で働くところがなければ沖の遊女へくら替え、さらには宿場の飯炊き女にこんぶ巻き芸者、そして夜鷹へと落ちてゆくしかない。
若さがなくなった分の儲けの少なさは、この茶屋の稼ぎと雲泥の差があるという。
百文で一刻半、三十文で四半刻というやり方で身を切り売りしていくしかない。
茶屋の下見世に座る遊女でも、客と寝るだけで一分銀一枚と二朱銀一枚の稼ぎがある。
だが、彼女たちにはまるで焦りがない。
不思議なことだと初音は思っていた。
降りやまない雨のせいか、伸びない客足に若い衆たちが手持ちぶたさに掃除をしていると、仕立ての良い着物を着た商人風の初老の客が暖簾をくぐってきました。
「高田屋の旦那さま、お久しぶりでございます」
「この雨でうちも商売あがったりでねぇ。暇を持て余して、ちょいと縁起担ぎに遊びに来てしまったよ」
わっはっはとにこやかに笑う客に、幇間〔客のご機嫌取りをする男芸人〕の仕事も行う若い衆が『ささ、どうぞお上がりください』と客間に案内しました。
相手は常連の上客。
まずは雨の中をお越しくださったことへのねぎらい。
その間に別の若い衆が客の濡れた衣服を乾かす仕事をします。
そしてお茶をお出しして、幇間は面白い話をしながら今日のお相手は贔屓の遊女でよいかと聞きました。
すると上客は手をよこに振って答えます。
「今日からは蛍を贔屓にするよ。楼主にも伝えてあるから、そう手配しといてくれ」
「へい、かしこまりました」
幇間は帳面をパラパラと開いて、客の名の下に書かれている前の贔屓の名前の上に線を引いて、新しい贔屓の名をよこに書きこみました。
そして近くにいる若い衆を呼んで、蛍の部屋まで向かわせます。
「今、蛍は空いてないので、しばしこちらでゆるりとなさってくださいませ。酒の用意でもいたしましょうか?」
「そうだな。酒と食事でも頂きながらゆっくり待つとしよう」
上客が機嫌よくそういうと、若い衆がわっと一斉に動きだしました。
その活気につられて、外から客が茶屋に入ってきます。
そんな後ろでの動向を耳で聞き流しながら初音が不意によこを向くと、姐遊女である松風がプルプルと震えているではありませんか。
ああ、客が贔屓していたのは松風姐さんだったのか―――。
さすがに上客が、下級に落とされ大広間でしか情を交わせない遊女を贔屓したいとは思わないだろう。
須磨や松風も今さら大部屋なんてまっぴら御免といわんばかりの態度だし……。
ということは、このふたりの姐遊女たちは、自分を贔屓してくれた客が身請けしてくれるとでも思っているのだろうか?
初音はこのふたりの行動からそう感じ取りました。
(身請けなんて、そうそうありんせん。――でも、そう夢見ることはわっちもありんす……)
遊女を身請けするには多額のお金がかかる。
身請けを希望する客は、遊女に科せられた借金、年季明けまでの稼ぎ、禿や新造など妹分へのねぎらい金、仕舞い宴会の費用などの金額を、楼主と数日間駆け引きして決める。
遊郭ほどの高値でないにしろ、それなりの大金が動きます。
よほどの金持ちかそれに準ずる立場の者が、ほかの男に触れさせたくない、独り占めしたいという独占欲で、大金を茶屋に支払い贔屓の遊女を身請けするのだ。
沖の遊女くらいならそこそこの金をもった客なら身請けできる。
借金が少ない。
年季明けまでの金額も高くない。
身請けされても大した稼ぎの誤差もなく、つぎの遊女も岡の遊女ほど手間暇かけずに即戦力を補充できた。
だから島の者に買われ、そのまま島で暮らしている元沖の遊女も少なくない。
(遊女と旦那さまとの会話はみんな嘘事。そう教えられてきたはずですのに、それでも夢を見てしまうのでありんす)
借金がなくなりひとりだけ相手をする生活。
その方が今よりマシという程度だけど、お金を積んでも身請けしてもらえるということには憧れるものだ。
しかし、それが現実になると信じているのはあまりにも夢を見過ぎている。
ふたりの姐遊女をここまで愚かしくしてしまったのは誰なのだろう?
初音はこのことに気づくことは一生ありませんでした。




