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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第四章:私は何度もくりかえす
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岡の遊女というもの

――あ、雨が降ってきた。


手習いの部屋にあたる奥の間の格子をふと見ていたら、大粒の雨がぽつぽつと空から落ちてきています。


(うわ、帰りどうしよう……)


お千代が外の雨のことでそわそわしていると、弥彦がその様子に気づいて彼女の近くに寄ってささやきました。


茶屋(みせ)の傘を貸し出しますので、心配しないでください」


「おお、ありがとうございます」


「お客さんにも貸し出してますので、もし無くしたら、―――ですけどね」


傘を借りられることで喜び勇むお千代に、弥彦はちょっといたずらっぽく右手の親指と人差し指で円を作ってみせた。

するとお千代ははわわわわっと驚いた顔をして、矢継ぎ早に答えました。


「…明日には必ず返します。絶対に、です!」


その顔つきが面白かったのか、弥彦はくくくくっと笑いを(こらえ)えながら彼女に言います。


「――忘れないように、お願いしますね」


「はい。承知いたしましたぁ!」


ややからかわれていることにも気づかず、お千代は弥彦に宣言すると、目の前のお手本帳の続きを緊張しながらも黙々と再開するのでした。


弥彦はそのしぐさもツボにハマったようで、腹を引きつらせて目じりに涙を浮かべながら声を殺して笑う。



その光景を幼い禿たちはヒソヒソと声を漏らさぬように話します。


「まるで飼い主と猿のようでありんす」


「だよね。お千代は真面目な分、色々と損してるよね」


「岡の遊女になるなら、弥彦程度はあしらえるくらいになんないと……」


茶屋で男女のことなどの人間模様を普段から目にしてきた禿たちは、お千代の数倍は大人びていました。


「それにしても、すぐに逃げだすと思っていたのにまだ続いていんすぇ」


「うちらの姐さまたちと違い、芸もお客に送る手紙も書くことのない沖の遊女がよく頑張れるよね」


「そうそう、他藩の下っ端の水主に情けをもらう仕事をしてるのにねぇ」



茶屋は島で仕事をしている人夫の相手をするが、それは岡の遊女の中でもっとも価値のない者だけで、部屋持ちになれば相手をする旦那もそれなりの客層になる。


遊女自身の格が上がれば今まで贔屓にしていた旦那衆も、無理を押して買い続ける者もいれば、茶屋と相談の上、贔屓の遊女を替えることができる。


客のふところ具合に合わせ、他の遊女をあてがうことで茶屋としての損失はそこまでない。


遊女も金を多くばら撒く客の方が借金を返す上でもっとも重要なことだから、単価の低い客を相手し続けるよりかは彼女たちの都合もずっと良い。


これは下級遊女も人夫からの評判がよければ、おのずと上客がついてくるようになるからだ。


そして格のあがった贔屓の遊女が買えなくなったら茶屋は次の遊女を差し出して、再び人夫たちに遊女の評判をあげてもらう。


人夫たちは贔屓の遊女の格が上がったのを見届けると、『自分たちが育てた!』という満足感を得られ、また新しい遊女と(しとね)を共に出来るという利点がある。


客がほかの茶屋へ転ばなければ贔屓を変えることはやぶさかではない。

金さえ上手く回れば楼主も口をつぐむのだ。



そんな茶屋の決まり事を見てきた禿たちは、年季が明けるまでひたすら下郎を相手にする沖の遊女をよくは思っていない。


遊女としての格も先もない、子供ながらに上を目指すという面白味もない生き方をしていると嫌悪しているのだ。


だから自分たちの目からは無意味なことをしているお千代に、どうしてそこまでやり遂げようとするのか意味が分からない。


その点についてだけ、不思議さと好奇心をもっているのだろう―――。




そろそろ茶屋を開けるという時刻に、弥彦から傘を借りて帰り支度をはじめていたお千代のもとへ初音が小走りに駆け寄ってきました。


「お千代さん、すこし良いでありんすか?」

「あ、初音さん。お久しぶりですね」


「本来ならもっとも早くにお礼を申し上げるところを、今さらで申し訳ありんせん。お礼を言いたかったんでありんす」


「そのことなら女将(おかあ)さんからも聞いてますよ。もうひとりでも大丈夫と太鼓判を押されたようですね」


「あい、少しは慣れたんでありんす。これからはひとりでお客さまのお相手をしたいんでありす」


これからようやく本格的な独り立ちをする初音の意思の強さに、お千代はますます自分も精進しなければ、と心に火を付けられました。


「初音さんなら今よりずっとステキな遊女になれるよ。夕霧姐さんよりも上を目指せるかもね」


「まぁ、お千代さんったら。そんな滅相もないこと軽々しく言ってはいけんせん」


「こういうときは、目標を高くしないとダメだよ」


お千代が鼻息を荒くしながらそう訴えると、後ろから音もなく声をかけられました。


「それはそれは、わちきも頑張らねばいけんせん。まだ初音に一番手を許す気はありんせん」


「ゆ、夕霧姐さん。これは、あのですね。ものの例えで―――」


苦しい言い逃れをしようとするお千代を眺めながら夕霧はほほ笑みます。


「お千代、ほんに面白き娘でありんす」


よこでそれを身を震わせて見ていた初音は、何も言葉がでてきません。



夕霧は若干十八という若さで、すでにこの茶屋の頂点に上りついた女性(ひと)だからです。


(わっちと二つしか違わないのに、どうしたらこんなにも遊女としての、女のしての風格がもてるのでありんしょう……)


ほかの遊女から見ても”高嶺の花”という言葉がよく似合う。


それにくらべて今の自分は、――やっと客と少しは話ができるようになっただけ。


わずかな自身もこの気高い夕霧の前では霧散してしまう…。



青ざめている初音に夕霧は背中をとんとんと軽く叩きます。


「自分以外の遊女を気にしすぎてはいけんせん。初音は初音。わちきはわちきでありんす。初音の良いところは、初音の旦那さまたちがよく知っていんす」


「わっちの良いところ……?」


「何度も足しげく初音さんの元へ通ってくれる旦那さんは、初音さんに会いたいから来てくれるんだよ」


調子を取り戻したお千代も初音を励まします。

すこし間が考え込んだ末に初音は意を決して言いました。


「―――わっちももっと努力して、部屋持ちになりたいんでありす」


「まずはそこからだよね。仰々(ぎょうぎょう)しいこといってごめんね」


「いいえ。お千代さんのいうことももっともでありんす」


お千代と初音がそう言い合いながら笑顔になると、夕霧がふたりの肩を叩きました。


「そろそろ茶屋が開きんす。初音もお千代も(はげ)みなんし」


その言葉を残して、夕霧は二階の自分の部屋へと戻って行きました。

初音もお千代に一礼すると、下見世の方へと向かいます。


「…私も帰らなくちゃ」


めずらしく岡の遊女たちと和気あいあいにおしゃべりができたうれしさにお千代は心をほころばせながら、ざあざあと大きな音を立てる雨の中を萩屋と書かれた傘を片手に軽い足取りで帰るのでした。

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