優しいだけの男はキライ
それから十日ほど時が流れ、おなごやで貸本屋からかな文字だけの草紙を借りて読んでいたお千代の元に弥彦が息をきらせながら走ってきました。
「――お千代さん。…茶屋の騒動もひと段落ついたようなので、明日から来られても大丈夫ですよ」
「お使いありがとうございます。お水をどうぞ」
お千代がいそいで水がめから柄杓で水をすくい、湯のみに移して弥彦に差し出した。
「では、遠慮なくいただきます」
そう言ってぐぐっと湯のみの水を飲み干すと、申し訳なさそうな顔をしながらお千代に湯のみを手渡します。
「…もう一杯いただけますか?」
「はい」
お千代は再び柄杓から水をすくって湯のみに注ぎ、弥彦に手渡しました。
「背中の打ち身の傷のことでも心配して何度も足を運んでくれてありがとう。ほかにもやらないといけない仕事があるのに、…ごめんなさいね」
「いえ、これも仕事のうちですから」
弥彦は受け取った湯のみを一気にのどを鳴らしながら飲みこむと、湯のみをお千代に渡し、一礼してまた走って帰っていきました。
お千代は湯のみを洗って拭くと、元の場所へしまいました。
居間で寝っ転がって焼き餅をほおばっていた高尾が、その様子を興味深そうに眺めていると、そのよこでぐったりと横たわってい志乃が小声でぼそりとつぶやきました。
「――茶屋の若い衆とはいえ、おなごやに頻繁に出入りするなんて、…あの子お千代に気があるのかしら」
「ああ、うちもそれ気になってた。ここの管理はぜんぶ弁蔵がやってるからね。茶屋の若い衆は基本的には茶屋のことや岡たちの世話するのが仕事だろ?」
「たまに律儀な子もいますけど、下心なく行動する殿方はあまりいませんわよねぇ。フフフフフ……」
志乃が死んだ目をしながら意味ありげなことを口にするので、高尾が思わずお千代を呼びつけます。
「ちょっとお千代、こっちきな」
そして何も知らないお千代がそばに寄ってくると起き上がって言いました。
「なあ、さっきのヤツさお千代のなに?」
その言葉にお千代はキョトンとし、首をかしげて応えます。
「同じ手習いをしている方ですよ。お茶屋に行きづらいので言伝をしてもらってたんです」
「それだけ?男女のほにゃららとかないんかい!」
「物語じゃないんだからそんなものありませんよぉ」
そういってお千代がケタケタ笑うと、よこになってじっとしていた志乃がむくりと起き上がりこう言います。
「――お千代、男はみんな狼なのよ。気を抜いてましたら頭からガブリと食べられてしまうの。…銭を払わない男は作っちゃダメよ」
「やだなあ。そんなこと分かってますって」
お千代は読みかけの草紙を手にすると、物語の続きを読みはじめるのでした。
姐たちが顔を見合わせます。
「お千代って意外と乾いてるなぁ…」
「十六の女なら、男に優しくされるだけで恋に落ちるものではなくて?」
「みんな良い友達止まりってやつか?」
「本人はそう思っていても、相手がどう思っているかは別問題なのよねぇ…」
言葉を吐きだしたあと、志乃がばたりと倒れます。
やれやれという顔で高尾が志乃の夜着をかけました。
「だなぁ。そのへんのかわし方は経験して身に付けるしかないね」
「若い遊女は男の怖さを知らない子が多いから、下手に関わって傷ついて海に飛び込まないて欲しいわ」
「そうそう若い遊女の死因って、痴情のもつれが一番多いからな」
「まあ、それを乗り越えなきゃ遊女とは言えませんけどね」
「そいつはちげーねぇなぁ……」
男を相手にする仕事だが、決して心から男に抱かれてはいけないのがこの界隈の常識。
客との一夜はかりそめの夫婦。
そこにはウソ偽りが入り混じった世界しかない。
本気になったらおしまい。
男に裏切られて命を落とす遊女が絶えないのは、人に心があるからなのだろう。
姐遊女たちのナイショごとは、狭い居間に同室しているのでよく聞こえる。
(高尾姐さんも志乃姐さんも心配性だなぁ…)
ふたりは滅多にお茶屋に行かないから、耳に入る情報だけであの騒動を知らないんだよ。
弥彦さんも自分の体のことを優先すればいいのに、私が女だからって気にし過ぎなんだよね……。
――そう簡単に好きだとか恋とかするもんか。
寧ろ、男に恋することすら御免被る。
いつか別の女のところへ行く男と付き合うなんて、本当に馬鹿げたことだ。
言葉では親身であったとしても、裏ではなにをやってるのか分からない。
金で女を買う男たちの方が、いっそ潔いじゃないか。
(優しいだけの男は、正直苦手だな……)
お千代は不意に過去を思い出す。
優しい男といえば太一だった。
誰にでも親切で優しく、いっしょにいるのが心地よかった。
私を育ててくれたおばあちゃんが死んだとき、いっしょに泣いてくれて励ましてくれたのも彼だった…。
が、お父さんがあの鬼たちを家に連れてきてから太一との関係はおかしくなった。
まず私と会おうとしなくなった。
彼の家に行ってもいつも忙しいと追い返された。
家の人たちも冷たくなっていった――。
お父さんが死んだとき、何故か太一はサヨのとなりにいた。
涙ぐむ演技をするサヨを励ましていた彼の姿は、おばあちゃんが死んだあの時といっしょだった。
それを私は見ないフリをした。
私と太一の関係が壊れるのが怖かったからだ。
お父さんが死んで私はもうひとりぼっちになってしまったから、
余計に彼を失うのが怖かった―――。
そしてあの日を迎えることになる。
ちょっと前までは思い出すと悲しくて涙が出ていたが、今は違う。
今は無性に腹が立って仕方がない。
(くそ、あのヤロー!人を馬鹿にしやがって!!)
そうして手をにぎりしめて床板を叩く。
その音に姐遊女たちがビクッとからだを硬直させたが、お千代は周りのことを忘れて過去のできごとの怒りをぶつけ続けた。
そうすることで気がスッと晴れてゆくのだ。
(いつか絶対、アイツのことなんか忘れてやるんだからな!)
ごろりと横たわると、お千代は何事もなかったように草紙に熱中するのでした。




