寅吉の意外な欠点
日の光が徐々に差し込む明け六つのころ―――。
お千代は寝返りを打った際、仰向けになり床に打ち身の傷が接触してしまう。
「――痛っ!」
その衝撃で目が覚めてしまった。
最悪な目覚めだった……。
からだをよこにしてエビのように丸まり、痛みに耐えながら震えていると、あくびをしながら寅吉がもそもそと動きだしました。
「…うっさいなぁ。ふあ――。んんー、なんだよ?」
「ちょっと背中をぶつけまして……」
「それくらいで大声出すなよ」
「私、背中に打ち身のけがをしているんですよ」
「そんなこと俺は知らん」
彼は眠気まなこを手で押さえながらも意識はまだ夢うつつなようで、やや不機嫌な顔でで文句を言う。
(そういえば、寅吉さんの寝起き姿をみるのははじめてだなぁ…)
ふだんから歯に衣着せぬ言い方する彼だが、日中など頭が冴えているときはまだ言葉をある程度は選んで話していることに気づく。
本当にわずかな違いだが、口調がいつもの倍は悪い。
(――思ったことそのまま垂れ流してる感じがするわ……)
少しずつ痛みが去りゆくなかで、お千代は冷静に寝起きの寅吉を観察していました。
(寝起きが悪い旦那さんって、酒に酔ったくらいに通常時とかなり落差がったけど、微妙な加減で違う人ってはじめてみるなぁ)
寅吉の場合は酒に酔っていても顔に出ず、いつも以上におしゃべりになって、酔いが回ると一気に寝入ってしまうという体質だった。
前も寝起きらしい状態をみたことあるが、やはり変なことを口走っていたと思う。
(私も寝起きはあまりよくないから人のこと言えないけど、いつも完璧な寅吉さんがいくつもの欠点をもってるなんて、やっぱり”人”だったんだね…)
――私たまに、寅吉さんのこと人じゃないんじゃ、…と疑ってました!
そんなことを考えていると、寅吉がむくりと起き上がります。
「そういや、今日は早いんだったな。メシ炊かないと……」
「あ、そういえば私も起きないといけないや」
この船は早朝に出向予定だったから、沖の遊女たちも早めに船から下りないといけない。
まだ意識が覚醒していない寅吉は、作業着が上手く着れずにもたついてるので、見かねたお千代が着替えを手伝う。
「えっと、たしかこれを合わせて着てください。帯は私が結びますから」
「――ん。悪いな…」
「いえいえ、あとこれをかけて下さいね」
お千代が自分の着物の袖から取りだした二重叶結びの掛守を寅吉の首にかけます。
そして肌着のなかに押しこみました。
「それではお仕事がんばってくださいね。旦那さん」
「ああ、じゃあな」
そういうと、寅吉はからだが慣れているのか自分の仕事場へふらふらと歩いて行きます。
お千代はそれを見送ると、自分の身支度をはじめました。
(意識がはっきりしてないだけで素直に礼を言ったり、私があげたお守りも気にしなかったり、意外と面白い人だな)
くくくっと声に出さずに思い出し笑いをすると、お千代は床の片付けもして船の出入り口に向かいました。
帰りの舟のなかでお千代は思う。
(見送りに来てくれた水主さんたちのなかで、寅吉さんがすごく顔を真っ赤にしてたのは、朝のことなのだろうか?)
まあいい、ちょっと彼をやり込めてやったという達成感?みたいなものがわき上がってくる。
―――いつもやられっぱなしの私じゃないんだ!
掛守は鈴のお礼として前もって準備していた物だった。
昨日は絵姿の紙をもらったけど、今度はなにを返したらいいんだろ?
懐から四つ折りの紙を取りだし開いてみる。
(これが読めないと、上方の子供以下なんだよね…)
しみじみ思いながら眺めていると、高尾がなになにと近寄ってきました。
「お千代がもってるの春画だよね?旦那からもらったのか」
「うん、これくらい自分で読めるようになれって」
ニヤッと笑った高尾の懐から、数枚の紙が取りだされた。
「うちももらったよ。いっぱい買ったからくれるってさ」
「見てもいい?」
「どーぞどーぞ」
そこへ松野や志乃もやって来て、みんなで絵姿の品評会がはじまる。
「へぇ、女同士のものもあるんだねぇ」
「タコと海女ですって、これ!」
「となりの夫婦がやってるとこをのぞき見する男の絵ってのは笑えるよな」
「奥さんが赤ん坊背負ってる後ろからって、あぶなくないの?」
女たちが姦しく騒いでいると、弁蔵が嫌そうな感じの声で伝えてきます。
「着いたからもう降りろ。お前たちの声が周りに響いて恥ずかしくてかなわん」
「お、弁蔵。一枚やろうか?」
高尾が面白がってそういうと、それを無視して先に舟から降りていきました。
「ちえーつまんねー男だよな」
「まあ弁蔵のいうことももっともだ。みんな降りる支度をしな」
パンパンと手を叩き松野が下船を促すと、絵姿の紙をしまい外へとでます。
(今日もいい天気だなぁ)
久しぶりに感じる清々しい気持ち。
桟橋をから沖のほうに目をやると、直江屋の船は帆に大きく風をうけて南の方角へ進んでいました。
そして南東へ方角を変えるころには、お千代の目から見えなくなってしまいました。
「お千代、そろそろ帰るよ」
松野に肩を叩かれ、お千代はみんなといっしょに桟橋を離れます。
歩きながらも旦那さんのことや日常の出来事、そんな他愛もないおしゃべりをしながらおなごやまで帰ります。
港には今日もいつものように商船の船が港に集まり、荷を降ろしたり詰みこんだり。
店の前で船旅の客や水主相手に店の商品を勧め、通りには朝から人があふれています。
人々の活気のある楽しそうな声を聞きながら、お千代もいつか本当に楽しいと思えるような生き方をしたいと切に願うのでした。




