四つ折りの紙を開いて
(でもいきなり着てる物を脱がすことないじゃないか…)
やや不機嫌に長襦袢を着直していたお千代は近くに置いてあった行李に気が付かず、ふとした拍子につまずいてしまう。
カツッと音を立てて行李の中身が飛びだしてしまった。
「あ、ごめんなさい」
お千代は慌てて拾いあげて行李へ戻します。
そこへ寅吉も割り込んできて、素早く放り込んでいきました。
それはもう目にもとまらぬ勢いです。
(そりゃ寅吉さんでも、人に見られたくない物ってあるよね)
などとのんきに思っていると、四つ折りの紙を手にしました。
「――ん?」
月明りでも絵が描かれているのがわかる。
そして小さくはあるが文字のようなものが見えた。
ちょっと気になり折りたたまれた紙を開こうとしたら、寅吉にすさまじい勢いで取り上げられました。
「ひ、ひ、人のもんを勝手に見るな…」
それは、いつものように怒鳴りつけるのではなく、動揺の色が隠せずに弱々しい声でした。
そして今度は散らばったものを丁寧に収めはじめます。
(あの紙を見られたくなかったんだなぁ)
お千代が気づくくらいに行動が丸わかりでした。
―――あの寅吉さんをここまで動揺させるものって、一体なんだろう?
知りたい気持ちがわき上がり、また機嫌を損ねるかもと思いながらもお千代の好奇心はとまらなかった。
「さっきの紙に描かれていた絵ってなんですか?」
遠回しな意味合いもなく、ド直球な質問を寅吉に投げつけます。
その言葉に彼は一瞬、時が止まったようにからだを硬直させましたが、目も合わさずに答えました。
「…表司に押し付けられたものだから仕方なく保管しているだけだ。言っておくが、そんなにいい絵じゃないぞ」
「ぜひ、見たいです!」
「見せるとは言ってないだろ!」
月光でもはっきり分かるように紅潮した寅吉がお千代の言葉をさえぎる。
そんな彼の様子にお千代は思いだしたことがあった。
(――もしかして、あの紙に描かれてるのは男女のあの姿絵のことかも…)
前にほかの旦那さんからチラッと見せてもらったことがある。
彼は極端にこのテのことを忌避しているので、持っていることも人に知られることも嫌なのだろう……。
(でも災難よけのお守りとしてのご利益があるらしいから、捨てるにすてられないんだろうな)
ちなみにこの港町には貸本屋しかなく、たまに絵草子などの書籍を売りに来る旅の行商人しかいない。
田舎の里の出のお千代にとっては、色のついた絵を見る機会はほとんどなく、とてもめずらしいものが見たいというだけでした。
目をギラギラさせて四つ折りの紙を見つめるお千代の視線に降参した寅吉は、あっけなく紙を差し出しました。
「やるからもう寝ろ」
とだけ言って彼は行李を元に戻すと、ふらふらっと力なく夜着をかぶってよこになりました。
絵が描かれた紙を受け取り、お千代は気分よく彼のとなりに入り込みます。
そしてばさりと紙を開きました。
「おおおおおっ」
思わず声をだしてしまうような絵姿で、大きな風呂敷と傘を担いだ女性が男性にまたがって抱きしめてる、というもので、絵の余白部分には文字がこれでもかというくらい埋め尽くしてありました。
着物のしわの入れ方、そして柄や色の合いなど見入ってしまいます。
下の部分の小さな余白に書かれた文字はなんとか読めるが、上に書かれている文字はよく読めません。
(うっ、かな文字だけじゃなく漢字もはいってる。それにまだ習っていない片かな文字もけっこうあるよ……)
絵に合わせた物語が書かれているようだが、子供向けの鉢かづきとは違い、色々な文字が組み合わさっている。
「ねえねえ、寅吉さん。ここなんて書いてるんですか?」
「もう寝ろと言っただろ。読みたきゃもっと勉強しろ」
「ここの『びちや、くちや』ってのは読めるんだけど、上の文字は崩れすぎて読めないんですよ!」
「だから手習いを上達させて、それくらい読めるようになりやがれ!なんで俺がそんな卑猥な文章読まなきゃいけないんだ!」
寅吉がお千代に向かって怒鳴りつけると、彼女はぽかんとした顔で言いました。
「……そうなんですか?」
「――そうなんだよ、気づけよ…」
彼の指摘にお千代はまた『おーおーおーおー』と変な声をあげる。
本当になにも知らない生娘のような彼女の発言に、すっかり毒気を抜かれた寅吉はうつぶせになったまま言葉を口にした。
「…すこしでも文字か読めるようになってうれしいのか?」
「うん。今はなんでも読んでみたい。この姿絵の物語も知りたい」
「そうか……」
力なくぐったりとしている彼に、今度はお千代が問いかける。
「この絵姿は高価なものなんですか?」
「いや、木版画だから大量に同じものが作れてそんなに高くはない。絵師によっては多少値が張るが、それはまとめ売りのものだからさらに安いぞ」
「へー。こんなに文字が書かれてるけど、読めなくても買うのかな?」
「まあ買うだろうが、田舎と違い上方は男も女も読み書きができる者が多いからな」
「えっ、そうなの!?」
「手習いの教え処が多いらしい。多少金はかかるが、男なら給金のいい仕事のために、女なら玉の輿を狙って子供のころから手習いをしてるそうだ」
「へぇ……」
活気があって人の多く住むところという上方。
稼ぎたいなら上方へゆけばいいというが、それだけの努力をみんながしているということを知る。
(ちょっとだけ文字がわかるようになっただけで、なにをうぬぼれていたのだろう…)
この港で読み書きができるのは商人やその奉公人、岡の遊女と書き仕事をしている人くらいだった。
上方に行けばもっと多くの人たちが読み書きできて、文字の書かれた絵姿だってみんな簡単に読めるんだ……。
さっきまでの興奮状態が急激に冷め、落ち込むお千代に寅吉がぼそりという。
「もう寝ろ。今読めなくてもこの先読めるようになればいいだけだ」
「…そうだね。ははは」
お千代は絵姿の紙を再び四つ折りにもどすと、背中を床に当てないように寅吉に寄り掛かって眠りにつきました。




