私が物語を語る
緩やかな波にゆられながら、松野がきたことに三人の遊女はよろこびます。
「松野姐、やっぱ若高屋のやつら怒ってたか?」
「岡も沖も松風本人を怖がってさぁ、あたしに文句言うんだよ。お門違いだっての」
「松風姐さんのキーキー声と口の悪さは、どの茶屋でも有名ですからねぇ…」
「名前が似てるからって、あたしゃあいつとは姉妹じゃないっての!」
気分がすこぶる悪い松野が愚痴を垂れ流します。
高尾も志乃もうんうんと同意しながら、松野が貯め込んだ毒を吐きださせるように話を聞いていました。
「どうもねぇ、松風の馴染みの旦那さんが愛想をつかして若高屋に転んだ〔客がお気に入りの遊女を替える〕らしいのよ。自業自得なのに自尊心だけは高いから松風が認めないらしくてねぇ……」
大きなため息をついて、ことの原因らしきことを松野は口にしました。
「うっわ。旦那、逃げだしたのかよ!」
「あの自尊心の高さがいいという旦那さまもいますけど、やはり癒しの心を持ち合わせていなければ、殿方も疲れてしまいますわね」
「松風には須磨もいるしね。夕霧はふたりから距離を置いてるけど、まだまだ荒れそうだわ…。はぁ、胃の腑を絞めつけられる思いだよ」
三人の姐遊女が松風への恨み節をせつせつと語り合っているよこで、お千代は鉢かづきの物語を反芻していました。
観音さまにお願いして生まれた娘。
病気の母が、その観音さまの導きで娘に鉢を被せる。
母は死に、父が娘の鉢を取ろうとしたが外すことができず、
親戚の勧めで継母がやってきて、鉢を被った娘の姿を恐れいじめる。
継母との新しい子が生まれたら父も娘につらく当たり、
やがて娘は家をでていく。
身投げしても助かり、人々から恐れられ、
面白いから風呂焚き女として召し抱えられる。
主の四男にせまられ、娘は最初は四男をはぐらかしていたが
やがて深い仲になる。
それを知った四男の両親にとがめられ、
兄夫婦のさらし者になることで四男に恥をかかせてはならぬと
娘はその家を出ていこうとするが
それを察知した四男が、自分も家をでるといい、
それじゃあふたりで家をでようと決意すると
鉢がはずれて娘は美しい姫へと変貌を遂げた。
そして鉢が割れると金銀などさまざまな財宝が現れました。
兄嫁より美しく、教養も高かった娘は主に認められ
それから四男との間に子も産まれて幸せに暮らしましたとさ
めでたしめでたし―――――。
(いいお話だなぁ…。最後まで読むと、最初に苦しんでいたことが報われる)
小さな子供が読むにふさわしく夢のある物語だと思う。
ステキな殿方に見初められるのって、女の子のあこがれだよね。
お千代が心ここにあらずな状態で鉢かづきの物語に傾倒していると、松野が背中をバシッとはたき覚醒させる。
「いつまでも顔をニヤつかせて妄想にふけってないで、仕出しを運びな」
「――んあ、はい!」
高尾と志乃にその光景を笑われながら、お千代は舟のなかから出るとおひつを抱えて渡し板の上をえっちらおっちらと歩くのでした。
先に来ていた吉屋の遊女とともに、水主たちの箱膳の上に置いてある空の器に料理を盛っていきます。
お茶は船の炊が用意したものがすでに置いてあり、ほこりをたてないように足元に注意しながら湯呑に注いでいきました。
そして給仕を終えると、遊女たちはそれぞれの旦那のとなりに座ります。
今夜は宴会ではないので酒はついていない。
明日の風向き次第ですぐに出航するそうです。
「夏前までに北に上らなきゃいけねぇんでな、ここへは今日だけの予定なんだよ。秋に上方まで下って、それから越前へ帰る前に寄るくらいには、嵐で立ち往生するからな、そんときにでもゆっくりさせてもらえばいいさ。はっはっは」
表司の与作が水主や遊女たちに向けて、そう言って笑いました。
しかし若い水主たちは不満げなようすでした。
「文句を言う前に、早く仕事を覚えればいいんだよ。そうすりゃ港に着いても船で留守番することもなく女を抱ける余裕ができるからな」
そう言われると、若い水主たちは黙るしかありません。
大人しく目の前の膳に箸をつけはじめました。
「ほかの港には沖の遊女みたいな仕事はないのかな?」
お千代がボソッとつぶやくと、となりでご飯を食べていた寅吉が正面を向いたまま答える。
「ここみたいに大手を振って商売をしている港のほうが少ないんだ。ほとんどが陰でコソコソやっている。酷い病気もちか身体の弱った年寄りとかな。そういったところは若い女はほとんどいない」
「遊女が嫌いなのによくご存知で」
「職業柄どんな些細なことでも情報が入ってくるもんだし、くだらないことでも知らないより知ってた方がいいこともある。――それよりお前、鉢かづきはちゃんと読んできたのか?」
「それはもちろんです。お金がかかってますから!」
「それじゃあ今から物語の内容を俺に話してくれ。こっちも金がかかってるからな、採点はきびしいぞ」
そう言いながら、再び寅吉は黙々と食事を食べだした。
お千代はその言葉にすこしの焦りを感じたが、正座している自分の太ももを軽く手のひらで叩くと、頭のなかに染み込ませたおとぎ話の『鉢かづき』のあらすじを楽しそうに語り始めます。
そして最後まで話し終えるまで表情を崩すことなく聞いていた寅吉が、微妙な顔つきで彼女をみました。
「…それで終わりか?」
「は、はい」
「その物語には、まだ続きがあるはずだ」
「―――ええっ!」
お千代がぎょっと目を見開いて驚いていると、その様子をみていた寅吉はすこしの間なにかを考えたようで、神妙な面持ちで語りだしました。
「お前が読んだ本は御伽噺なのか?」
「そうですよ。文字を読む練習に姐さんから”読みやすい”本を貸してもらったんです」
「ふむ、子供が文字を読む物語だから最後は必要ないってことか…。子供相手なら終わり方としては、それで十分だからな」
寅吉は眉間のしわを指でつまむと、なにか腑に落ちたように言葉をもらす。
するとお千代は、ひとりで納得した彼にせがむように着物をゆさぶりました。
「あの、あの、鉢かづきの続きを私、知りたいです」




