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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第三章:今の自分にできること
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いろは唄と人助け

萩屋で読み書きを習うことになった翌日、新米の若い衆と幼い禿(かむろ)たちの後ろにちょこんと座り、緊張しながらも手習いの勉強を始めることになりました。


若い衆も禿もすでにかな文字を学んでいるようで、お千代ひとりが”いろは唄”からの習いでした。


ほかの人たちは黙々と漢字の書き取りを行い、お千代は使い古されたお手本帳を片手に文字を書きます。

習字すら学んだことのない彼女は、筆を扱うことすら初心者でした。


(この紙だけで何文なんだろ?筆も(すずり)もいくらするんだろう……)


お千代の目の前にある習字道具一式は、昨日の内に買い揃えられてたらしい。

練習用の紙も借金から、お手本帳だけは借り物でさらに講習費用もかかっています。


(絶対にやめられない。絶対にモノにしないと!)


そう思いながらお千代は震える手で、紙に”いろは”を書く。

筆の持ち方などは、先に指導を受けていた。


目を血走らせなが筆を動かす。

そんな鬼気迫るようなお千代のそばに、夕霧(ゆうぎり)が音もなくしずしずと歩いてきました。


「お千代、調子はどうでありんすか ?」

「――はうっ。ゆ、夕霧姐さん」


「驚かせておゆるしなんし、女将(おふくろ)さまから聞きんした 。読み書きの手習いを今日から始めたんでありんすね」

「はい」


「これは読みやすい言葉で書かれた草紙でありんすぇ。ヒマなときに読みなんし」


夕霧はお千代に色あせた一冊の草紙を手渡しました。


「ありがとうございます。夕霧姐さん」

「それでは励みなんし」


柔らかくほほ笑むと、夕霧は内所の方へと物音を立てずに向かいます。


お千代がいただいた草紙をパラパラとめくると、ひらがなだけで書かれた物語がそこにはありました。

禿のひとりがこちらの方を向いて言います。


「それは(はち)かづきのお話でありんすね」

「え、知ってるの?どんな話?」


お千代が勢いよく前に迫り出して禿から聞こうとしたとき、若い衆の男のひとがクククッと声をださずに笑います。


「お千代さん、でしたよね?夕霧さんはあなたに自力で読んでほしくて、その草紙を渡してこられたんですよ。だから禿に聞いてはダメなんです」


そう(たしな)められ、お千代はハッとしました。


「そうだ、うん。草紙を読みながら文字を覚えなさいってことなんだよね。うっかりしてたわ……」


「読み書きは、書くのも大切ですが本を読むこともまた大切なんですよ」


いつのもように分からないことはすぐに人に聞くクセが身についていたお千代は、恥ずかしそうな顔をして草紙をよこに置いてから再び文字を書く練習を再開しました。



手習いを教えてくれる老人の若い衆の者は店を開ける前の作業をしながらなので、ずっとそばで教えてくれるわけじゃなく、たまに来ては指導するといった具合にほぼ自習状態です。


その分教える値段も安いのですが―――。



「これなんて読むんだろ?」


お手本帳をみながら字を書くことはできるが、かな文字が読めないので何を書いてるのかはさっぱりわからない。


小さな禿が『に』だよ、とニヤニヤしながら教えてくれることがあります。


それは、大人なのに文字も読めないんだね、ってあざ笑っているような顔でした。


(子供は容赦(ようしゃ)ないなぁ…)


苦笑しながらも禿たちに教えられ、お千代はすこしだけかな文字が読めるようになりました。



茶屋が開くまではあとちょっと、今日の習い事はもう終わり。


習字道具やかな文字を書き散らかした紙を風呂敷(ふろしき)に包んで、お千代は裏口からそっと出ていきます。

そのとき、さきほど一緒に手習いをしていた男のひとが裏口より顔をだして千代にいいました。


「お千代さんいろは唄は、歌うように声をだしながら覚えるといいよ。その方が頭に入りやすいからね」


「あ、なるほど、ありがとうございます。――えっと、お名前は何でしたっけ?」


「僕?僕は弥彦(やひこ)といいます。また明日もお互いにがんばりましょうね」

「はい、弥彦さん。またね」


軽く手を振って彼とお別れすると、お千代はいろは唄を口ずさみながらおなごやへと帰ります。



「いろはにほへと、ちるぬるを。わかよたれそ、つねならむ。うゐのおくやま、けふこえて。あさきゆめみし、ゑいもせす。いろはにほへと―――…」


お千代がのんびりと歌いながら歩いていると、船宿が並ぶ港の方で人々が世話しなく動いていました。


そして大きな声が聞こえてきます。


「沖の船が沈みかけとる!舟もっとるもんは、沖へでろ!」


傾いた沖の船は()ね荷〔荷物を海へ捨てる〕をするが、それでも船は海へと引きずり込まれている。


沖へ向かう舟のおじさんたちが船に向かって叫んだ。


「わしらが行くまではもたんじゃろ、船を捨てて海へ飛び込みんさい!」

「荷はあとで島の者が拾うけぇ、はよう船から離れぇ!命が惜しゅうないんか!」


その声で水主たちはわらわらと海へ飛び込む。

いつもは船の周りをちょろちょろしている商売舟も、沈む船から離れた水主たちを自分の舟に引きあげる。


よくみると、弁蔵さんも舟をだしているようで、海中で四角い箱をつかんだままの年老いた水主を助け上げてるようだった。


港の住人たちが水主を引きあげ、沈んだ船の周辺に散らばった荷を集める。

重い荷物を引きあげることはできないけど、海に浮かぶ軽い物は小さな舟たちが拾っていく。


弁蔵がずぶ濡れの水主を港まで運んで来るのをみて、お千代は近くまで駆け寄りました。


「弁蔵さん、大丈夫ですか!?」


「ん、お千代か。すまんが、すぐにつた屋に行ってくれ。沈んだ船の者はそこへ連れていく」


「わ、分かりました」


急な弁蔵の頼みごとを聞いて、お千代は風呂敷袋を片手に近くのつた屋まで走ります。

ちょうど女将さんが店の前で騒動を観ていたようでした。


「はあはあ、女将さん。弁蔵さんが沈んだ船の水主さんたちをつた屋へ連れていくと言ってました」


「―――!おや、そうかい、そうかい。じゃあ今から風呂の準備をしようかね。お千代さん伝言、ありがとさんよ」


女将さんはすぐに店に引っ込み、あれこれと奉公人に指図しているようです。

そして救助の手伝いをしていたと思われる、つた屋の亭主も帰ってきました。


「お千代ちゃん。弁蔵から話は聞いたけぇ、ご苦労さんだったな」

「いえいえ」


「今日は客がおらんかったが、弁蔵があの船の船頭を助けたんでな。こっちは大助かりじゃ」

「…あー、あの箱持ってた人が船頭さんだったの!?」


「それはな船箪笥(ふなだんす)ゆうて、金や手形なんかの重要なモン入れとるんじゃ。死んでも手放さんわな。はっはっは」


渡りに舟だったつた屋の亭主は、笑いながら教えてくれました。


――もしかして、弁蔵さんも船頭さんと知ってて助けたの?


人助けを損得勘定で考えてる人だったんだと、そう思うとお千代はちょっと嫌な気分になりました。

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