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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第三章:今の自分にできること
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それでも私は遊女なんだ

問屋街から山のふもとまで行くと、そこのは古めかしい神社がありました。

その裏手には古井戸があり神聖な場所として、人がくることは滅多(めった)にないと港の住人から聞いています。


だからお千代はあえてこの古井戸まできました。



このあたりでは船関係は住吉神社、商売関係なら船宿と店屋や問屋の近くにある(えびす)神社にご利益を求めてお参りする。


そしてこの神社は昔、さる高貴な方が立ち寄ったという謂れがあった。

そんな伝承が語り継がれている神社ですが、今は年に一度のお祭り以外でにぎわうことがありません。


つまり、ひとりになりたいときには最適な場所でした。



井戸のとなりに腰掛けて、大きくため息をつきます。


「さっちゃんもあの子に気があったんだ。意外だなぁ」


(さっちゃんはサヨと会って、半年後には奉公にでたのにね)


やっぱり男はみんな顔なんだ、などと悪態をついてみる。


(あの親子が里を引っ掻き回したんだろうなぁ。想像はつくけど、私にはもうみんなどうでもいいことだよ)


―――いっちゃんのことも、もうどうでもいいよ。


私はそう思いながら、しばらくその場で座り込むのでした。


うっそうと茂る草木の匂いがたちこめる中、井戸の陰に身をひそめ、心が穏やかになるのを待つ。


いつまでこんなことを続けるのだろう、いつかはこんな惨めな思いをしなくてすむのだろうかと、お千代の頭の中でそれがいっぱいになってくる…。


(こんなことですぐに私の心は(しお)れてしまうのに、アイツは私に言ったんだ。――お前は強いから僕がいなくても大丈夫だろう、って……)


どうでもいいと呪文のように感情を抑えようとしても、頭の中では勝手に記憶が引きだされる。


――好きなことをして、好きな物を食べて、私は楽しく生きていたいだけなのになぁ…。


心を制御するのは難しい。


(そろそろおなごやに帰らなくちゃ、湯屋に行って仕事の準備して、舟に乗れば忙しくて忘れられるよ。――きっと)



それからふらりと立ちあがり、お千代はトボトボと神社を抜けて人のまばらになった花街に通りかかりました。


そこで顔見せしている岡の遊女たちは、きらびやかな着物を身にまとい顔もキレイに化粧され凛とした姿で、物見の男たちと会話をしております。


遊女のひとりが硯箱(すずりばこ)から紙と筆をとって、その場でさらりと筆を滑らすと、すこし墨を乾かしたのちに折りたたんで結び文にしたものを男に手渡しました。


(ああ、手紙をその場で書いて渡せるなんてすてきだな、…いいなぁ)


そんな遊女と客とのやり取りをみて、お千代は思いました。


(それができるのはお互いに読み書きができるからなんだ。同じ遊女でも服装や化粧だけじゃなく、字が書けないというだけでこれだけの差があるんだ――)


ちょっと前までは岡の遊女は特別だから嫉妬もしない。

などと気にも留めていませんでしたが、自分から読み書きを習うと決心した今は違う。


客に対する接し方も、煙草を吸う所作すら絵になる遊女(かのじょ)たちに妬みすら覚える。

そしてすべてあきらめて楽な方へ、楽な方へと何も考えずに生きてきた自分が恥ずかしくさえ思える。


(あの遊女(ひと)たちにも様々な過去があったはず。でも努力してあの場所に座ってるんだ。…だから私はもっとがんばらなくちゃいけないんだ)


――過去のことに(とら)われてるだけじゃ、先には進めない。絶対に過去は切り捨てるんだ。


そう自分を鼓舞(こぶ)しながら、お千代は花街を抜けて船宿が立ち並ぶ港まで戻ってきました。


目の前の端島との間には、上方からやってきたと思われる無数の上がり船と思われる弁才船(べざいせん)が停泊しているようです。

いつものように、いくつもの商売人の商船が船に群がっていました。



もう少し昔は沖の遊女ではなく、菜売りの女が舟で菜を売るついでに体を売っていたという。


それから家族を養うために舟に乗って、沖の船の水主たちの身の回りの世話と夜伽をする船後家(ふなごけ)と呼ばれる女たちがあらわれ、無許可だった彼女たちを茶屋が管理することで、一般の女が商売女である遊女になったのだ。


さらに時を経て、今は沖の遊女となっている。

だから沖の遊女の原点は、今も沖の船相手に商売をしているあの舟たちなのだ。


そんなことを考えていると、気負う心も忘れて足取りも軽くなり、お千代はおなごやまで時折り軽く飛び跳ねながら帰りました。



お千代がおなごやに戻ると、ほかの姐遊女たちはまだ部屋でゆるゆると過ごしているようでした。

繕い物をしていた松野がお千代に声をかけます。


「お千代、読み書きの件はどうだったの?」

「明日からお茶屋で教えてもらえるようになったよ」


「…タダじゃないんだろ」

「うん。…また借金ふえちゃった」


「ふぅ、まあいいさ。モノになればなんらかのウリにはなるさね」

「あはは、そうだね。がんばらなきゃね」


お千代が笑顔で松野に答えると、彼女は苦い顔をしました。


「すぐに覚えられないからって、簡単に投げ出しちゃダメだよ。分からないことがあったらいいな。知ってることなら教えるから…」


「はーい。松野姐さんありがとう」



ここではいつもの私になれる。


気安い姐たち。

居心地のいい部屋。


誰も安易な冗談ごとはたくさんいうけど、悪意を持って人を傷つけたりしない。



湯屋にみんなで行って、体をキレイにして帰って来たら、志乃が(くし)と油壷を手に丁寧に髪を結いあげてくれる。

それから和気あいあいと化粧をし、仕事用の着物に着替えると、そこには過去も何もない今夜の旦那さんのための遊女ができあがる。



遊女は客である旦那さんに夢を与える商売。


いつでも笑顔でいられるように、顔には見えない笑顔の面をつける。


心の戸にも錠をつければ何も恐れることはない。



夕暮れの舟の中、お千代はいつものように沖の遊女に変わるのだった―――。

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