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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第二章:楽しく生きるためにどうするべきか?
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番外編:寅吉の過去・前編

西日(にしび)が強く海に照らされる中、強い海風を帆にうけ一艘(いっそう)の船が波を押して前進しています。


早朝、嵐に見舞われた直江屋の船は玉洗いの港をでて、すこし南東方向へと向かい内海の大小の島々の間をくぐりぬけるように進んでゆきます。



船の先頭で船磁石(ふなじしゃく)を片手に海を眺めている与作のそばに寅吉がやってきました。


「にぎり飯とお茶を持ってきました」

「おう、ありがとさんよ」


寅吉は小さなお盆ににぎり飯三つと湯のみを与作に渡します。

受け取った与作はにぎり飯をふた口で食らったあと、それをお茶で流しこみました。


「与作さん、今日はどこの港まで行くのですか?」

「あー、朝は波が荒れて出航が昼過ぎになっちまったからなぁ。…岩城島(いわぎじま)〔愛媛県の北東にある島〕まで行けたらいい方だ」


「上方までは?」

「風次第だが、明日は(とも)〔広島県の東部にある港町〕、次に下津井、そして播磨あたりの港に泊まって上方だな。七日も掛からんよ」


そういって、残りのにぎり飯も口に突っ込んでもぐもぐと食べます。



空になったお盆を寅吉が下げようとしたとき、与作がニターと笑い、彼を引き寄せていいました。


「なあ、お前さん。昨日の晩はあの嬢ちゃん買ったんだろ?とうとう男になったか?はっはっは」


与作は上機嫌で茶化すように言ったが、寅吉は眉一つ動かしません。


「話し相手に買っただけですよ」

「でも寝たんだろ?」


「となりで寝させてやっただけです」

「……お前さあ、女に恥かかせるなよ」


はあっと深いため息をついて、与作は寅吉を開放しました。



寅吉はお盆を持って自分の作業場へ戻ると、つぎの仕事まですこし時間があります。


船の上から海の景色を眺めていると、ふと昔のことを思い出しました―――――。




いくつのころかは憶えてないが、父親が店の金を持ちだして馴染みの遊女とともに逃げた。


店は母の両親が築いた小さな店で、祖父母が相次いで亡くなると、婿に迎えた父が目の上のたんこぶがいなくなった途端に、店を我が物にして好き勝手にしはじめたのだ。


そんなに利益もない店の金で毎日女を侍べらかせて豪遊し、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに店の金が尽きると周りから借金をし、店に残ってた最後の金まで持ち逃げしたのだった。



店で働いていた者もめぼしい物をもって去って行き、家に残されたのは母と俺と弟と生まれたばかりの妹だけだった。


父親の借金の返済のために母は店を売り、手持ちの少ないお金で家を借りたが食べる物を買う余裕はなかった。


金があって店がそれなりに繁盛していたころには、遠い親戚すら祖父母にへつらいでいたくせに、すべてを失ったら俺たちに誰もかれもが見向きもしなくなった……。



――そんな生活の中、五日後に赤ん坊の妹は死んだ。


母は父が逃げたことや、親が残した店を手放したことなどで乳がとまってしまったのだ…。


無気力になってゆく母のために、幼い弟と食べ物を探す毎日だった。

ときには物乞いをしたりもした。



――ひと月が経つと、弟が朝起きたときには冷たくなっていた。


弟の死に悲しむいとまもなく、父と逃げた遊女の借金をなぜか母が背負うことになったのだ。


やせ細った俺たち親子は、やくざ者につれられ田舎町の色里で生活するように言い渡された。


死なない程度に食事は与えてもらえるようになったが、支度金としてさらに借金が上乗せされることになった。

子供の俺も若い衆に混じって働くことになった。


母が客を取ることになり、何もわからず幼かった俺ははじめてあの行為をみたとき、怖くなって物置の隅で震えながら泣いた。



そこで働く遊女たちは、俺を可愛がってくれる者もいれば、客とのうっぷん晴らしに八つ当たりしてくる者、無関心な者などさまざまだった。


その中で幼い俺はひとりの遊女に恋をした。


それまでに見たことがない美しい女性(ひと)だったと思う。

もう顔は覚えていないし、――思い出したくもない。


その女性は俺のことを『寅ちゃん』と呼んでいた。

おしゃべりしたりお菓子をくれた、笑顔のすてきな女性だった。



ある日、俺が彼女の元へ遊びに行くと、薄暗い部屋でひとり泣いていた。

俺が『どうしたの?』と聞くと、涙を袖で拭きながら『何でもないよ』と答えた。


いつものように話をしていると、突然こう言ったのだ。


『好きでもない男に抱かれて、毎日がつらくて苦しい』―――と。


その意味がわからずポカンとしている俺に、彼女は笑って『ごめんね。寅ちゃんに言ってもわからないよね……』と寂しそうにそう言った。



それから数日経ってまた彼女を訪ねると、前とは違ってとても顔が生き生きとしてうれしそうにしていた。


元気になってよかったと俺が喜ぶと、彼女は『これからね、好きな男性(ひと)が来るの』と教えてくれた。

子供心にちょっと嫉妬したが、彼女がうれしそうにしてるならいいか、と思った。



その日の夕方、納屋に頼まれ物を取りに行く途中で、ちょうど彼女の部屋の近くを通りすぎると、少し障子が開いていた。

俺は好奇心にかられ縁側からあがり込み、すこしのすき間から彼女の部屋をのぞくと、宙に浮いている両足が見えた。


何かと見上げると、酷い形相をした彼女の顔が夕日に照らされているのが見えたのだ―――。



俺はあまりの恐怖に絶叫してしまう。


すると若い衆が集まってきて俺に何か言っていたが、俺は思うようにしゃべることも出来ずにガタガタ震えるだけだった。


それから若い衆が彼女の亡骸(なきがら)をむしろにくるんで、人目につかない場所に放置していった。

俺はその日の晩、薄汚れた夜着の中で眠れぬ一夜をすごした…。


つぎの日の朝には彼女を包んでいたむしろは消え、彼女もいなくなり、それ以外はふだんの日常へと戻っていた。



数年後、ほかの遊女たちが話をしていた内容から察するに、好いた男に裏切られて、鴨居(かもい)に帯をかけて枕を台にし逝ったらしい……。


そのときはじめて、人はひとに絶望すると命を絶つということを知った――。

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