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内海の遊女 風待ちの港 沖乗りの島  作者: 青丹よし
第二章:楽しく生きるためにどうするべきか?
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優しさの欠片

嵐で船が大きく揺れていることも気にならないくらいに、お千代は長い長い思案の中にいましたが、


「―――おい」


というかけ声あと肩を揺さぶられて、お千代ははっと意識を目の前の人物へと戻しました。


「…あ、寅吉さん?」

「こんな物しかないが、今のうちに食っとけ」


差し出されたお椀の中身は、水でもどした干し飯(ほしいい)とわずかな佃煮が入ってるようでした。


「――ありがとう」


お千代がそういってお椀と箸を受け取ると、寅吉はすぐにどこかへ行ってしまいました。



じっとお椀の中をお千代がみてると、高尾たちがブツクサ文句を言い出しました。


「なんで水なんだよ、こういうときは湯だろ?気が利かねぇなぁ」

「まったくですわ。こんな寒い日に冷たい食事だなんてついてないですわ」


「アンタたちねぇ、こんな時に火が起こせるわけないでしょ。少しは状況を考えなさいな。…はぁ、お千代もこういうのは嫌かい?」


疲れたような顔をして松野がそう聞いてきたので、お千代は首をよこに振りました。


「いえ、ご飯をいただけるだけで十分です」


にこにこしながらそう答えると、松野の顔が明るくなりました。


「そうかい。ちょっと聞いたかい高尾、志乃。アンタたちもお千代を見習ってすこしは謙虚(けんきょ)になりな」


「あー、はいはい。ちゃんと食べますよ」

「んー、もう。仕方ありませんわね…」


そういいながら遊女たちはお椀一杯だけの朝餉をいただくのでした。



それから一刻のときが流れたくらいに、寅吉がお椀の回収にやってきました。

松野がみんなのお椀をと箸を集めて彼に頭を下げます。


「旦那さんらは朝から何も口にしてないのに、私たちだけ食事をいただいて悪いねぇ。…ありがとうよ」


「こちらはいつものことなので気にしないでください。こんな粗末な物しか出せなくて申し訳ない」


「いえいえ、こちらこそ気にしないでおくれ」


「ありがとうございます」


礼を述べた松野からお椀などを受け取ると、寅吉はまた足早に船の奥へと消えます。

それを見送って松野はほっと一息つきました。


「あの子も宴会で見たときには偉そうなガキだと思ってたけど、結構しっかりしてるんだねぇ。見直したよぉ」


そう自分で言いながらうんうん頷いている松野に対し高尾はそれを茶化します。


「あれだけお千代のことを心配してたのに、一杯の干し飯くらいで手のひら返しするなんて、松野姐もチョロいなぁ」


「そういう高尾も、その一杯の干し飯をくださった与作の旦那さんに見捨てられないようにしなよ。本来、表司の職なら岡の遊女を相手にしてるはずなんだからね。旦那さんのお慈悲に感謝しない態度とってりゃ、そのうち捨てられるよ」


「そうですわねぇ。沖から岡さんへの転び〔客が馴染みの遊女を替えること〕は禁止されてませんから、与作の旦那さまなら松風さんあたりに転ばれてもおかしくないでしょうしね」


「ひっどいこといいやがって、旦那はうち一筋なんだよ!」


松野に切り返され、志乃にもおちょくられて、高尾は涙目になりながら怒ります。


「高尾姐さん、旦那さんにはお礼を言った方がいいですよ。きっと喜んでくれるはずです」


そうお千代が慰めると、高尾はガバッと抱きついてきました。


「お千代はいい子だねぇ。鬼みたいな女しかいない中であんたは仏だよ」


「いやいや、すこしは姐さんも反省しないと…」


「うう、わかったよぅ」


年下のお千代に(いさ)められて高尾も落ち着いてきたようでした。



それからしばらくして船の揺れも小さくなると、与作が再びお千代たちのところへ来ました。

今日の朝会ったときはずぶ濡れでしたが、着物から水がしたたり落ちることもなく乾きはじめている様子です。


「おう、待たせたな。港から舟が出たようだから、そろそろ出入り口に移動しな」


そう伝えている途中で甲板にいたであろう水主たちが、船の中へと入ってきました。

どの男たちもやや疲弊(ひへい)気味です。


高尾がおどおどしながら与作の近くによっていきました。


「旦那、体は大丈夫なのかよ?」


「心配してくれるのか高尾、ありがとよ。おれは丈夫だからな」


「…そうだよな。あと、あれな。メシ食わせてくれて――ありがとう」


そう言って高尾が頭をさげると、与作はがっははと笑いながら彼女を抱きしめました。


「高尾がそんな殊勝(しゅしょう)なことをいうなんて、誰かにメシのことで叱られたんだろ?だがな、そう言ってもらえるとうれしいもんだ。上方で荷を捌いたら、またこの島に寄るからな。それまで元気にしてろよ。じゃあな」


与作は高尾の背中をバンバンと叩くと、甲板の方へとまた登って行きます。

高尾はあっけにとられたまま、その場に立ちすくんでいました。


「ま、あちらの方のほうが高尾のことをよく知ってらっしゃるわね…」


志乃はほうっとため息をもらして、扇子で口元をかくしながらそうつぶやきました。



それから松野を先頭に四人が数珠つなぎに荷物を持って出入り口へと移動すると、もうそこには渡し板がかけられ、弁蔵が遊女たちが来るのを今や遅しと待っていました。


「待たせたね、弁蔵。最初につた屋のお(ひつ)なんかをを舟に運ぶから手伝っとくれ」


「ああ」


仕出し料理を入れていたお櫃や鍋や深皿などを、遊女たちと弁蔵で船から舟へと運んで行きます。

それが終わると遊女たちが舟に乗り移って、船の方から渡し板を引きあげました。


すると松野と志乃の旦那たちが別れのあいさつに来ており、こちらに向かって手を振っています。

姐遊女のふたりも手を振り返していました。


そして弁蔵が櫓腕(ろうで)を両手でもって漕ぎだすと、少しずつ船から離れていきます。


(寅吉さんは来ないよね……)


――彼の言うように私の自業自得だ。


そんな風にお千代が思っていたら、船の方からこちらへ何かが投げ込まれた。

志乃が拾い上げると、それは丸められた千代紙でした。


「お千代、あなたの旦那さまからよ。あの子、存外恥ずかしがり屋なのね」


と、ひやかし交じりで志乃が中身を確認してそう言いました。


千代紙は重り用の小石を紙の中へ入れて折り畳み、その上に小さなひも付きの鈴を挟んでさらに丸められたものでした。


志乃からそれを手渡されると、お千代は小さな鈴を見つめながら目頭が熱くなり、その場にしゃがみ込んでしまいました。


お千代はその鈴に込められた寅吉の思いを察すると、後悔の念に駆られて涙が溢れてきます。


(私は自分のことだけしか考えてなかったんだ……)



人には優しくされたいのに、自分は人に優しくしない。


なんて身勝手で愚かなんだろう―――。



船から遠ざかるさなか、鈴を握りしめてお千代は声を殺して泣きました。

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