ふたりの結末:其の四
寅吉はうつむいて目を強くつむり何も答えない。
そして無理やりお千代の肩をつかんで自分から突き放す。
彼の手から伝わる震えを感じながら、お千代は淡々とした口調で言う。
「自分が言えないことを人から聞きだそうとしちゃダメだよ。私だって言えないし苦しいんだ。――それに、私は本心から寅吉さんのことを信用してない」
だから、一番つらい心の傷には触れさせない。
お千代は目を見据えて寅吉にそう訴えかける。
すると寅吉が重い口を開いた。
「――たしかに、そうだな。俺も、……お前を信用していない」
力なく腕を下ろし座り込む寅吉を前に、お千代はうわずった声で自分の心の内を言葉にする。
「でも私は、寅吉さんにこれから信用してもらえるように努力する。あなたと色々な話をするのは楽しいし、男とか女とかの関係じゃなくて、友達になりたいからこの縁を切りたくないんだよ」
「………」
お千代の”友達になりたい”告白を受けて、寅吉は顔を上げると目を見開いて彼女を呆然と見つめた。
性別より人として仲良くなりたいと彼女は言うのだ。
男に体で奉仕する遊女が、――だ。
かすかな笑みを浮かべるお千代に対して、寅吉はまるでめずらしい生き物を見ているかのような目をしていた。
だが、しだいに体の奥からワケの分からない笑いが込み上げてくる。
口からクククッと笑い声を漏らしながら、寅吉は手で顔を覆った。
「……お前、ひどい女だなぁ」
「私は男はいらないけど友達は欲しいだけ。正直、男と女の恋だの何だのっていうのは興味もないし、人から話を聞いてもピンとこなかった。遊女やってると、男のありがたみってお金しかないのよね」
「お前の言うことは分からないでもないが、そんなことをいう女を見るのは初めてだぞ」
「ほかの女の人のことは知らないけど、これが紛れもなく私の本心。ウソ偽りは一切ないよ」
「本心、……ねぇ」
胸を張って語るお千代の姿に笑みを堪えつつ、寅吉は顔を覆っていた手を下げると憑き物が落ちたかのように、ふだんの顔つきにもどった。
「その友達とやらになって俺に何の得がある?」
「友達を損得勘定で考えるのは無粋なことだよ」
「人付き合いは、常に損得勘定で成り立つものだ。それに俺はお前の事を金で買っている。お前のいう友達というものなら、今後は買わなくてもいいということになるぞ」
「――それは、大いに困ります」
今度は寅吉が得意気に人差し指で床を叩きながらそう言うと、そこまで考えていなかったお千代が焦りだしたどたどしく答える。
友達という枠組みの中でなら、彼と問題なくやっていけると思っていたお千代だが、現実問題として今後も寅吉に買ってもらわないと生活に困る。
しかし友達を買うという行為は、ふつうの友達ならしないだろう……。
(そう言えば、私、当たり障りのない関係しかない)
自分の本心をさらけだして付き合える友人は今までいなかった。
もう、いつもの”当たり障りのない関係”に戻ることはお互いに出来そうにない。
寅吉がニヤニヤと嬉しそうに考え込んでいるお千代を眺めながら言葉を発する。
「俺とお前の間で友達なんていうのは、はなっから間違ってる。お前のいう友達ってのは”互いに対等な関係”だからこそ成り立つんだぞ」
「私と寅吉さんはそうじゃないの?」
「遊女と客の時点で違うだろ」
あっさりと否定されて、お千代は動揺を隠せずに口をパクパクさせる。
もうこれ以上の討論は無理だと、寅吉は夜着を引っ被ってよこになった。
「お前が俺を友達だと思いたければ好きにすればいい。俺はお前が金を出してもいいと思える女で居続ければ、それ以上のことは望まん」
「……寅吉さんの望む女?」
お千代は寅吉から友達にならないが、買い続けてもらうための難題を突き付けられたような気持ちがした。
すこし頭の中で考えてみても、そう簡単には答えが出そうにない。
寅吉の夜着にお千代も入り込んで、しばらく彼の言ったことを反芻していたが、しだいに暗い闇へと落ちていくのでした。
次の日の朝、ふたりとも寝過ごしてしまい、与作と松野から大目玉を食らう羽目になったのは言うまでもない。
寝ぼけたままの寅吉が与作から説教されたいても、となりで正座していたお千代の手をしっかりとにぎっていた。
そんな寅吉にお千代は嬉しい反面、夜の彼の言葉の意味が分からずに苦笑いするしかなかった――。
朝の茶屋では、弥彦が昨日のこともあって気まずそうな表情をしていたが、お千代の眼中にはそんな彼の姿は映らず、手習いの時間はずっと寅吉の言葉が頭から離れずにいたのだった。
男女間の恋がお互いにわずらわしいと思っているし、そういうこと関係なく友達になれるとしたら、それに越したことはないじゃないか。
遊女と客でも体の関係もないのに……。
人としてお互いに認めあっていれば、それが一番平和でいいと思うんだけどなぁ。
彼は一体、何が不満なんだろうか――?
茶屋からの帰り道、お千代はぼーっと海を眺めていた。
眺めながらも無意識に寅吉のことを考える。
彼が私に何を望んでいるのか分からない。
いや、分からないフリをして自分を誤魔化しているのかもしれない。
本当に分からないことは、そのうちすぐに考えなくなる。
だけど薄々気づいていて、それが自分にとって認められない、分かりたくないことは頭にこびりついて離れない。
(人付き合いは、常に損得勘定で成り立つもの。――そうなんだろうか)
楽に金が稼げるから彼が好きなのか、どうなのか……分からない。
でも彼の言葉の通りなら、私はひどい女なのだろう。
お千代は沖に浮かぶ船や、そのそばで動き回る小さな舟を複雑な表情で見つめるのでした。




