ふたりの結末:其の二
お千代は涙を流しながら声を震わせる。
「こんなに、こんなに私を試すような要求をしてくるところもイヤ……」
「俺に対してイヤイヤばかりだな。――まあ、いいか。それがお前の答えというなら、おれはそれに従う」
寅吉は大きくため息をついて、着物を脱ぎ、畳んでいた夜着を手にすると、お千代のことを気にかけることもなくさっさと床につくのだった。
以前にも似たようなことがあったが、その時よりも悪い状況なのはお千代にも分かる。
――いつも、自分勝手な男。
何でもかんでも自分の意にそぐわなければ、バッサリ相手を切り捨てる。
ある意味、相手も自分も傷つけることをいとわない自己完結な男。
そうすることでしか自分の事を伝えられない可哀想な男。
でもお千代だって一番根の深い心の傷をあばかれたら、取り返しがつかないくらいに心が死んでしまう。
だけど、このままでいいのだろうか……?
お千代は涙を流しながらも体を起こす。
せっかくここまで仲良くなれたのに、あっさりと手放していいんだろうか?
前から分かっていたはずなのに……。
彼は当たり障りのない繋がりを欲していない。
そのため出来るだけ人との関係を絶っている。
どうしてそんな生き方をしているのかまでは知らないが、信用に値しない人とそうでない人との選別を、自分本位なやり方で見極めようとするのだ。
だから時折りよく彼とは衝突している。
しかし今は面倒ならここで引けばいいと線引きされたのだった。
もう、つぎはない。
気軽に会話をすることもできなくなるし、船で会うことがあっても、そばに寄り添うことも、買ってもらうこともなくなるだろう……。
それはお千代にとって、金銭的にも精神的にもつらいことだった。
表面上取り繕って曖昧にできない相手だからこそ、安易にうそで誤魔化してはいけない。
でも自分の心を簡単に、寅吉に売り渡すことまではしたくはない。
だからお千代は涙を袖で拭うと、仕事着を脱いで手早く畳み、寝ている寅吉のよこに無造作に入り込んだ。
拒絶するように寅吉が無言でお千代に背を向けると、その背中を目いっぱい容赦なく叩く。
「だっ、痛てっ!何すんだ!お前っ!!」
「いつもいつもいつも、自分勝手にもの言って、自分だけ納得して、私を置いてけぼりにするの!?」
「うるさい!やめろ!お前と話すことは、もうないっ!!」
「私の顔を、目を見て話してよ!そんな風に御大層な物言いしかできない人が、まともな商人になれるわけないじゃない!!」
お千代の率直な言葉がグサリと胸に刺さったのか、寅吉はぐるりと体を勢いよく反転させると素早く彼女の上にまたがった。
そしてお千代の両肩を強く押さえつける。
「お前、ずいぶんな口の利き方をするじゃないか。俺に金で買われた遊女のクセに!」
「そういう言い方は、好きじゃない!」
足をバタバタさせながらお千代は抵抗する。
しかし寅吉の片膝で彼女の腹の辺りをガッチリ押さえられ、暴れる事も難しくなる。
「本当にお前は、俺に対して好きじゃないとかイヤばかり言いやがって、お前の方こそ俺のことを否定してばかりだ!お前の都合だけで俺を動かそうとするな!!」
「寅吉さんだってまともに私と話そうともせず、人の心をえぐるようなことばかりしてるじゃない!その上で、私の心を簡単に安値で買い叩こうとしたじゃないか!!」
負けじとお千代が言い返す。
不思議とこうして怒りにまかせて怒鳴り散らす寅吉に恐怖は感じない。
ちゃんとお千代の言葉を聞いてくれるからだ。
何を考えているのか分からない太一の殺意に比べれば、寅吉の怒りには命を脅かしてくるほどのものは感じられない。
良くも悪くもいい人すぎるのだ――。
「俺に心が売れないなら、お前なんかいらない!」
「自分の心だけ守ろうとする男に、簡単に渡すわけないじゃない!」
お千代はそう叫んだ拍子に、蹴り上げた足が下腹部をかすめる。
「はうっ!」
あおりを食らった寅吉は、苦悶の表情でその場に倒れ込む。
そしてお千代を押さえるのを止めて、ごろりとよこになり、体を丸めて下腹部を押さえて痛みに耐える姿勢をとった。
自分の蹴りで寅吉にケガを負わせてしまったと思ったお千代は、すぐに起き上がると四つん這いの格好で体を強張らせている彼に近づく。
容体はかなり悪そうで青い顔をして口を強くつむり、額から脂汗を垂らしている。
焦ったお千代が誰かを呼びに行こうと立ち上がったそのとき、痛みで歪んだ顔つきの寅吉に足首をつかまれた。
「ど、どこへ行く!?」
「寅吉さんが苦しそうだから、水主さんを呼んでこようと……」
「こんな痛みはそのうちやむ。お前は俺を笑いものにする気か!」
「――笑いもの?」
(そんなに痛がってるのに、どうしてそれが笑いものになるっていうの?)
寅吉の気持ちは分からないけど、本気で強くつかまれた足首の痛みを感じて、お千代はしぶしぶと腰を下ろした。
それと同時につかんでいた手を離す。
しばらくして痛みがひいてきた寅吉は息を整えると、体の力を抜いてぐったりと仰向けになる。
「――最悪な女だ。まさか男の急所を蹴るなんて……」
ぼそりと寅吉がそうつぶやく。
その声はしっかりとお千代の耳にまで届いた。
「痛がってたけど、人を呼ばなくていいくらいに大したことないんでしょ?」
「大したことない?おい、お前!使い物にならなくなったらどうしてくれるんだ!?」
「何に、使うの?」
勢いで言ったような寅吉の台詞にお千代は眉をひそめる。
白々しいと寅吉は思ったが、うっかり余計なことを考えてしまい顔を紅潮させた。
だがお千代は、表情をコロコロと変える彼は未だに傷が癒えていないのでは?と心配するのでした。




