お千代の夢
今日は【恋とは何ぞや】ということからはじまり、多くのことを知って学んで考えて、これから仕事だというのにもうすでに疲れてぐったりしている。
主に精神的なことで思っていた以上に、心に負荷がかかったようだ……。
沖の遊女たちがぞろぞろと港に集まり、それぞれの舟に乗り込んでいく。
お千代も舟に乗り、暗い船の中ゆっくり座ると静かに目を閉じる。
恋という自己満足的な行為に、人は笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだりする。
夏の祭りのとき、三郎は恋する初音と仲良く過ごしてた。
だが今は、その恋の終わりに絶望しているようだった。
(でもサヨのときのように一時的に悲しんで、つぎの出会いがあれば初音さんのことは忘れるよね)
人の心は不思議なもので、どんなに強く怒ったり悲しんだりしても、時が経てばその感情も小さくなっていく……。
こう思うお千代本人も、父親の死もサヨたち親子のことや里のことは、遠い日の思い出になりつつあった。
サヨ親子に対しては許す許さないという感情より、どうでもいいという無関心な気持ちの方が大きい。
今は仕事である遊女のことで日々を忙殺され、過去の思いでに振り返って悲しんでいるいとまはないのだ。
三郎には遊女である以上、いつ死んでもおかしくない身だと伝えたが、お千代は死ぬ気はなく、年季を明けたあとの身の振り方を考えている。
遊女上がりだと子は望めないと言われているので、最初っからひとりでも生きていくための行動していた。
読み書きや算術を借金してまで習っていることも、この島を離れたあとへの布石である。
一度遊女に落ちると嫁に行くことも難しく、また遊女に戻るという女も多い。
茶屋の遊女のように幼少から廓育ちだと、花嫁修業のようなこともしたことがないので、年季が明けても故郷に帰ることも出来ず、結局は花街から独立して生きることが無理な者もけっこういるのだ。
沖の遊女の場合、ある程度の家事や身の回りのことが出来なければ、港町の者と一緒になることはあった。
遊女に偏見がない土地ならではである。
だからといって、みんながみんな島の男たちに嫁ぐのには無理があるし、お千代自身はもっとほかの港町を見てみたいという好奇心が大きい。
水主旦那たちから土産話に耳にする内海の中の港や、ここより遠くの港町のこと、――自分でも行ってみたいといつしか思うようになっていた。
女ひとりで行くには危険だが、上方の大きな港と町には憧れをいだいている。
たくさんの人たちや船、商人たちがひしめき合う港町。
町の住人はみんな読み書きが出来て、おいしいものもいっぱいあるという――。
女でも遊女以外の仕事があるというので、ここから出た後は絶対に上方に行こうと意気込んでいた。
「……やめとけ、田舎の女なんざすぐに売り飛ばされるのがオチだ」
夕餉を貪る寅吉のよこで、自分の夢を語ってみせたがバッサリと斬り倒された。
実際に上方の港町へ行ったことのある寅吉が言うには、イイ奴もいれば当然悪い奴もいる。
人が多ければその分悪い奴も多くなる。
――なめてかかると食われるだけだぞ。
笑いながらそういうのだ。
お千代がムッと怒り顔をしていると、寅吉は湯のみの茶を一気に飲みこむ。
そして飯を食いつくし終えるとお千代の方へ顔を向けた。
「女がひとりで体張らずに生きていけるほど、世の中甘くはねぇぞ。田舎に帰って嫁に行った方が幸せなんじゃないのか?今の上方は食い詰め人夫のたまり場になってるし、道端の物乞いだって多い。あそこはお前が理想を追うほどの桃源郷はないぞ」
「むぅ………」
きっとこの男が言っていることは正しい……。
だからといってお千代は、『はい、そうですか』と安易に里へ帰って男と一緒になる道を選ぶ気はなかった。
「でもさ、まだあと七年先のことだからね。私はそれまでに手習いも仕事も頑張って、夢を叶える努力をしていくんだ」
「夢見るだけならいいんじゃないのか?とても現実的ではないがな」
「寅吉さんは一言多い!」
得意気な顔をしてニヤリとほほ笑む寅吉のよこで、お千代は頬を膨らませてむくれていると、周りの水主たちは立ち上がって舟押しに金を払いに行っていた。
遊女たちは簡単な片づけをしている。
(……そういえば)
すっかり忘れていたが寅吉に今晩の売り込みをしていなかった。
世間話と自分の夢のことだけしか会話をしていない。
目の前がフッと一瞬暗くなる。
そんなこんなとお千代が混乱している間に、寅吉はすでにいなくなっていた。
――あ。
これは非常にヤバイ……。
お千代は寅吉を探しに行こうかと足を踏み出したが、いくら見知った仲とはいえ、こちらから出向いては沖の遊女としてはみっともない行いになる。
元々熱心に女を買うような男でもないので、今日はあきらめようと弁蔵の舟に戻ることにしました。
支払いを済ませた水主たちは、遊女たちを連れて船の奥へと気分よく歩いて行く。
船と舟とをつなぐ渡し板が置かれている出入り口までたどり着くと、ちょうど寅吉が弁蔵に金を渡している場面に出くわした。
「……寅吉さん?」
お千代が驚いて彼の名を口にする。
ふたりは彼女に気づいていない様子だった。
「――こっちは着物を借りた礼として、あんたが取っておいてくれ」
「うむ」
金を確認したあと、売り上げを巾着に入れ腰紐にくくり、寅吉から受け取った少額の銭を自分の財布にしまう。
寅吉は舟から船へと渡し板を歩いて渡り、それを船の方へと引っ張り上げた。
舟の方では弁蔵が軽く礼をし、櫓を手にして船からゆっくり離れていく。
近くで驚いたまま固まっているお千代に気づいた寅吉は『さっきの場所で待ってりゃいいのに』とあきれた顔で言ったあと、彼女の手を取って船の中へと進むのだった。




