おなごやで
「まさかアンタ、あの旦那に恋したのかい?」
「えっ」
おなごやで化粧をしていたお千代の横顔をまじまじと見つめながら松野は言った。
お千代はその言葉に驚きはしたが、すぐには否定も肯定もしない。
そしてすこし考えたあと、あっけらかんとした表情でさらりと言うのだ。
「なんというか親しい友人?みたいなものでしょうか。何せ床をともにしても男女の関係はないので」
すると周りの姐遊女たちも自分の支度そっちのけでお千代の近くに寄ってきた。
「はあ?お千代、それじゃアンタは仕事もせずに銭を貰ってたのかい??」
「そういやうちの旦那も『アレは女を知ろうとしないガキだ』とか言ってたなぁ。ま、添い寝だけで金くれるんだからいいんじゃね?」
「わたくしの旦那さまにも匂いだけ嗅がせて欲しいとかおっしゃる方もいますし、お千代の旦那さまがそれで満足なさるなら、ねぇ……」
今日の朝は別の話題で盛り上がっていた姐遊女たちが、また冷やかし半分でお千代をダシに姦しく騒ぐ。
だが、その後ろで顔に小さなかすり傷を負っていた小波がふらりと立ち上がったのだ。
さらに片足を板の間にダンダンと音をたてて踏み鳴らしながら怒鳴だす。
「アイツ!あの男!!アタシの誘いを袖にしただけじゃなくこんなケガまでさせてクセに、筆おろしもまだなガキだったの!?ちょっと金になりそうだったから許してやろうって思ったけど、ムカつくわ!!」
今までおなごやにいるときは素を出す事は少なかったが、ここまで怒りを露わにすることはなかった。
お千代を含めた姐遊女たちも、突然の小波の行動にビックリしたようで口を半開きにして目を大きく開いた。
彼女の怒りは留まることなく、お千代を指さすと見下ろしながら怒りをぶつけてくる。
「女と寝たことないから、こんなどこにでもいるブスを相手にしてたんだ!そうでなければこんなブスにアタシが負けるわけないんだからね!!」
今度は仁王立ちで勝ち誇った顔つきになった小波は、お千代をバカにすることで怒りの溜飲を下げたようだった。
ブスブスという言葉を投げつけられたお千代だったが、どうでもいいと小波に構うことなく化粧の続きをしている。
ほかの姐遊女たちは哀れむような目で小波を見ていた。
「何でもかんでも自分の思い通りになると思っているなんてねぇ……」
「こんなちっこいガキに凄まれてもなぁ……」
「見た目が童のようだから、旦那さま方も可愛がってくださってますのに……」
それなりに場数を踏んできた姐遊女たちは今まで幾度も似たような光景を見てきたのか、可哀想な娘とだけしか思っていない。
「な、何よ!この変なババアたち――」
小波が姐遊女たちの慈愛に満ちた瞳にたじろぎ、ぽろりとそんなことを口にする。
――が、その瞬間。
姐遊女たちは無表情になり、すくっと立ちあがると一斉に小波を取り囲んだ。
「誰がババアだって!?舐めるんじゃないよ!このガキ!!」
「大人しくしてりゃつけ上がりやがって、……ちょっとこのチビ絞めていいか?」
「その汚い言葉を吐く口を縫って差し上げましょうか?おチビさん」
小さな小波は静かな怒りに燃える姐遊女に囲まれても、無駄に自尊心が高いこともあって、彼女たちを前に怯むことはしない。
「バ、ババアにババアって言っただけよ!それに自分でもババアと自覚してるから怒ってるんでしょ!?」
へへっと口元をつりあげてなおも挑発する小波に、姐遊女たちはお互い目で何かを示し合わせていた。
お千代はそれに見向きもせず、よそ事を考えていたのだ。
(……そう言えば、あんなことがあった所為で今日は買ってくれるか約束してない!)
痛いところを突いてくる男だが、最初に比べてやや多めに金を出してくれていたので、ここで客を変えると収入に響く。
初めてで高く値を付けてくれる客は少ない。
どちらかと言えば、客ふたりの競り合いでなければ安値で売らないと旦那が付かないこともある。
器量のよい遊女なら最初っから強気な値を張れるが、十人並みの容姿な遊女はそうはいかない。
最初の船で買われなかった場合、客がつかまるまで船と船の間を行き交いながら、最安値で買い叩かれるという一番うま味のない夜になることもあるのだ。
馴染み客になると気前の良い客は、すこし金を多く積んでくれる。
それは寅吉も例外ではなかった……。
(基本的にいい人だから、多分――大丈夫だとは……思う)
色々とあったけど本当に機嫌を損ねてはいないはず。
――うんうん、よし!
両手をにぎりしめて気合を入れる後ろで、姐遊女が完膚なきまでに小波を言葉で痛めつけている。
夏に若い衆から仕置きを受けても懲りていない小波はギャンギャンと犬のように吠えていたが、休む間もなく姐遊女たちから罵声だけを浴びせられて、子犬のようにシュンと涙目になってしまっていた。
夕方。
今日はまだ日が落ちかけていても気温は温かい。
お千代は気が立っている姐遊女たちから逃げるように早めにおなごやを出た。
沖の遊女たちを乗せる舟が並ぶ港に足を運ぶと、普段からここで商売をしている屋台のおじさんが笑顔で迎えてくれた。
「べっぴんさん、いつものやつ食うてくじゃろ?」
「うん」
お千代もにこにこと笑顔で答えてお金を支払う。
屋台のおじさんは、さっとうどんを湯がくとザルに上げて湯切りをしどんぶりにのせ、アツアツのつゆをかけてお千代に差し出した。
どんぶり片手にお千代は近くの雁木に腰を下ろす。
そして温かいうどんを口にしようとしたときに、仕事を終えたであろう三郎が彼女のそばへと近づいてきたのだった。




