滝原恋は嫉妬を胸にナイフを振るう 1
「・・・それで相談って、何なんだ滝原?皆の前では話しづらいって事だったけど・・・」
ロビーから離れ、滝原と二人東棟の廊下へと歩いていた匂坂は、適当な所で立ち止まると彼にそう切り出していた。
こんな状況で二人きりになる事は、相応にリスクのある行動だろう。
しかしそれも目の前の滝原の様子を見れば、仕方のないことに思える。
匂坂の後ろへとついて来ていた滝原は俯きがちに顔を伏せ、ずっと何事かぶつぶつと呟いているような状態であった。
「・・・す・・・さないと・・・ろす・・・」
匂坂に声を掛けられてもなお、その様子は変わることはない。
そんな彼の姿に、溜め息を漏らした匂坂は、心配するように彼へと近づいていく。
「おい、滝原!本当に、大丈夫なのか?しんどいなら、休んだ方が・・・」
様子のおかしい知り合いを心配する匂坂は、無防備に彼へと近づいていってしまう。
それはもはや、彼の腕が届く範囲へと入っていた。
「お前さえ・・・お前さえいなければっ!!」
「っ!?何をっ!?」
振るった腕は、その先に銀の輝きを帯びている。
俯いていた滝原を覗き込むように姿勢を低くしていた匂坂は、そこから跳ね上がるようにして手にしたナイフを振るった彼の攻撃を避けきれない。
「血が・・・滝原お前、本気なのか!?」
それでも何とか身を躱し、それで深手を負う事がなかったのは、彼がここで経験した修羅場のお陰か。
頬から伝った血の冷たさに、滝原がこちらの命を狙っていたことを知った匂坂は、彼が何故そんな事をしたのかと問い掛けていた。
「あぁ、本気だよ。匂坂、俺は・・・お前が憎い。分かるだろ?お前さえいなければ俺は・・・俺はぁ!!」
匂坂の疑問に、答える滝原の言葉はシンプルだ。
憎しみを理由にお前さえいなければと願う滝原に、彼が匂坂の死を望むのは至極当然の事のように思われる。
「そんなの、分からないよ!!」
しかしそれは、滝原の道理での話しだ。
その憎悪を一方的に向けられ、今まさにその命すら脅かされている匂坂にとっては、到底納得出来る理由ではない。
自らへの憎しみを口にしながら飛び掛ってきた滝原に、匂坂は必死に飛び退いては距離を取る。
匂坂は自らのポケットの中に忍ばせているナイフへと一瞬手を伸ばしそうになるが、結局それを手に取ることはない。
何故ならそれは、彼に滝原を殺す理由など何一つなかったからだ。
「止めろ、滝原!正気に戻るんだ!!」
距離を取った匂坂に、振りかぶった一撃を避けられた滝原は、再び彼を狙おうと体勢を整える。
しかしそれよりも早く、今度は逆に匂坂が彼へと飛びかかっていた。
それは彼を取り押さえ、どうにか正気を取り戻させようという試みだろう。
事実、彼は何とか滝原の両手を掴まえることに成功していた。
「・・・何だ、やっぱり俺の方が強いじゃないか」
しかしそれは、彼を取り押さえることに成功したことを意味しない。
滝原の体格は、匂坂よりも僅かに大きい。
しかしその僅かな差は、組み合えば大きな力の差となって現れ、滝原は徐々に匂坂の事を押し込んでいた。
「これで終わりだ、匂坂。お前の事、嫌いではなかったよ」
もはや片手で匂坂をあしらっている滝原は、自由になった右手でナイフを構えている。
後はこれを振り下ろすだけでお終いだと、余裕を見せる滝原は、その最後に彼との別れを惜しんでいた。
「それなら、殺す事なんてないだろっ!?」
「恋、ごめん!!」
匂坂が最後の悪あがきに暴れ、滝原の身体を揺らすのと、その声が響いたのほぼ同時だった。
それは、滝原の背後から響いてきた声だ。
それが誰が上げた声なのかを、匂坂は知ることはない。
「なっ!?ぐぁっ!?」
何故なら彼は、その声の主が振り下ろしてきた花瓶に頭を強かに殴打され、気を失ってしまったのだから。
「あ、あれ?匂坂君、匂坂くーん!!こ、こんなつもりじゃなかったの!ごめんね、ごめんね!」
滝原達の背後へと忍び寄り、その頭へと花瓶を振り下ろしたのは、彼の彼女である飯野巡であった。
彼女は思惑とは違った結果となってしまった目の前の出来事に戸惑い、床へと崩れ落ちた匂坂へと慌てて駆け寄っていた。
「巡・・・お前まで、俺を殺そうとしたのか?そいつのために・・・」
床へと倒れ付し、伸びてしまっている匂坂へと駆け寄っては、その身体をぐわんぐわんと揺らしている飯野の姿を、滝原は絶望したような表情で見下ろしている。
それは彼にとって飯野が取った行動が、匂坂のために自分を殺そうとしたものに感じられたからだろう。
彼女にそこまでの意思がなかったことは間違いないが、今まさに甲斐甲斐しく匂坂に寄り添っている飯野の姿は、まさしく滝原が彼に奪われたものそのものの姿であった。
「はははっ、そうかもう・・・もう手遅れだったんだな。そんな事も分からないなんて・・・それなら、いっそ」
ぐったりとしてしまっている匂坂に、飯野は彼の面倒を見るのに夢中になっている。
そんな彼女に今、背後で滝原がどんな表情をしているかなど知る由もないだろう。
彼女がもし、それを一目でも見ていたら慌ててその場から逃げ出していた筈だ。
しかしそんなチャンスはもう、二度とやってくることはない。
滝原はその手にしたナイフを振り上げ、彼女の無防備な背中へと狙いを済ましていた。
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