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滝原恋は嫉妬する

「何だよ、何であいつばっかり!!確かに顔はいいけどさ、それなら俺だって・・・!」


 妙に床が濡れているトイレの洗面台の前に一人、滝原が不満そうに声を荒げていた。

 彼が吐き捨てた言葉と共に洗面台へと叩きつけた拳が、その怒りの程を物語っている。

 衝撃に僅かに裂けた皮が、周囲に広がる水滴へと血を滲ませ、濁った色の水溜りを作っていた。


「巡も巡だよ!付き合ってるのは俺だろ!?なのに、何で・・・匂坂君、 匂坂君って!そんなにあいつがいいのかよ!!」


 鏡に映った自分の姿に、その容姿が決して匂坂に劣っていない事を改めて確認した滝原は、その怒りの矛先を飯野へと向けていた。

 彼女が始め、匂坂へと構っていたのは浮気をしていた彼への当てつけが目的だったのだろう。

 しかし今の彼女の態度に、それが本当に当てつけの為だけの行為なのか、彼には分からなくなってしまっていた。


「あの二人だって、もう死んじまったんだし、別れたみたいなもんじゃないか!なら、よりを戻したっていいだろ。なのに、なんで・・・」

「そうね、貴方の言う通りだわ。貴方は何も悪くない」


 自分が段々と相手にされない存在へと成り下がっている事実に、募った苛立ちのためか滝原は余りに身勝手な言葉を口走ってしまう。

 その死者を冒涜するにも甚だしい言葉はしかし、怒りによって導き出された彼の本音なのかもしれない。

 そして、そんな誰にも受け入れられないような言葉を、肯定する声が彼の耳へと響く。


「っ!?な、何だ・・・あんたか。一体、どこに・・・」

「そんな事、どうでもいいでしょう?貴方が考えるべきなのは・・・貴方が何も悪くないという事だけ。そして・・・」


 その声は甘く、滝原の脳を溶かす。

 すぐ後ろから聞こえた声に慌てて振り返った滝原も、そこにいたのが知り合いの姿であれば、すぐに落ち着きを取り戻すだろう。

 しかしそれも、その声の主がさらに距離を詰め、身体を密着させてこなければの話しだ。

 お互いの鼓動が伝わるような距離感に、耳元で囁いてきた彼女に、滝原は明らかに脈拍が早くなっていくのを感じていた。


「悪いのは全て、匂坂幸也という事よ」


 そうしてその声の主は、匂坂幸也こそが全ての元凶だと囁いた。


「匂坂、が・・・そ、それは」


 身長の高い彼女に、圧倒されるように押し込まれ洗面台へと仰け反っている滝原は、見上げるようにその瞳を覗き込んでいた。

 まるで魅入られたようにそこへと目を向ける滝原はしかし、彼女が囁いた言葉に戸惑うように視線を迷わせている。


「だって、そうでしょう?貴方の彼女を奪ったのも、貴方の活躍の場を奪ったのも、全て彼じゃない。彼さえいなければ、それば全て貴方のものだったのよ」

「・・・そうだ、そうだよ。お、俺だって・・・やれば出来たんだ!あいつが、あいつさえいなければ・・・!」


 自業自得の窮地に立って、それを自分のせいではないと許してくれる声がする。

 それに果たして誰が、縋れずにいられるだろうか。

 悪いのは全て匂坂だと語り、自分は何も悪くはないのだと許してくれる声に、滝原はそれを受け入れ自らを許してしまう。

 それはつまり、今までの出来事の責任を、彼の怒りや憎悪を、全て匂坂へと向けるという事であった。


「じゃあ、どうすればいいか分かるわね?」

「な、何を?俺は、何をすればいいんだ!?」

「殺しなさい、匂坂幸也を」


 擦りつけた責任には、相応しい結末がある。

 そう囁く声に、滝原は縋りつくように答えを求めていた。

 それは甘い罠だろうか、声は答える。

 匂坂幸也を、殺せと。


「殺、す・・・?そうか、奴を殺せば・・・そうすれば、俺は」

「そうよ、そうすればいいの。いい子ね坊や」


 匂坂幸也を殺す。

 その言葉にふらふらと身体を彷徨わせた滝原はやがて、自らにそれを言い聞かせるように同じ言葉を繰り返し始めている。

 それはやがて願いへと変わり、彼はそれに向かって歩き始めていた。

 その背中へと掛けられた声を、果たして彼は耳にしているだろうか。

 しかし少なくとも、彼のその姿に声の主が満足げに笑みを漏らしたことだけは、確かだった。

 ここまでお読み下さり、ありがとうございます。

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