椿子と一華
「行かなくて良かったの?娘の方は行ってしまったみたいだけど」
滝原達一行が去った後のロビーには、椿子と一華だけが残る。
ソファーの傍に佇んでは暗い表情で俯いている椿子に、一華が声を掛けたのは彼女の事を気遣ったからではないだろう。
彼女のその声には、どこか相手を探るような響きが含まれていた。
「その・・・一華さん。貴女に相談があるのだけど・・・」
そんな一華の声に意を決し、顔を上げた椿子は彼女に一歩詰め寄ると、相談したい事があるのだと打ち明ける。
それは二人の関係性を考えれば、意外過ぎる言葉だろう。
しかし、一華はそれを当然の事のように受け入れると、僅かに唇をつり上がらせていた。
「相談?何かしら・・・あぁ、それより―――どうして貴女達が、力也の車のキーを持っていたの?」
相談を持ちかけた椿子のことを受け入れる姿勢を見せていた一華はしかし、その唇をにんまりと歪ませると、彼女がそうせざる得なかった理由を問い質す。
滝原が脱出に使おうとしているのは、力也の車であろう。
では何故、ここにその車のキーがあったのか。
それは椿子達が、それをここに齎したからであった。
「それは・・・力也さんが私達に」
「あの車は、あの子が大切にしていたものよ?それを貴女達に貸す?そんな事、ある訳ないじゃない」
問い掛けられた言葉に、椿子が動揺してしまったのは、その名前に彼の惨状を思い出してしまったからか。
そんな彼女の姿に、一華は畳み掛けるように言葉を重ねている。
彼女が語るには、その車の鍵を力也が他人に貸す筈はないという。
それは、事実なのだろう。
何故ならそれは、彼の手から貸し渡されたものではないのだから。
「そんなの、分からないじゃない!」
核心を突く一華の言葉に、椿子はもはや声を荒げることでしか対抗することが出来ない。
そんな彼女の態度に、一華は何かを得心したように頷いて見せていた。
「そう・・・あの子は死んだのね」
「っ!?」
一華は椿子の振る舞いと言葉から、力也が既にこの世の者ではないと悟っていた。
いや、彼女はとうの昔にそれに気付いていたのだろう。
それが今、確信に変わったに過ぎない。
そんな仕草を見せる一華に、椿子は青ざめたように表情を変えてしまっていた。
「それで、どっちが殺したの?あなた、それとも娘の百合子の方かしら?」
青ざめた椿子の表情に、その口の笑みをより一層深くした一華は、楽しそうに犯人がどちらかと尋ねていた。
彼女からすれば相続争いの相手同士が勝手に潰しあってくれたのだ、これほど愉快なことはないのだろう。
「百合子よ!百合子が力也君を・・・!!私はそんなつもりじゃなかったのに!!」
心の底から楽しそうに嗤う一華の表情は、椿子の神経を逆撫でした。
彼女にとって力也は味方に出来る存在であり、殺すつもりなど毛頭なかったのだ。
それが殺され、ただでさえ狂ってしまった計画に、その犯人の疑いまでかけられれば、激昂したくなるのも仕方のない事だろう。
「ふぅん、あの子が・・・それで、貴女は何でここに?一緒に逃げればよかったじゃない?」
椿子が叫んだ告白に、一華は示した納得は予想したとおりの結末に頷くものだろう。
今、目の前であからさまに動揺した様子を見せている椿子に、人が殺せるような胆力があるとは思えない。
ましてや力也のあの体格を考えれば、それの息の根を止めた相手は相当周到にことに及んだと考えられる。
それはどう考えても、目の前の取り乱した女では有り得なかった。
「それは・・・その事で、貴女にお願いがあるの」
力也の事を椿子の娘が殺したという事実と、彼女がそれと離れて行動しているという事実に、納得出来る関連性は見受けられない。
それに疑問を感じ尋ねる一華に、一瞬言いよどんだ椿子は改めて覚悟を決めると、彼女にお願いがあるのだと話し始める。
「お願い?一体、何かしら?」
「貴女に・・・貴女に、匿って欲しいの!」
それは自分の事を、匿って欲しいというものであった。
「お願い、それだけでいいの!!それが叶うならもう、遺産なんていらない!!普通の生活が送れるだけでいいから!!」
「遺産がいらないから、匿って欲しい?貴女の言葉とは思えないわね?一体何が・・・あぁ」
遺産がいらないから匿って欲しいという椿子の言葉は、夫を失いその権利を失した後も強欲にそれを求めた彼女の言葉とは思えない。
当然のように彼女の真意を疑う一華は、巡らした思考にすぐ、相応しい理由を見つけ出したようだった。
「あの子に殺されそうになったのね、貴女も。ふふふ・・・それで匿って欲しいと?自分の娘から?お笑いね」
本人から事情を聞くまでもなく、一華は今の状況からその結論を導き出していた。
その愉快で残酷な真実に、彼女はより一層楽しそうに瞳を細めると、椿子を嘲るように言葉を遊ばせる。
「っ!えぇ、そうよ!!悪い!!?あの子が怖いのよ、私は!!あの子は、私すらもいとも簡単に殺そうとした!!まるで物みたいに!私はあの子の母親なのよ!?それなのに・・・あんな怪物の傍になんて、いられない!!」
それは当然、椿子の怒りをさらに高める結果となっていた。
一華に図星を突かれた椿子は開き直ると、もはや隠していても意味はないと洗いざらい吐き出し始める。
それは実の娘に恐怖を抱いてしまった、母親の悲しい告白であった。
「だからお願い、匿って!!いいでしょ!!?」
「そうねぇ。確かに、私に損はないのだけど・・・」
自らの事情を何もかも、洗いざらい吐き出した椿子は、もはや形振り構わないといった様子で一華へと頼み込んでいる。
そんな彼女の姿を満足げに見下ろしながら、一華は勿体つけては悩む素振りを見せていた。
確かに椿子は元々九条の者ではないが、遺産を最も多く相続する筈であった要の配偶者であるのだ。
当然そこには、それ相応の遺産が舞い込んでくる筈である。
そんな人間を抱え込み、自らの好きに出来るというならば、一華にとっても悪くはない条件であった。
「ならっ!」
了承の気配を見せる一華に、彼女へと縋りつくようにして頼み込んでいた椿子は、期待に瞳を輝かせる。
「でも・・・だーめっ」
しかし、その願いは叶う事はない。
期待に瞳を輝かせ、一華の顔を覗きこむように顔を上げた椿子に、彼女は本当に楽しそうに拒絶を告げる。
それは決して、理性からの選択ではないだろう。
事実、その言葉を聞いた椿子は、本当に意味が分からないとポカンとした表情を晒してしまっていた。
「な、何故!?貴女もさっき、自分に損はないと・・・!」
「理由?そんなものないわよ?あぁ、でも・・・強いて言うなら、これは家族の問題でしょう?他人の私が介入するのは良くないわ。そうでしょう?」
一華が自分の提案を拒絶する理由が思いつかない椿子は、彼女にその理由を問い質そうと掴みかかる。
しかし一華はそれからするりと抜け出すと、もはや話は終わったとばかりに、その場から立ち去ろうとしていた。
「後は自分で解決してね。それでは、御機嫌よう」
完全に、椿子を見捨てる言葉を残した一華は、気軽に手を振りながら自らの部屋へと戻っていく。
そしてその場には、呆気に取られたように立ち尽くしている椿子の姿だけが残されていた。
「・・・せない」
絶望に立ち尽くしているはずの椿子は、何やらぶつぶつと呟いていた。
それは絶望に打ちひしがれた彼女が漏らす、諦めの言葉だろうか。
いいや、それは違う。
彼女の口から漏れているのは諦めの言葉などではなく、誰かへと向けられた怨嗟の声だ。
「許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない!やっぱりあいつは、あいつは殺さないと・・・絶対に殺してやる!」
一華への怒りをはっきりと口にした椿子は、そのままの勢いでどこかへと向かっていく。
それはいつか、彼女が別の誰かに連れて行かれた場所であった。
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