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意外な出会い

 その顔に打ちつけた水は外の吹雪に、より一層の冷たさを帯びて肌を刺した。

 洗面台へと両手をついて見上げた先には、水気をぽたぽたと滴らせた迷える男の姿が映っている。

 それを幾ら睨みつけた所で、この迷いが晴れる訳もない。

 匂坂はそんな自分の姿に自嘲気味な笑みを漏らすと、自らの腕で湿った顔を拭っていた。


「もう・・・終わりにするべきじゃないか?長男の要は死んだんだ、一華も関係ないと確認が取れた。ならもう・・・」


 滝原と飯野が具体的に何を言い争い、こちらへと話題を振ってきたのかは分からないが、彼らがここから逃げる事を話し合っていたのは知っている。

 復讐の途上にある匂坂はしかし、それをもう止めにしてそれに乗るべきかと迷っているようだ。

 確かに、彼の復讐のターゲットである九条要は既に死んでおり、九条一華にはその嫌疑はないと確認が取れた。

 ここまでやったのだから、もう終わりにしてもいいんじゃないかと、彼は自分自身に語りかける。


「いいや、駄目だ。まだあいつがいる・・・あいつを仕留めるまでは」


 しかしと、彼は思い留まる。

 死の直前の要に問い詰め、初めから疑いの薄かった一華には本人から確認が取れた。

 しかし、残る一人である九条力也にはまだ、碌に接触も出来ていないのだ。

 そんな状況で諦める訳にはいかないと、匂坂は再び強く拳を握る。


「ねぇねぇ、お兄さんお兄さん。じゅーでんき、持ってない?」

「っ!?お、女の子?き、君は・・・?」


 トイレの洗面台の前で一人、拳を握っていた匂坂の背後から、幼い少女の声が掛かる。

 それは何故か全身から水を滴らせている、少女のものであった。


「ボク?ボクはあさひだよ?ねぇねぇ、それより・・・じゅーでんき、持ってないの?」

「じゅーでんき?あぁ、充電器の事か。何の・・・って、それは翔君に貸したゲーム機だね。君は翔君の友達なのかい?」

「そーだよ?ねぇ、それより・・・」


 匂坂の疑問に答えた少女、あさひのその滴る水気は、彼女が自分で返り血を落としていた事を示している。

 そんな彼女を匂坂はあの殺人鬼と同一人物だと思えず、普通の少女として対応してしまっていた。


「あぁ、充電器だったね。ええと・・・どこに仕舞っていたかな」


 あさひがその手に持っているゲーム機の姿に、彼女が翔の友達なのだと認識した匂坂は、執拗に充電器を求める彼女に、洗面台の脇へと置いていた荷物を漁り始める。

 そんな彼の姿に、あさひは目を輝かせてはその手元を覗き込んでいた。


「あったあった!はい、これ」

「これが、じゅーでんき?やったー!!これで続きが遊べるー!」


 一通り鞄の中を探って、ようやく探り当てた充電器を掲げる匂坂は、それをあさひへと手渡している。

 匂坂が手渡してきたそれが、予想していた形とは違っていたのか、それを受け取ってもあさひはキョトンとした表情を見せていた。

 しかしそれがまさしく求めていたものだと、匂坂が頷いて教えると、今度は両手を掲げては喜びを爆発させていた。


「・・・?これ、どうやって使えばいいのー?」

「えっとね、それをまずそこの・・・そう、そこ!そこに挿したら、今度はそっちをコンセントに・・・えーっと、コンセントは・・・あ!あそこにあった!あれに挿してご覧」


 匂坂から手渡されて充電器を掲げて喜んだのはいいものの、それの使い方がさっぱり分からないあさひは、その長いケーブルを遊ばせては小首を傾げてしまっている。

 そんなあさひの姿に、匂坂は懇切丁寧に充電器の使い方を一つ一つ教えていく。


「こ、これでいいの?」

「うん。ほら、画面のここを見てご覧。このマークが出たら、充電してるって証拠だよ」

「本当に?やったー!!いぇーい!!」


 やがてその作業を全て終えたあさひと匂坂は、お互いに顔を見合わせてハイタッチするほどに心を通わせていた。

 ようやく念願が叶ったあさひは、その整った容姿に満面の笑みを浮かべており、そんな彼女の表情に匂坂も自然と笑顔になってしまっていた。


「ありがとー、お兄さん!」

「僕は、匂坂幸也。良かったら、憶えておいてあさひちゃん。それは、翔君に返してくれればいいから・・・あぁ、後それと。ここは男性用だから、余り長居はしないようにね」


 喜びに、抱きついてきたあさひの身体を抱き止めた匂坂の腕が弱かったのは、彼女の身体が濡れてしまっていたからか。

 それを別れの挨拶に立ち去っていく匂坂は、最後にここには余り長居してはいけないよと、注意の言葉を残していた。


「っとと、ちょっと長居しすぎちゃったな・・・あれ?そういえば、あの子はどこから・・・まさかっ!?」


 出口へと向かい、思った以上に長居してしまったと足を急がせる匂坂は、その途中にふと足を止め少女の方へと振り返っていた。

 それは彼女が一体どこからやってきたのかという、ちょっとした疑問でしかなかったのかもしれない。

 しかし彼はその思考の中で、ある重要な事実な気付いてしまっていた。


「この子が、こんな子が・・・あの、殺人鬼?そんな事が・・・でも、間違いない。あの髪も、身体つきもよく見れば・・・あの時と同じ・・・」


 それは目の前の無邪気な少女、あさひこそが彼らが遭遇した殺人鬼であるという事であった。

 その事実に信じられないと首を振っている匂坂はしかし、少女の姿にあの時遭遇した殺人鬼の面影を見る。

 それは疑いを挟む余地もないほどに、瓜二つなものであった。


「でも今なら、今なら・・・彼女を止められるんじゃないか?このまま彼女を連れて、ここを去れば・・・」


 殺人鬼として正体を知っても、目の前の少女は無邪気な子供でしかない。

 そんな彼女であればまだ、その凶行を止められるのではと、匂坂は彼女へと手を伸ばす。


「・・・連れて行って、それでどうする?彼女の面倒を僕が見れるのか?それに・・・彼女が居た方が・・・」


 しかしその手は、僅かに芽生えた躊躇いと共に迷い始めてしまう。

 それは彼女の今後の事もあったかもしれないが、それ以上に匂坂自身の復讐への未練の方が大きい。

 匂坂が復讐を遂げるには、殺人鬼である彼女が場を乱してくれた方が都合がいい。

 それは間違いようのない事実である。

 何故なら、彼の復讐相手の一人である九条要は、彼女の手によって殺されたのだから。


「あれ?お兄さん、まだいたのー?何か、忘れ物?」

「・・・ううん、何でもないんだ。じゃあまたね、あさひちゃん」


 迷った手の平は、濁した言葉の内側に儚く消えてしまっている。

 トイレの入口に立ち止まり、いつまでもそこから動こうとしない匂坂を不審に思い、声を掛けてきたあさひの表情はとても無邪気なものであった。

 その表情に伸ばしかけた手を握り、薄く微笑みを湛えた匂坂は、未練を断ち切るように短く別れを告げて踵を返す。

 そうして彼はもはや、立ち止まることも、後ろを振り返ることもなかった。


「バイバーイ、またねー!あ、そうだ!」


 立ち去っていく匂坂に、別れを惜しむように手を振るあさひは、彼がいなくなった後に何かに気がついたように声を上げる。

 そうして彼女は慌てて隣の女子トイレへと駆け込むと、そこからホッケーマスクとチェーンソーを携えて戻ってくる。


「まだかなー、まだかなー?」


 完全に殺人鬼だと分かる格好へと戻っても、彼女は今だゲーム機の充電が終わるのを待つ、無邪気な少女のままであった。

 モニターの表示と睨めっこしながら、それが終わるのを待っている彼女は、早く終わらないかなと待ちきれないように足をパタパタと遊ばせている。

 そんな彼女の姿は、幸運か不幸か、誰にも目にされることはなかった。

 ここまでお読み下さり、ありがとうございます。

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