脱出に向けて
既に時刻は、真夜中を回っただろうか。
ロッジのロビーに立て掛けられた時計の針が遅く感じるのは、それが壊れているからではないだろう。
その時計が鳴らした鐘の音の少なさが、今の時刻を物語っていた。
その響き渡る鐘の音を耳にした幾人かの人は、皆一様に重苦しい表情で押し黙っている。
そんな中で一人、苛立ちを押し殺すようにその場で足踏みをしていた男、滝原が痺れを切らしたように口を開いていた。
「だから!さっさとこんな所からはおさらばしようぜ!!無理すりゃ今からでも、車でいけるって!な、巡もそう思うだろ!?」
どこか重たい空気が漂うこの場所で、滝原はそれを気にしないような大声で、自らの意見を主張している。
彼はどうやらこのロッジから一刻も早く逃げ出したいようで、周りにもそれに賛同してくれるように呼びかけているようだ。
「・・・こんな天候で、車なんて出せるの?」
滝原が賛同してくれるように強く言葉を掛けたのは、彼と付き合っている飯野だろう。
彼女はその言葉に、若干嫌そうな表情を見せながらも、その意見自体には賛同を示す。
それもその筈であろう。
このロッジでは、彼女が知るだけでも既に二件の殺人が起きている。
さらに見知らぬ男にまで襲われた彼女からすれば、一刻も早くこの場から逃げ出したいと考えるのが自然だった。
「それは・・・で、でもよ!力也さんだったっか?あんたの弟が乗ってきたごつい車なら、行けるんじゃないか?なぁ、一華さん?」
自らの意見に賛同を示しながらも不安を口にする飯野に、滝原は反論出来ずに思わず口ごもってしまう。
彼とて、この荒れた天候で車を出す難しさは理解しているのだろう。
しかし彼は先ほど外に顔を出した際に見かけたごつい車の存在を口に出しては、それならば可能なのではないかと希望を口にしていた。
「さぁ?知らないわよ、そんな事。まぁ、でも・・・エンジンは切らなかったみたいだから、動くことは動くんじゃない?」
「ほら!これで問題ないだろ!な、行こうぜ皆!こんな所とは、さっさとおさらばだ!!」
舞い続ける吹雪に、外の気温は氷点下を優に下回っているだろう。
そんな状況では、車のエンジンもうまく掛からない場合がある。
滝原に話題を振られた一華は力也の車の事は良く知らないが、少なくともその心配はないと断言していた。
その言葉に、滝原は我が意を得たりと膝を叩き、もはや障害はないと周りの皆へと語りかける。
「・・・あんたが運転するなら、私は行かない」
「何でだよ!?さっきまで乗り気だっただろ!」
「あんだけ変な運転してて、良くそんな事が言えるわね!!こんな状況で、そんな奴にハンドル握らせられる訳ないでしょ!?」
ようやく希望の光が見えたと喜ぶ滝原に、飯野は短い言葉で冷や水をぶっ掛けている。
そんな彼女に滝原は訳が分からないと頭を抱えているが、彼女はそんな彼の態度こそが気に食わないのだと声を荒げていた。
「俺の運転が荒いって・・・なら、誰だったらいいんだよ!?」
「匂坂君がいるじゃん!彼に任せればいいでしょ!!」
「・・・えっ?」
痴情が縺れたカップルの言い争いに、それに巻き込まれないようにと静かにしていた匂坂は、突然の指名に思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
言い争う彼らと関わりを持たないようにそっぽを向いていた彼は、彼らの会話をよく聞いておらず突然の指名にただただ戸惑うことしか出来ずにいた。
「ちっ・・・またかよ、さっきから匂坂君匂坂君って・・・で、どうするんだ?匂坂」
「え、えーっと・・・そうだ、ちょっとお手洗いに」
会話の内容が良く分からなくても、ここが今余りいい空気ではないことは分かる。
飯野がまたも匂坂を信頼する様子を見せたことに不満の色を隠さない滝原は、不機嫌そうに彼へと決断を迫る。
そんな彼の態度に、匂坂はとりあえずこの場を離れる事で、時間を稼ごうと試みていた。
「ちょっと・・・逃げないでよ?貴方の復讐はまだ・・・」
「分かってます、分かってますから・・・」
トイレへと逃げ込もうとしている匂坂の腕を、一華は掴まえ引き寄せる。
彼女はどうやら、このまま彼が滝原の提案に乗って、ここから逃げ出してしまわないかと心配しているようだ。
彼女が潜めた声で囁いた復讐という言葉に、匂坂はそれが滝原達に聞こえていないかと焦った表情でそちらへと顔を向けている。
しかしその先には、言い争いに夢中なカップルの姿があるだけだった。
「あれは・・・?」
トイレへと向かう匂坂は、その途中にこのロビーへと駆け込んでくる人影の姿を見ていた。
それはまるで誰かに追われているように、息を切らしながら駆け込んでくるサブ達一行であった。
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