三股男、滝原恋
軽薄そうな男、滝原恋は焦っていた。
その理由は、彼が今も必死な表情で見詰めているスマホの画面を見れば一目瞭然だろう。
そのスマホには、飯野とは別の女性の名前が二つ、ひっきりなしに表示されていた。
「えぇ~・・・何で、ばれるかなぁ?ここに来るってことは、二人には話してない筈だけど・・・」
彼が覗いているスマホには、下妻と美倉という名前が表示されている。
それが愛称みたいな呼び名でないのは、それがもし他の女性に見られても誤魔化せるようにという、彼なりの配慮だろうか。
「えっ!?二人ともここに来るって・・・マジ?いや外、物凄い吹雪なんだけど・・・流石に冗談だよな?」
洗面台の前でスマホを弄っている滝原は、そこに表示されたメッセージに驚きを隠せない。
この場所からは窺えない外の景色も、今も猛吹雪が荒れ狂っていることは間違いないだろう。
そんな中をここまでやってくるという二人のメッセージに、滝原にはそれが冗談の類に思えていた。
「っ!?ひぃぃ!?」
その時、トイレのドアを押し開いて、そこへと誰かが入ってくる。
それはこの場所を考えれば珍しくもない事であったが、その余りに丁度いいタイミングに滝原は驚き、思わず手にしたスマホを取り落としてしまっていた。
「っと、何だよさっきの人か・・・」
「・・・?何か・・・っ!そ、それ!大丈夫ですか!?」
「・・・へ?うおっ!?」
流しっぱなしにしていた蛇口は、塞いでいない排水口にも僅かな水の溜りを作っている。
トイレへと訪れた人影が自らが危惧していた人物ではないと分かり、安堵の吐息を漏らしていた滝原もその彼が何か驚くような声を上げれば、その意味を察することも出来る。
トイレへと入ってきた男、匂坂が示したのは、今も尚浸水している彼のスマホであった。
「あぁ~・・・やっちまった。これ、大丈夫か?うわ、電波ないんですけど・・・これ、いっちまったかぁ?」
慌ててスマホを救出した滝原も、その表面にははっきりと水没した名残が残っている。
それを拭っては揺すっている彼は、その画面に表示に先ほどとは異なった点を見つけ落胆していた。
「いや僕のもないですよ、電波。多分、天候のせいで入らなくなったんじゃないですか?」
「マジ?あ、確かに他のは普通に使えるな・・・サンキュー、助かったわ」
しかしそれはすぐに、自らのスマホを取り出した匂坂によって否定される。
彼のスマホにも今は電波が入る様子は見られず、どうやら悪天候によってここいら一帯の電波状況が極端に悪くなってしまっているようだった。
それを聞いた滝原は急いで他の機能も確認すると、それらは無事に機能すると安堵の吐息を漏らし、それを知らせてくれた匂坂へと軽く礼を述べていた。
「いえ、大したことは・・・っと、どうしようかな?別に、来たかった訳でもないし・・・」
滝原の言葉に軽く応えた匂坂は、何をするでもなく個室の方へと歩いていく。
ただ単に飯野との会話に気まずさを感じ、ここへと逃げてきた彼に尿意の類はない。
そんな彼がここで時間を潰すには、個室に篭ってスマホを弄るぐらいしかないだろう。
「っ!危な・・・」
そんな何となくふらふらと歩みを進めていた匂坂の目の前に、急に壁が立ちはだかる。
それは目の前のトイレの個室のドアが、急に開かれたからだろう。
凄まじい勢いで開かれたそれに、鼻頭をぶつけそうになった彼は、何とか顔を背ける事でそれを回避していた。
「・・・今年は、平成何年だ?」
「えっ?うっ!」
その低く、掠れた声はドアの向こうから響いてくる。
それが自分へと向けられた質問だと気付くのが遅れた匂坂は、思わず間の抜けた声を上げてしまっている。
彼がそれに戸惑っていると個室のドアを閉じて、その声の主がゆっくりと姿を現していた。
「・・・今年は、平成何年だ?」
そのドアの向こうから現れたのは、ボロボロのフードで顔を隠した大柄な男であった。
彼から漂ってくる異臭は、何も彼がトイレで致したものから漂ってくるものではないだろう。
そんな異臭に匂坂が鼻を覆っていると、彼は先ほどした質問と同じ言葉繰り返していた。
「こ、今年は令和元年ですよ!」
その男の不気味な容貌に恐怖を感じた匂坂は、彼の質問にだけ答えて慌ててその場を立ち去っていく。
そんな彼らのやり取りを目にしていた滝原も、彼の後に続いてその場をそそくさと後にしていた。
「・・・令和?一体何を、言っているんだ?」
残された男は一人、そう呟いている。
その言葉からは、本当に何を言っているのか分からないという、戸惑いが感じられた。
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