幕間 それぞれの思惑(クラウディオ、マルグリット視点)
コツン、と音を立てて、緑の液体が入った小瓶を机上に置いた。
マリオが作った傷薬だ。
クラウディオは椅子を引いて腰掛けると、それをじっと見つめた。
マルグリットの家での生活は期間限定だ。
長くて学園入学前まで、大丈夫だと判断されればもっと期間は短くなるかもしれない。
『ディオ』は本来存在しないものであり、元の生活に戻れば無かったことになる。
マリオに正体を明かすことはないし、ここから出ればもう会うこともないだろう。
あの小さな子の記憶に、いつまで私が残るか分からない。
『クラウディオ』に戻ってしまえば、もし会う事があっても私を認識すらしないはずだ。
今は本来の黒髪と金の目を金髪に碧の目に変えている。
その上エドガーが認識阻害の魔法をかけてくれているのだ。
『クラウディオ』と『ディオ』が同一と最初から認識しているエドガーとマルグリットには効果が無いが、マリオは『クラウディオ』に会っても『ディオ』だと認識できない。
ならばせめて、私が覚えておこう。
マリオの笑顔、温かさ、優しさ、強さを全て。
『好きになった人と結婚すればよいのでは』
クラウディオは、そう言ったマリオの顔が頭に浮かんで苦笑した。
簡単に言ってくれる。
相手くらい選ばせろと、王に進言しろというのか。
「ふっ」
思わず笑いが漏れる。
その時は言葉も出なかったが、状況を見て上手く誘導できればできるかもしれない。
学園に入学して第2王子として存在を公表し、地位を確定させる。
そして父上と、できれば母上との関係をもう少しだけ改善できれば。
そのために今から何ができるだろうか。
……手紙でも書いてみようか。
マリオを見習って。
***
マルグリットは執務室で思案していた。
魔力暴走の時にマリアンナがクラウディオの魔力を受け取ったと仮定して、2人を会わせたら何か分かるのではないかと思ったが未だ何もない。
マリアンナは記憶を失っているし、クラウディオは朦朧としていて子どもの姿ははっきり見ていないというから無理もない。
ならばお互いの魔力を見せればどうかと、わざわざ扉の魔方陣に嵌め込んだ魔石を見せたけれど何もない。
今日は魔力を注いだ薬を飲ませてみたけれど変わった様子もなかった。
「余計なお世話かしら…」
もしマリアンナの記憶が戻ったとして、どう思うのだろう。
魔力が増えて嬉しいと感謝する?
金の目がクラウディオのせいだと思って怒る?
クラウディオの方はどうだろうか。
暴走から救ってくれたと感謝する?
人生を狂わせてしまったと自責の念にかられる?
全く想像できない。
会わせて何もなかった以上、何もしないほうがいいのかも知れない。
マリアンナの記憶については、同じような体験をすればもしかしてと考えないこともないけれど、まさか魔力暴走を起こさせる訳にはいかないし、そもそもどうやって離宮に入ったのかも分からない。
まさか本当に精霊の力が及んだとでもいうのか。
建国の際に精霊が力を授け、その後金の目を持って生まれた子に付き従っているなんて話は残っているが、実際目にしたなんて話は聞いたことがない。
王族の秘匿とされているなら話は別だが、今金の目を持つ陛下や王弟殿下、クラウディオにそんな様子が見られたこともない。
「結局何も分からず、か」
2人を会わせることで期待した結果は得られなかったけれど、クラウディオにとっては良い変化があった。
マリアンナの奇想天外な発想に刺激されてやる気になっている。
あの他者を警戒させない素直さも良いのかもしれない。
クラウディオがこれから先『王子』の身分に戻った時に、『マリオ』との思い出が糧になればいい。
『私は金の目の子どもを繋ぐためだけに存在していれば良いのだから…
気を遣うことはない』
城から出そうとして、お忍びで会いに行った時のクラウディオの昏い目を思い出す。
大人びているがまだ8歳の子どもなのだ。
良くも悪くも周りの影響を受けやすい。
現にマリアンナの影響で良い方向に向かっていると思う。
あとは結婚について…
身分を公にして学園に入学すれば、嫌でも婚約申し込みの釣書が大量に届くだろう。
跡継ぎが欲しい貴族は早くから子ども同士を婚約させ、16の成人と同時に婚姻させることが多い。
陛下が選び抜いて相手を決めるのだろうが、果たしてクラウディオが心から受け入れられるかどうか分からない。
政略結婚というのはそういうものなのだから仕方が無いといえばそうなのだが、生まれた時から親に愛されず、大人になっても愛の無い結婚をしなければならないとは。
結婚についてはマリアンナも可哀相だ。
普通に結婚して子を産むわけにはいかない。
マリアンナは目の色を隠して生きていくとして、平民に金の目の子が生まれたら大騒ぎどころではない。
「…ん?」
…相手が殿下なら…?
クラウディオが金の目なのだから、生まれる子が金であっても良いではないか。
しかも両親ともが金なのだ。子どもが何人できても全員金を持つ。
「いやいやいや、ちょっと落ち着くのよ私」
マルグリットの心臓がバクバクと脈打った。
マリアンナとクラウディオなら魔力の相性も良いから、結婚の際に苦しむこともない。
性格も合っていそうだし、仲の良い素敵な夫婦になりそうな気がする。
「はっ…!」
殿下はマリアンナを男の子だと認識しているんだった…!
そういえば殿下が出て行く時には実はマリオは女の子だったと伝えたほうがいいのかしら?
ああでもそれで幻滅したらどうしよう!
そもそも伝えなかったとしても、マリアンナが学園に行くのだから、マリオが入学しないことを怪しむじゃない!
そしてマリアンナにも、ディオが王子ということは教えるわけにはいかない。
更に身分差という大きな壁がある。
「…ダメね、こういう問題に年寄りが首を突っ込むと碌なことにならないわ」
もう成り行きにまかせよう。
マルグリットは心に決めた。
考えるのを放棄したわけではない…はず。




