終末を君と
「めっちゃ混んでたわぁ」
そう言って彼女、カナは玄関からやってきた。脱いだばかりの赤いパンプスは端に寄せてはいるものの綺麗に揃っているわけではない。健康的でスレンダーな体形はいかにもスポーツをしています、といった印象を与える。そんな彼女は勝手知ったるなんとやら、といった風に鍵が開いていた玄関のドアに何一つ疑問も持たず入室した。
家の主であるマミコもさして疑問には思っておらず、女性の一人暮らしで不用心ではあるが、彼女がやってくる数十分前に鍵を開けておくことはもはや当然の事であった。
「本当によかったの?私と一緒で」
「いいに決まってんじゃん!はい、これケーキね。買ったのは昨日だけど今日も食べれるでしょ?」
「わー!!ありがとー!食べたかったんだぁ」
「でしょ?マミコはここのケーキ好きだもんね」
カナは部屋に入るなり手土産のお高いケーキを手渡して、定位置の床に置いてある桜柄の座布団に胡坐をかいて座る。目の前には床に座った時にちょうどいい高さになるテーブルがあり、そこにマミコがコースターとアイスコーヒーを置いた。コルク素材で出来た安いコースターには、いつだったかカナが落書きをした熊だか犬だか分からないイラストがまだ残されている。
「・・・なかなかコイツもしつこいねぇ」
カナが飽きれ気味に呟く。
「作者に似たんだよ」
マミコはカナが買ってきたチーズケーキを有名キャラクターが描かれた皿に乗せて、追加で自分が事前に買っておいたスナック菓子をてきとうにテーブルに並べながら言った。
「これ全部開ける?」
カナがニヤニヤといたずらっ子のような顔で言う。
「当たり前じゃん」
マミコも負けず劣らずいたずらっ子の顔をした。
折角のお高いケーキは、独身ОLのワンルームという場所で、どこでも買える安いスナック菓子と約__円のペットボトルから注がれたアイスコーヒー、そしてどう見ても安っぽい食器たちと少しがさつな女性二人のおかげですっかりその威厳をなくしていた。
女三人よればかしましい。なんて言われたりもするが、仲の良い女二人がよれば人数なんて関係ないのだ。とりとめのない日常を延々と話しては昔話も織りまぜつつ「あれ、前もこの話したっけ?」なんて事も繰り返し全く口は休まらない。脈絡なんて無くていい。本音をぶちまけてもいい。普段は会社で気を使いながら各方面に良い顔をして、頭を下げて、呆れたり、怒ったり、怒られたり、笑うこともあるけど絶対に泣かないように気を張って、張って、張って。そうして外面を仕上げて生きてきているのだ。それが必要な世界で、それが彼女たちにとっては生きていく術だから。
「笑いすぎて涙出てきた」
カナが目元を拭いながら言う。まだまだ笑いは収まらなくてフフフっと肩を揺らしては本当に楽しそうにするのだ。マミコはそんなカナを愛おしそうに見つめてから俯いて、一つフーッと息を吐くとそのままこう続けた。
「やっぱカナといるときが一番楽しい」
その声はどこか震えていて、それでも俯いている為に彼女の髪の毛が彼女を守るように表情を隠すから、はっきりとした心情は読み取れない。それでも高校時代からの付き合いがある二人だ、マミコの微かな変化にカナはすぐ気が付いた。
「マミコ?・・・泣いてるの?」
「泣いてない、泣いてない、よ」
あぁ、これは泣いていない。でも泣きそうだな。なんて感じ取ったカナはどうしようかと少し思案したが、またいたずらっ子の顔をしてマミコの肩に手を置いた。
「マミコ、こっち向いて?」
イヤイヤとマミコが首を横に振る。
「マーミコ?」
それでも横に振る。
「ねーえっ!私が気が短いの知ってるでしょ?マミコったらぁ!」
カナが不満そうな声を上げると、マミコがちょっと待って。と小さく言い、それから二回深呼吸が聞こえてきた。マミコがこちらを向く準備を始めたことを感じ取ったカナは不満顔から一変、ニヤニヤと口元を歪ませた。
「・・・はい、カナ。もうだいじょっ」
ちゅっ、と音はしなかった。でも互いの唇に柔らかい感触と体温、そしてリップクリームも口紅も付けていなかったマミコの唇が微かにカナと同じ色に染まっていることが何よりの証拠だった。
「カ、カナ!?え!?なに!え!え!なになに!?」
「もー、マミコ慌てすぎ。キスしただけだよ?」
「えぇ!?」
「・・・マミコ、落ち着いて聞いて?」
さっきまでヘラヘラとしていたカナが急に真面目な顔をして言うので、マミコはまだ整理のつかない思考のまま何も言わずにカナを見た。
「あのね、私ね、ずっとずっと好きだったの。私たちって大学も仕事も別々だし互いに彼氏がいた時期もあったでしょ?それでも定期的に会ってたしマミコ前に言ったよね?『彼氏の誘い断ってカナの方を優先しちゃった』って。それ、すごく嬉しくて、あとコレ!ピアス!色違いで一緒に買ったのも嬉しくて、あとね、えぇっと、何言ってんだろ。うんとね、あれ?おかしいな。もっとちゃんと言おうと思ってて、それでね、えぇっと」
「カナッ」
だんだんと目に見えて焦り出して早口になっていくカナを、マミコはギュッと抱きしめた。
「・・・こういう意味で捉えていいの?」
マミコは涙声で、でも優しく問う。
「こ、こういう意味?」
「恋人になりたいって事」
「そう!そういう意味なの・・・」
カナの瞳にはじわじわと涙が溢れてきて、さっきまでの威勢のよさは影を潜めてしまった。心臓はバクバクとうるさく高鳴っているが、カナにはそれがどっちのものなのか全く理解できていない。
「カナ、私の事もギュッてして?」
「え?」
「だから、ギュッてしてよ」
「は、はい・・・」
おずおずと抱きしめたカナに、マミコはクスクスと笑いながら優しい声でこう言った。
「私もずっと好きだよ。カナが私の事を恋愛対象に含めるずっと前から。今日もしも来てくれたら私から告白しようと思ってたの。だって今日しかないでしょ?仮に振られても明日が来ないからいいかなって」
「私も、そう思ってた。マミコから好かれてる気はしてたんだけど、どうしても怖くて言えなくて、じゃあ今日しかないかなって。でも、やっぱり失敗だった。もっと早く言えばよかった」
「そうだね、本当に私たちってバカだね」
互いの肩が濡れていく事を感じながらも、その体を離すことはなかった。
テーブルに散らかった安いスナック菓子と汚れた皿、フォーク。汗をかいたグラスには氷が溶けて薄くなったアイスコーヒー。レースのカーテンだけが閉められていてそれでも侵入する光は、光合成をしないグリーンの絨毯を照らしていた。今この瞬間から二人は二人だけの世界の住人になった。それで良かった。世界中を敵にまわしても、なんてバカみたいで非現実的で薄っぺらな言葉が重くのしかかる。
「私ね、今日の為に生きてきたんだって思えるよ」
「うん、私も」
抱き締めあっていた体を離して、それでもギュッと手を繋ぐ。離れないように、離さないように。二人にその時がくるまで。