第二話 精霊石
「只、精霊達が我らが祖先の希望となるのには一つの障害があった。それは、我らと精霊達では存在する次元が異なった為である。お互いに声は届こうとも、干渉する事は出来なかった」
聖職者然とした中年男性は、祖先の苦悩を体現するかのように振舞いながら語り続ける。
「だが精霊達は我らの祖先へと何としても手を差し伸べようも、思い切った手段に出たのだーー精霊の身に宿す精霊石を祖先に移すという、正に身を削る荒技を持って」
精霊石は精霊にとって、人でいう心臓である。如何な人智を越えた力を持つ精霊とて、精霊石を失えば、只では済まない。
「精霊石を祖先に移した精霊達から、声が届く事は無くなってしまい、我らが祖先は悲嘆に暮れた。しかし、それも束の間の事だったのだ。人と精霊の次元の架け橋と祀られていた神の石ーー今では精霊呼応石と呼ばれておるーーへ精霊への感謝を込めて祈りを捧げた者に、人の世で精霊が顕現したのだ。正に希望となって。それから滅びが目の前に迫っていた筈の祖先達は、精霊達と共に数多の困難を乗り越え、今の世の礎を築くに至ったのだ」
いよいよ中年男性の話も佳境に入ってきたが、アルトリオは船を漕ぎ始めたネフリスカを何とか現実へ戻そうと陰ながら努力していた。
「我らが今こうして生を享受出来るのも、精霊と共に在り続けたからである。如何なる生まれの者であっても、例外は無いのだ。今日、この場に集まった諸君もこれより生涯に渡っての隣人と希望への力を得る事になる。諸君らと同様に、精霊の個性も千差万別である。隣人の声によく耳を傾け、共に在る事に感謝を忘れないで欲しい。ーーでは、これより奉納の儀を始める!!」
中年男性の宣言と同時に、精霊殿内に拍手の渦が沸き起こった。中年男性への堂々たる高説への賛辞もあるが、これから自らが得るであろう隣人への期待と興奮がそうさせているのだ。
夢の世界に片足突っ込んでいた一名は除いて、だが。
「ネフィ! 起きなよ。いよいよ始まる。ネフィが最初なんだから、しっかりしないと!」
貴族街における奉納の儀では高貴な者から臨む事になる。この場で言えば、ネフリスカが文句無しの最高位である。
アルトリオが必死に起こすのも無理からぬ事。
「う、うーん。子守唄でいつも聞いてた話だから、つい……っ! 私が一番ね! 待ってたわ!!」
「全く……何が待ってた、だよ。ネフィらしいと言えばそうなんだけど」
寝ぼけ眼だったネフリスカが現状を把握して興奮するのを見て、アルトリオはため息を吐いた。
何はともあれ、呼ばれる前に起こせた事で恥を掻くことは避けられたのには一安心だが。
ちなみにアルトリオはこの中での格は最下位な為、順番も最後尾である。
「ネフリスカ・ラル・ブランカ、こちらへ来なさい」
「はい! いよいよね。アルト、お先に」
「あぁ、気楽にな」
早速ネフリスカが呼ばれて、アルトリオと一言交わした後に壇上へ上がっていく。
「あの方が、あのネフリスカ様か。とんでもなく綺麗だな」
「きゃあ、ネフリスカ様よ! 素敵だわぁ」
颯爽と気品のあるネフリスカの歩く姿に、普段高位貴族と接する事の無い者達は、噂で聞いていた以上であったと、誰しもが見惚れていた。
ネフリスカのオーラに呑まれて、彼女と気楽に話していた一人に殆どの者達は、幸か不幸かこの時気付かなかった。
「流石に、ブランカ準公爵のご令嬢かつ、黙ってれば高レベルの美少女。こうなるのも当然か」
アルトリオは他人事みたいに幼馴染をそう評していた。
周囲がざわめいている中でも、ネフリスカは特に気にする風でもなく、壇上に上がり中年男性の指示に従って精霊呼応石の前に立った。
精霊殿の祭壇に設置されている精霊呼応石は、色鮮やかな群青色の中に、煌めく新緑の光を内包しており、見ているだけで吸い込まれてしまいそうだ。
ネフリスカが位置に就いたことで、彼女に当てられていた人たちもまた、静寂に包まれていく。
「では、始めるとしよう。精霊呼応石に両手をかざし、心を平静に保ち、祈りを捧げたまえ。祈祷の句は覚えておるな? ――うむ、ならばよい。私は下がっていよう」
中年男性がネフリスカ以外にも聞こえるように手順を再度説明すると、一歩下がって精霊呼応石の近くにはネフリスカのみとなった。
ネフリスカは両手を精霊石にかざし、日ごろの祈祷のように平常心を心掛ける。十秒ほどこれから起こる事への昂揚を落ち着けた後、奉納の儀で捧げる言霊を紡ぎ始める。
「我、ネフリスカ・ラル・ブランカ。我が名において、我と共に在らんとす御霊を希う」
ネフリスカが紡ぐ言葉に応じるかのように、精霊呼応石の煌めきが明滅を繰り返し、段々と強くなっていく。
「我が身に預かりし懸け橋に依りて希望よ顕現せん!」
最後の語句をネフリスカが発した瞬間、精霊殿を埋め尽くさんばかりの深緑の光が嵐となって溢れた。光が徐々におさまり、思わず閉じていた眼をネフリスカが開ける。
「――これが、私の精霊石」
精霊呼応石にかざしていた両手の間に、金とも紅とも見える輝きに包まれた、宝石のような石を飾りとした片耳のピアス――精霊石が宙に浮いていた。
ネフリスカがまるで赤子を包むかのように、精霊石を両手で受け取る。それはまるで、本当に赤子を抱いているかのような温もりをネフリスカに与えていた。
「うむ、お主に寄り添わんとする精霊の心が見事に出ておるな。素晴らしい。大事に抱えるのも良いが、左耳に着けたまえ」
精霊石を両手で支え持ったままのネフリスカに、ピアスとして左耳に着けるように中年男性が促す。
一部の例外を除き、アッサム王国ではピアス型の精霊石が一般的だ。ピアス型の特性上、最も左耳に着けるのが良いとされている。
「――あ、はい!」
その声に、思わず自らの精霊石に見入ってしまっていたネフリスカが、慌てて精霊石を左耳に着ける。
「わぁ、綺麗」
「あぁ、なんて幻想的な光景なんだ」
「流石ネフリスカお姉さまだわ!」
元々ネフリスカのずば抜けた容姿に加わった、小ぶりながらもその煌めきがアクセントとして主を引き立てる精霊石に、またもや周囲からネフリスカへの賛辞の声が起こる。
それも仕方なかろう。これまで数多くの若者を見届けてきた中年男性からしても、それはとても様になっていたのだから。
「宜しい。では、下がりたまえ。――次の者! グラニア・ガロア・ランダール、前に出よ」