プロローグ
「お前はもう我が家の者ではない。家名を使う事は許さん。只のアルトリオとして生きよ。これがせめてもの情けだ、持って行け」
そこはアッサム王国イシール男爵の王都本邸の当主執務室。イシール男爵は領地を持たない法衣貴族の為、王都で暮らしている。
執務室は、イシール男爵家が平民から武功で身を立てて軍閥で在り続けて来た事を示すかのように、質実剛健な造りとなっている。
その執務室には四人の人物がいた。
ただ一人椅子に座っている、如何にも武闘派といった偉丈夫ーーイシール男爵家当主、ベルージオ。
その隣に立つのは妙齢で二児の母とは思えない可憐さの中に気品が感じられる、ベルージオの妻フローラ。
夫妻の対面に立つのは二人の息子達ーーいや、今この時より息子はただ一人となったのだが。
「父上! 何故ですか!! 兄様は何もしてないではないですか!」
ベルージオに噛み付かんばかりに誰何するのは、一見美少女とも見える中性的な容姿をした、夫妻唯一の男児ミカエル。
「良い、良いんだミルーーいや、ミカエル様。他に、方法は無いのです。私はすぐにでも、出立させて頂きますので」
「ーーっ! 兄様!! そんな、そんな!!!」
ミカエルを抑えたのは、細身ながらも身が引き締まり、しなやかな印象を与えるもう一人の少年、アルトリオ。
こうなる事は既に予想出来ていた為、ミカエルへの接し方もすぐに改める事が出来たのだ。
元弟はとても受け入れられず、引き下がれないようだが。
「ミカエル、お前に口を挟む権利は無い。今、この時よりお前が次期当主となるのだ。自覚を持て」
ベルージオが気迫を込めた視線でミカエルを射抜き、突き放す。
その圧力に耐え兼ねたミカエルはその隣に助けを求める。
「母上! 母上は、良いのですか! こんな事!」
「ーーミルちゃん。貴方の優しさは素晴らしい事よ。今は分からなくても大人になれば分かるわ。今は、堪えて」
「は、母上まで!」
フローラはその可憐さからは想像出来ない程、硬い声でミカエルを諭した。
そんな今まで見たことのない母の態度に、もう本当にどうにもならないのだ、とミカエルは悟ってしまった。
「ーーそ、そんなっ! そんな事って」
「もう良い! これ以上の長居は無用、行け」
「畏まりました、直ちに。 ーーありがとうございました、父上。母上。強くなれ、ミル。では」
ミカエルの事は一先ず置いておき、ベルージオがアルトリオに餞別を渡す。
アルトリオも又、すぐさま執務室から退室する為に扉へ向かう。
執務室から出て扉が完全に閉まる直前、家族とし最後の言葉を残した。
アルトリオがイシール男爵家本邸を出立したのは、それからすぐの事であった。