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2017年/短編まとめ

下手糞な嘘を赦してもらう為の謝罪文は、未だ未完成のまま

作者: 文崎 美生

水っぽい紅茶を前に顎を撫でた。


「懺悔、ね」


目の前の女――(サク)は、いつも通りの無表情でこちらを見ていた。

紅茶には一度も手を付けていない。

それもそうだ、飲まない方が良いだろう。

この水っぽい紅茶よりも、作が温度計まで持ち出して神経質に淹れる紅茶の方が美味しいのだから。


真っ白な部屋の中、カフェのテラスで使われるような白い椅子に座った私と作。

同じタイプのテーブルには、二人分の水っぽい紅茶が並んでいた。

どういう状況なのかはいまいち理解していないが、教会のそれのように懺悔の時間だということだけは、まるで刷り込みのように理解している。


「三日前に傷んでたから捨てたって言ったプリンだけど、あれ、普通に私が食べたのよね」


顎を撫でながら言えば、作が僅かに目を眇める。

長い睫毛がその顔に小さな影を落とした。

それに対して私は肩を竦め、それから、と更に言葉を続ける。


「貰った花は切り花だったから直ぐに枯らしてしまったし、受け取った原稿は誤字が多くて校正を後回しにしていたわ」


一度目を眇めただけで、作の表情は変わらない。

テーブルの上に手の平を乗せて、ただ静かに私の言葉を聞き、身動ぎ一つしなかった。


「首に縄の鬱血痕が残った時は包帯を巻いたけれど、正直理解出来なかったわ。連続の自殺未遂や入院を見て、頭痛が治まらなかったもの。自傷癖がなかっただけ、救いかしら」


見下ろした作の手は綺麗だ。

今は下に向けられている手首も、傷一つなく、その不健康なまでの白さを保っている。


私は息を吐き、紅茶を飲んだ。

茶葉が悪いのか、淹れ方が悪いのか、どちらも悪いのか、判断は出来ない。

舌で上顎を撫で、また、口を開く。


「雨の日、目の前で屋上からアンタが飛び降りた時、アンタは死んでると思った。体とか生命とかじゃなく、生き物としての何かが死んでるって」


目を閉じれば、直ぐにでも、ザァザァと耳障りな雨音が思い起こされ首を振る。

作は生粋の死にたがりで、口先だけの『死にたい』に意味は無いと言うような変人だ。

どうしようも無いくらいに、その体にも生命にも価値を見い出せない、私の幼馴染み。


一瞬だけ上がった、形の良い眉を見て、緩く傾けられた首を見て、眉間に皺を刻んだ。

目を閉じれば、雨音とは別に、瞼の裏が毒々しい垢に染められ、胃液が込み上げて来る。

その酸っぱい液体を飲み干すために、紅茶を飲む。

ティーカップの中身は一向に減らなかった。


「怪我の手当もした、声も掛けた、心配もした。それでも、生々しい傷も、その時に見せる締りの無い笑顔も、『また、死ねなかった』っていう言葉も、全部が気持ち悪かった。アンタの全部」


紅茶の中には、無表情の私が映っている。

ゆらゆらと揺れるそれに、目を伏せた。


「私がアンタと一緒に居たのは、幼馴染みだから。幼馴染みじゃなかったら、絶対に無理よ」


責任感、と呼ぶには少しばかりズレている。

例えば、野良猫を見付けてしまった時、可哀想だと思うこと。

ミルクや餌を与えてしまったこと。

飼えもしない癖に、と言われること。

その癖、見捨てることも出来ないこと。


もう、お終い。

そう言うように目を閉じれば、今まで口を開かず、何なら呼吸音だって抑えていた作が、細い息を吐き出した。

それから、息を吸い込む音が聞こえる。


良く見慣れた、薬用リップくらいしか塗られない唇が思い浮かぶ。

その唇が、言葉を出すために形を作るのだ。


「……ボクは」


思案するような数秒の沈黙。


(アヤ)ちゃんの飾らない言葉も、神経質そうに米神を叩いたり、額を押さえる仕草も、巫山戯て笑って言ったけど、本当に好きだった」


感情の見えない、抑揚のない声は、鼓膜を優しく緩やかに揺らす。

脳髄に浸透するような、透明度の高い声だ。

大してボリュームがあるわけでもないのに、嫌によく聞こえる。


目を伏せている私には、作がどんな顔をしているのか分からない。

ただ、付き合いの長さで、憶測で言わせてもらえるならば、やはりいつもと変わらない無表情だろう。


「幼馴染みでいてくれたこと、傍に居てくれたこと、ボクを見ていてくれたこと、こんなボクを心配してくれたこと……。感謝してたんだ」


カタリと音がする。

釣られるように目を開ければ、白い指先が視界の端に映り、その指先が顎を持ち上げた。

目が合う。

純粋な黒の瞳は、ガラス玉のように全てのものを反射している。


「文ちゃんが、優しくて良かった」


目の前の幼馴染みは、この女は、一体何を言っているのだろうか。

癖のある黒髪は、サイドに結えられ、明るい水色のシュシュで止められている。

見慣れた姿がそこにあった。

薄らと浮かんだ笑みも、別に、初めて見るようなものじゃなかった。


「『人と話す時は、目を見て話しなさい』これ、文ちゃんが言ったんだよ」


顎に添えられた指先が頬を撫でた。

やけに冷たい、体温のない指先だ。


「これで、ボクは心置き無く死ねる。プリンのことは許してあげる。でも、今の嘘は許さない」


口も目も、綺麗な三日月を描く。

作が一度も手を付けていない紅茶は、腰を浮かし、こちらに体を傾けたことによって、ティーカップが倒れて、流れ出てしまっている。

白いテーブルが赤茶に染まった。


「歳を取って、しわくちゃのお婆ちゃんになったら会いに来てね」




***




棺の中、眠る幼馴染みは、まぁ、綺麗だった。

元々白かった肌は青白くとも、閉じられた瞼のお陰で、長い睫毛が存在感を示す。

白い花を投げ入れた私は、鼻で一つ笑ってやる。


「地獄に逝った奴と、どうやって会うのよ」


ぱたたっ、と音を立てて落ちた液体は、白い花弁にぶつかり、弾けた。

次いで、何処からともなく紅茶の香りがした。

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